GENERATIONSの数原龍友がソロ名義KAZでアルバム! リアルと等身大を反映した『STYLE』で届けたいこと
刺激的だったアメリカでの制作
ーーアメリカですごくいい時間を過ごされたんですね。さてDISC1に収録されているのは「Pasific Love Memories」の日本語バージョン、カバー曲の「ハリケーン」を含めて全9曲。制作過程ってどんな感じだったんでしょうか。
KAZ:GENERATIONSのライブでバンドマスターを担当してくださっていて自分のストリートライブとかBillboard Liveの時もずっとギターを弾いてくれてるギタリストのSho Kamijoさんと話し合いながらです。普段からこの曲いいですよねとか、この人知ってますかとか、そんなことを話しながら、どんな曲をやっていきたい曲か伝えると、Shoさんは自分の好みを理解してくださっている方なので、突然デモを作っちゃいましたって送ってきてくれるんです。それが良くて……それでメロディーを乗せるみたいな作り方が多いかもしれないです。その中で楽曲の雰囲気に合う自分がお願いしたかった方だったり、Shoさんが勧めてくれた方とディスカッションしながら作ったりもします。やり方は決まっていないけれど、自分の意志とか自分の考え、自分が抱いている葛藤、心の中で起きた変化……そういうのも全部お話しした上で書いていただいています。本当にみんなで作ったアルバムです。
ーーそのなかでアメリカで制作した楽曲というのは?
KAZ:「Pacific Love Memories」と「No Matter What」ですね。アメリカのロサンゼルスとヒューストンという場所で録ってきました。
ーー「No Matter What」はゴスペルのナンバーですね。
KAZ:この曲はアルバムの最後になるような壮大な曲を作りたいというキーワードをShoさんに渡して出来上がった曲なんです。それだったらゴスペルじゃないかなってShoさんがアメリカにいた頃のコネクションを駆使して曲を書いてくれたPercy Badyにたどり着いて。Percyさんがいらっしゃるテキサス州のヒューストンまで行って、黒人のコーラスさんたちの中に一人ポツンと混ざって歌っています(笑)。
ーーこれまでに本場のゴスペルの方とのコラボや共演、レコーディングの経験は……?
KAZ:ないです。だから刺激的でした。コーラスを入れてくれたクワイア(聖歌隊)のチームの皆さんは本当に愉快で音楽が大好きでゴスペルが大好き! 誰かが手拍子し始めると歌い出すんですよ、たとえレコーディングをしていない時間でも。僕も、とりあえず手拍子で入って邪魔にならない程度のベース音をブンブンって奏でて参加してみたり、とりあえず入ってみるようにしたんですけど、そういうのが楽しかった。
ーー「KAZ!もっと来いよ!」みたいな感じ(笑)?
KAZ:そういうテンションだったので、くらいついていきました。その後に自分のレコーディングがあるっていうことを忘れてしまうぐらい一生懸命だったので、自分の時はぐったりっていう。結構な時間、多分4~5 時間レコーディングをしていたと思うんですけど、それでも合間はみんなで歌って大騒ぎ……。 実際にその場でその温度とか熱量を感じながらレコーディングできた方がもっと曲を大事にできると思いました。そういう留学にもしたかったので、本当にいい経験になりました。
ーー歌うこととは別に、これ以前にゴスペルだったりその周辺のカルチャーとの距離は?
KAZ:聴くのは好きみたいな感じでした。なので、レコーディングに行く前に、Shoさんがギター留学をされていた時にギターを弾いてた教会に実際に行って、みんながゴスペルを歌ってるのを見たんです。本当にすごいもの見たなっていう経験で、感銘を受けました。ゴスペルという音楽がなぜグラミーにノミネートされるのかっていう理由が分かったというか。1週間の罪を懺悔して、歌って。涙流しながらね。そこにいたアジア人は僕たちだけだったんですけど、すごい歓迎してくれて。あの経験は「No Matter What」を歌うにあたって貴重な体験でした。
「キツい」と思った時に聴いた「Go Your Way」
ーーこのアルバムにはそういう貴重な体験や経験がたくさんありそうですね。
KAZ:ありますね。「Go Your Way」では不思議な経験をしました。アメリカに行く前にある程度仕上げてた曲なんですけど、これから何かにトライしようとか新しい一歩を踏み出そうとか、そういう挑戦をする勇気がない方に細かいこと気にせず行っちゃえみたいな楽曲なんです、極端な話。まさにそれって自分に向けた楽曲で。
自分の中ではここしかない、これをきっかけに何か人生が変わればいいなって思って行った留学でしたけど、手続きは全部自分でやったので分からないことだらけでしたし、本当に一人で 3カ月生活できるのかってちょっとばかしの不安もあったし、でもそれを超えていくワクワクみたいなのもあって。自分が選んだ道が間違っていたと思いたくなかったし、自分に大丈夫だって言い聞かせるために作った曲でした。実際アメリカでキツいなーみたいな状態になった時に聴いたら、そうだよなって思えたというか、気にしなくていいって思えたんですよ。自分で書いておきながら意外と助けられた。きっとそういう状況にある方にとって救いになるような、前向いて顔を上げられるような曲になってくれるんじゃないかなって確信できたんですよね。帰ってきて歌を入れた時、それは間違ってなかったなって思えました。
ーーいい経験をしましたね。なかなかできないと思います。