THE RAMPAGE 浦川翔平、話題の「YEBISU BREWERY TOKYO」でビールの新たな扉を開く〈BUZZらないとイヤー! 第77 回〉


ヱビスの歴史=ヱビスがおいしくなる話に夢中! 有料のビール試飲付きのガイドツアー「YEBISU the JOURNEY」(要予約)は大人気で、この日もたくさんの人が参加。取材ではヱビスブランドマネージャー沖井さんに案内をしてもらいました

 モノクロの大きな写真パネルはヱビスの最初の醸造所の写真。まさにこの場所で現在のビールづくりを始め、1890年にヱビスを発売します。

 ドイツから醸造設備を持ち込み、醸造技師もドイツから招いて作ったヱビス。味わいの深いビールとして人気を博し、偽物が出回るほどだったそうです。ただ、価格はかけそば10杯分ぐらいと高めで、たくさんの人においしさを伝えられる状況ではなかったそう。その解決策として、1899年に東京・銀座8丁目に、日本初のビヤホール「恵比寿ビール BEER HALL」をオープン。評判を聞いて遠方から足を運ぶ人が増え、ヱビスのおいしさが知られるようになったといいます。時をほぼ同じくしてパリ万国博覧会(1900年)で金賞を獲得、世界にもヱビスが広がっていきます。

 翔平さんは時おり質問しながら想像以上にじっくり見学。「ビール好きにとってはめっちゃ楽しい。ビールがおいしくなる話ですね」

 なかでも驚いていたのはヱビスと恵比寿の街の関係です。

 
「メンバーに言いたい」恵比寿の話もインプット

 ヱビスの需要が高まったことで大量にもっと遠くに運ぶ必要が出て、牛や馬では間に合わなくなり、工場の近くにビール出荷用の駅として恵比寿停車場ができました。それが現在のJR恵比寿駅となり、恵比寿という街を形作っていきます。

「エビスビール由来で恵比寿になったんですか。知らなかった! ……これは、メンバーに言いたい」。恵比寿は、LDH JAPANのある中目黒からもほど近く、翔平さんの縄張りでもあるそうで、長崎出身の翔平さんでも土地勘のあるエリア。「近くにビール坂ってビールのネオンがあるところありますよね……あ、あれだ!」

 ビール坂(恵比寿四丁目)はビールを出荷するときに使っていた坂だそう。そのあたりは、ビール坂商店街と呼ばれていると説明を受けると、「そうだったんだ!」とうれしそう。ジョッキ片手に、年下グループに仕入れた知識を披露する様子が容易に想像できます。

 展示も終わりにさしかかったところで、案内をしていてくれた沖井さんが「“ラッキーヱビス”って知っていますか? これがそうなんですけど、えびす様が普通のとちょっとだけ違うんですけど……わかります?」

 
真剣すぎる……いつでも全力です

 ケースのなかのビール瓶をじっと見つめる翔平さん。すると、そう時間がかからずに「……鯛が2匹いますね」。まるで答えを知っていたかのようなスピード感で、聞くと「来た時、えびす様のところで写真を撮ったじゃないですか。その時にふざけて盗人!ってえびす様のビクに手を入れましたよね、で、鯛が出てないって」と、どうだ!といった表情です。


「オレ、ボケていいんで、ラッキーヱビスを!」と翔平さん……では遠慮なく!

 ラッキーヱビスは、現在も数百本に1本の割合で瓶ビールのラベルに描かれているそう。翔平さんは「“ラッキーヱビス”にちゃんと出会いたいな、これからは瓶ビールにします!」とのことでした。


いつかビールを作りたい翔平さん、これは大きな一歩……かも?

 見学は〈過去(歴史)〉の部分から現在へ。恵比寿で35年ぶりに登場した醸造施設を見ながら、ビール醸造のプロセスを知ることができるエリアです。原料となるホップやさまざまな麦芽の香りを嗅ぐことも出来て、翔平さんはホンタイ(タイの嗅ぎ薬)をタッパに持ち替えて、「これはアルコール度数が濃くなりそうな香りがする」「これはちょっと甘い、カラメルだ」と、その嗅覚を発揮します。


ホンタイをホップに持ち替えて