日本の国際NGO「ピースウィンズ・ジャパン」がミャンマー地震の支援活動を報告。日本での報道の少なさに「関心を持って」と「災害の記憶の風化」へ警鐘

ミャンマーのマンダレーでは地震で建物が倒壊(写真:ロイター/アフロ)

 特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンが4月28日、東京都・霞が関の厚生労働省内で会見を開き、3月28日に大地震が起きたミャンマーの被害の状況や被災地への支援の状況を報告した。

 ピースウィンズ・ジャパンは1996年に日本で誕生し、世界41の国と地域で活動してきた日本初の国際NGO。紛争や貧困、災害などによる人道危機や生活の危機にさらされた人々への支援を行う「海外事業」、被災地でのレスキュー活動、医療・物資・避難所運営支援などの「災害支援事業」、犬の保護・譲渡を行う「保護兼事業」の3事業が柱となっている。

 この日の会見には「空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”」のプロジェクトリーダーを務める医師の稲葉基高氏とピースウィンズ・ジャパンの海外事業部長の山本理夏氏が出席した。

 今回の被災地支援については医師の稲葉氏と看護師3名、医療的なロジスティックのスタッフ1名の5人のチームが医療活動を行った。ミャンマーは現在、紛争状態が続いていることもあり、なかなかビザが下りず、結局、ミャンマー入りしたのは発災から1週間後の4月4日。17日までミャンマー中部のザガイン地域で支援活動を行ったという。そのうち診療期間は6日から16日まで。

 現地の状況について稲葉氏は「日本なら発災から1週間経った段階で、まだ路上で人が寝ているということはありえないと思うが、私たちが行った時は潰れた家の前でブルーシートの上に屋根もなく寝ていらっしゃる方がたくさんいた」と劣悪な環境での避難状況を報告した。

 医療活動についてはお寺の敷地内に3つのテントを張り、1日に20~30人、10日間で延べ198人の患者を診療。その76%が骨折、裂創、感染創といった外傷患者だった。稲葉氏は「能登半島地震の際には翌日から現地で診療していたが。1週間後には骨折などの患者はほとんどいなかった。ミャンマーでは1週間経って、まだ医者にかかっていない骨折の患者が何人も来た。開放骨折のまま1週間、そのまま家にいたという人もいた。開放骨折は骨が折れて外に飛び出している状態。感染症で死に至る恐れもある。日本だったら6時間以内に緊急手術を行うのが原則だが、そういう方が1週間たってもまだいた」などと語った。

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