特殊詐欺の実行犯はまさに“リアル・アバター” 映画『本心』石井裕也監督「この物語は今描かなければ」
――本作の企画は主演の池松さんからの提案がきっかけだったとか。
石井監督「池松くんから映画化したいと話を聞いて僕も原作を読み、さすがだなと思いましたね(笑)。原作者の平野さんに直接お願いできたことで僕たちの思いをしっかり伝えさせていただき、映画化の話を快諾頂きました。完成作もとても喜んでくださったみたいで…もちろん“本心”かどうかは分かりませんけど(笑)」
――原作を読んで映画化したいと感じたポイントは?
石井監督「原作の素晴らしさはまず、コロナ禍以前に着想して執筆されたものだということ。コロナ禍を機にテクノロジーがさらに進歩したけれど、一方で世の中がより複雑になって、この先どうなるのかとかこのままでいいのかとか、将来や現状への意識もだいぶ変わったと思います。こういう状況を見越した上で書かれたような小説でした。今、問題になっている特殊詐欺の実行犯たちなんて、まさにリアル・アバターの悪用と言えるのではないでしょうか。それだけに、原作の2040年代という設定を“今日と地続き”の2025年に変えたかった。平野さんが描かれていた世界に時代が急速に追いついてきていましたから、今やらないと間に合わないと思って。映画は公開まで1年はかかりますから、何とか2024年中の公開に間に合わせようと急いでプロジェクトを進めたんです」
監督の読みは的中。映画公開の時期は、日本における「生成AI元年」とも言えるタイミングに重なった。
石井監督「アメリカの動きを見ていれば、日本も少し遅れて同じ道を進むのは予想できますからね。もうこの世界の流れは止まらないでしょう。一方で、AIが広がるスピードに追い付けていない部分、まだ十分に議論がされていない部分もあります。AIが人類の知能を超えるかどうかはやたらと話題に上がりますが、ではそうなった時に人間の心はどうなるのか。人間としての誇りや自尊心、良識などはどうなっていくのか、そういったことは実はほとんど考えられていないと思います。今回、いち早く映画表現としてこのテーマに切り込めたことは自分でも大きな意義を感じています」
――池松さんと、仮想と現実の境界についても話し合ったとか?
石井監督「仮想空間上で誰かと誰かのアバターが婚姻関係を結ぶことはありえます。現実世界とは別の世界での結婚です。むしろそっちの世界を現実だと考える人は必ず現れるでしょうね。例えば有名人の遺伝子データをどこからか入手して“子ども”が作られるかも…。これから現実とそうではない世界がごちゃごちゃになっていくだろうねと、池松くんとは、そんな話をしましたね。
見方次第では、宗教などは仮想現実と言えるかもしれない。好きなフィクションの世界観に浸って生きるのも同じことです。理想の姿で理想の空間で過ごすことに幸せを覚えて、そっちの人生の方がメインになったら、仮想空間のほうこそがその人にとっての“現実”になる。そうなったらもう“実存”とは何だという話になってきますよね、きっとその人に、リアルの世界こそが現実だと言ったところで話はかみ合わないでしょう。
今だって例えばトランプのような人が、自分に都合の悪いメディアのニュースをフェイクだと断定し、それを信じる人と、そうでない人は全く別の“現実”を生きているわけです。現実の定義がどんどんあいまいになり、それぞれの現実がかみ合わず分断が広がっていくそのとき、もはや自分がマジョリティー側にいられる保証なんてどこにもありません。自分の考えや立場が、突如としてフェイクだと断定される可能性だってあります」
――仮想空間上の“自分だけの現実”がすれ違っていく世界…奇妙な恐ろしさを覚えますが、一方でもともと人の“本心”なんてどこにあるか分からない、不可侵な世界だとも言えます。
石井監督「そうですね。今回の小説と映画のテーマも、つまりはそういうことなんですよね。結局、僕がこれまでずっと向き合ってきたことじゃないか、という(笑)。AIなどの新しいテクノロジーに興味はありますが、表現者としては、それが人にどのような波紋を及ぼすのかのほうにより関心があります。
今回、台本の表紙は美術スタッフが生成AIで作った画像なんです。母親、自由死、近未来、といったプロンプトを入れて作ったらしいんですけど。41年間、アナログ中心の生活を送ってきた僕にはそうやって創作物が出来上がることが少々気味悪いんですけど、今後はそれがごく普通のことになるでしょう。AIが作ったクリエイティブが普通になったとき、僕らが経験してきた現実の大変さや、そうして得た人生の醍醐味を説明しても伝わるんだろうか…、ほとんど無意味なものになるのでは、なんてことを考えました。
いずれ既存の倫理観も通用しなくなっていくんじゃないでしょうか。しかし、そんな流れに立ち向かうには、現代日本人の“背骨”はあまりに脆弱な気がします。僕も自分を倫理的な人間と言うつもりはないですけど、それでも人に迷惑をかけないとか挨拶をきちんとするとか、祖父母から昔からの日本人の実直さを教わってきたつもり。でもそういったこともやがて意味をなさなくなっていくのかもしれない。今、僕には6歳の息子がいるんですけど、この先に向けて何を伝えるべきかということをよく考えますね」
――その答えは?
石井監督「とにかく自分の頭で考えて、どんな状況でも最善を尽くして、全てを楽しもうとする明るい心かな。やっぱり最終的には“明るさ”だと思います。これの大切さを最近はとても強く感じています」
あらゆるものにAIが介在する時代。相手の“本心”が見えなくても、強い“心の背骨”を持ち続けることが求められるのかもしれない。本作はまさにそれを育む対話を生み出す作品となるはず。
石井監督「ぜひ映画を見て感じたことについて対話していただけたら。ネット上で、自分は好きだ、自分は嫌いだとぶつけ合うだけでは本当の対話は生まれず、それこそ分断が進むだけだと思うので。僕は“not for me”って使い方によってはすごく嫌な言葉だなと思うんです。その一言で終わらせていたら、きっと何も生まれない。昔つまらないと思った映画をもう一度見てみたらすごく響いたとか、人間ってそういうこともあるじゃないですか。不完全だったり予想外だったり、そういうことの積み重ねが人生の面白さなんじゃないかなと思っています」
(TOKYO HEADLINE・秋吉布由子)