歌手60周年の加藤登紀子「ヤバい人が大好きなの(笑)」昭和の歌姫・美空ひばり、中島みゆき、中森明菜との絆を語る

「私はいつも仕事を“ピクニック”って言ってるんです。ピクニックって“楽しい仕事”という意味で使うこともあるでしょ。仕事している時間は最大限に楽しむというのが私の主義なんです」と朗らかに笑う、歌手・加藤登紀子。現在81歳。ギターを片手に忙しく走り回る日々を茶目っ気たっぷりに“ピクニック”と呼ぶ。そんな彼女が、歌手活動60周年の節目となるコンサートに込める思いとは。

撮影・田辺虎太朗

業界から離れる覚悟の獄中結婚、活動再開のきっかけは夫・藤本氏の言葉

「でも仕事をそういうふうに楽しめるようになったのは結婚してからかな。デビューしたてのころはまだ若いし、分からないことばかりで途方に暮れることも多くて、しんどいなと思ったこともたくさんあった。歌手60年のうち最初の6~7年は、売れなきゃというプレッシャーもありましたしね。やっぱり事務所やレコード会社、プロダクションと、大勢の人に支えてもらっているわけですから。でも、まつげをつけなきゃダメとかアイラインは1センチ以上描かないとダメとかまで言われるのは辟易しました(笑)。テレビ番組でレギュラー出演していたときは“君はメイクに時間がかかりすぎる”とかお説教されたことも。だから私は当時、本当に自分に自信が無かったんです。

 だけど今、振り返ってみると私が苦労したそのころというのは、何もかもが始まる時期だったんですね。テレビ局に民放ができてカラー放送が始まって。当時、レコードデビューする人は“流行歌”という区分で、3カ月ローテーションといって3カ月に1枚、レコードを出すんです。こういう世界のことを何も知らない一人の新人歌手を、たくさんの人が育ててくれる。中でも欠かせないのが曲を作ってくださる先生たちです。当時も、歌手にとって人気の作詞家さん、作曲家さんから曲を頂くのは最高の喜びで、私も多くの先生たちから素晴らしい曲を頂きました。一方で、私は自分で曲を作りたいという気持ちもずっとあって、葛藤していた時期もありましたね。でもレコード大賞を頂いたりしてだんだんシンガーソングライターとしての形ができてからは、どんどん自分で表現できるようになっていきました。とはいえ、そうなると今度は自分の曲でヒット曲を出さないといけないから、それもまた大変なんですけど(笑)。実際、私は最初からシンガーソングライターとしてデビューしたわけじゃないし、もともと作詞や作曲を勉強していたわけでもなかった。ギターだってデビューするまで弾けなかったんですから(笑)。だから歌手になってからアタフタと身につけていったことばかり。でも時代が丸ごと、そんな感じだったんですよ。何もかもがスタートライン、というような。大変だったけど、だからこそいろいろ挑戦できたのかもしれません」

 歌手としての地位を確立するまでを振り返りつつ、運命的な出会いに苦笑する。

「曲がヒットして、レコード大賞も頂いて、自分なりのスタイルを作ることができた…にもかかわらず、私は一切を捨てる覚悟で結婚してしまったんですよね(笑)」

『ひとり寝の子守唄』に続き『知床旅情』で2度目の日本レコード大賞歌唱賞の受賞を果たした翌年、公務執行妨害などで中野刑務所に収監されていた全学連の活動家・藤本敏夫氏と獄中結婚。

「藤本と出会ったのは、ちょうどヒット曲が出なくてどうしようかと考えていた時期でね。私は一体何をしているんだろうと、自分がいる世界と彼がいる世界のギャップには、すごく苦しみました。でも悩みながらも、歌手って結局どういうことなのかは分からないけど、歌手をやろうとするのではなく、私は私をやればいいんだという気持ちになった。だから結婚したときも、きれいさっぱり違う人生を始めようという覚悟だったんです」

 周囲の理解も得て、音楽から離れる覚悟で決意した結婚、出産。しかし…。

「子育てをしていると、やっぱり歌いたくなるんです。歌を作るのがあんなに苦痛だったのに。もう、いくら絞っても何も出てこない雑巾みたいだったのが、子供と向き合っているうちに、いろいろな思いやイメージが湧き上がってくるんですよ」

 長女を出産した翌年、音楽界に復帰。育児に家事に音楽活動に、と目まぐるしい日々が始まったが…。

「1974年に藤本が出所してきて、やっと夫婦生活が始まったんですけど、彼が“とても見ていられない”と言ったんです。このまま子育ても仕事も両方ちゃんとやるのは大変すぎるから、どちらか選んだらどうか、って。でも、一度離れる覚悟したのに結局、歌いたくて歌い始めちゃってるわけだから、私はもう歌をあきらめることはできない。それを言ったら、分かったと言って、彼のお母さんと一緒に家のことをサポートしてくれて。それで私は歌手に専念する時間を持てるようになったんです。…なかなかいいヤツでしょ(笑)」

 妻の“ワンオペ”という言葉もまだ生まれない時代。“歌手・加藤登紀子”を一番近くで応援するファンこそ藤本氏だったのかもしれない。

「それで自分で事務所を立ち上げて新体制を組んだ…と思ったら今度は2番目の子どもができた(笑)。周りは慌てたかもしれないけど、私は何か面白い巡り合わせだなと思って。念願の2人目だし、まだ事務所も立ち上げたばかりで準備できてないことも多いし、のんびり両方楽しみながらやっていこう、と思ったんです。だから、自由に再出発してからは今日までずっと“ピクニック”(笑)。やっぱり子育てしている時間は無我夢中になってしまうので、仕事をしているときは解放感でいっぱい。だからいつもワクワクしながら仕事に行くんですよ。そんな感じでいつも何かバタバタしてるものだから、Yae(シンガーソングライターとして活躍中の次女)なんて、お母さんは何をしている人なんだろうとずっと思ってたみたいです。家事もするけど、歌を作っていたり詩を書いていたり、かと思うと焼き物をしていたり。一体何なの、この人は、と(笑)」

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