デフサッカー日本代表の松元卓巳主将が言葉を詰まらせ「今まで一緒に戦ってきた仲間にも着させてあげたかった」
この日の会見もサッカー日本代表と同じバナーをバックに行われたのだが、今年で代表歴が19年目となる松元は「代表になったのは鹿児島実業高校2年生の時。その時には私の周りにはプロだったり、年代別代表選手もいたんですが、彼らに“八咫烏のウェアが支給されるからリュック1個くらいで行ける”と聞いていたんですが、合宿に参加する時に“お金を振り込んでください”とか“練習着を持ってきてください”とか、どういうこと?みたいなことから始まった。そこから大会に出るたびに毎回、ユニホームも自分で買っていた。サッカーはユニフォーム交換をする文化があるので、海外の選手は日本にも求めてくるんですが、我々は1枚しかないので交換したら次の試合に出られないので“ノーサンキュー”と言っていた。それが、今も覚えているんですが2023年4月のニュースで、7つのパラサッカー団体が同じJFAのユニホームが着れるとなった(絶句)。自分が現役の時に着れるとは思っていなかった。子どもたちにそういう環境を作りたいと思って動いていたところ、自分も着れるということが実現して。ちょうど宮崎に合宿に行くバスの中でそのお知らせが入って、その時の気持ちは何とも言えないんですが、それまでの苦労が一つ実ったなという部分もありました。逆に今まで一緒に戦ってきた仲間にも着させてあげたかったという思いもありますし…。すいません。本当に僕にとっては大きな一歩。さらに今年は国立でクリアソン新宿さんと試合ができる。今までは想像もできないようなことが最近続いている。世界一を獲ると言いながらも予選を突破したこともないチームが、2年前に初めて決勝まで行って、世界一が現実として見えるところまで来たということも、いろいろあったんですが、やってきてよかったなという部分はあります。吉田さんもおっしゃっていたが、そういう時代があったからこそ今の時代があるということを今の若い選手や新しい選手たちに受け継がなければいけない。この環境に甘えたり満足することなく、もっともっと日本サッカーは強いんだということをいろいろな方面から世界に発信できるようにならないといけない。そういう意味でも大きな一歩。こういう場所も感謝してます。以上です」と時折り言葉を詰まらせながら語った。