大仁田厚、聖地での50周年記念試合でドリー&西村に敗れるも「古希電流爆破を目標に頑張っていきます」と決意【FMWE】

大きな噴煙が立ち込める

 1996年12月11日、ミスター・ポーゴの引退試合で二度目の復帰を果たす。FMWから飛び出すと、新日本プロレスとたった一人での戦いに挑む。2001年には参院選で初当選し1期務めた。その後、引退、復帰を繰り返したが、2012年に本格復帰すると、曙、高山善廣らと電流爆破で名勝負を繰り広げ、初代タイガーマスクとも抗争した。2017年10月に7度目の引退をするも、1年後に7度目の復帰。2019年2月には両ヒザの人工関節置換術を受け、昨年5月には腹部大動脈りゅうの手術を受けるなど満身創いの体ながらも、古巣・全日本のリングで初の電流爆破デスマッチを敢行するなど、66歳の今でも大暴れを続けている。
 
 当初、50周年興行のリングにはテリーの招へいを熱望していたが、昨年8月23日(日本時間24日)にテリーが亡くなった。聖地での記念興行を開催すべく動いた結果、会場側から指定された日程はテリーの命日である、日本時間の8月24日。運命的な事態に大仁田はテリーの1周忌追悼と兄ドリーの招へいを決断。83歳と高齢のドリーだが、大仁田の熱意にほだされ電流爆破のリングに立つ決意を固めた。これが最後の来日、最後の日本での試合になるのは確実だ。そして、ステージ4のがんと闘病中ながら、師匠ドリーを守るべく西村がパートナーとして出陣を決めた。