日本の国際NGO「ピースウィンズ・ジャパン」がミャンマー地震の支援活動を報告。日本での報道の少なさに「関心を持って」と「災害の記憶の風化」へ警鐘

今回の支援活動の中で大変だったこととして「被災地までたどり着くのが大変だった。これくらいの規模の地震だと多くの国際支援、国際医療チームが入っているのが常なのだが、今回は支援に入る国はかなり選ばれていた。特に被災が一番大きかったザガイン地域で活動できていたチームは私たちが行った時は我々だけだった。いわゆる西側諸国といわれるチームはマンダレーとか震源に近いところに入っていくことも難しかった。それは政治的な理由などが背景にある、そういうことが緊急支援においても影を落としてたと思う」とミャンマーの政治情勢が支援におけるスピード感の妨げになっていたことを示唆した。
この西側諸国が入れない中での他国の支援状況については「私たちが行っている間に支援活動を展開していたのはロシア、インド、シンガポール。それから日本の国際緊急援助隊がマンダレーの中で、いわゆるEMTと我々は言っているが、WHOに認証された国際チームとして展開していた。ザガイン地域にはWHOの本部のようなものがあり、そこと連絡を取りながら国際支援としてやっているチームは我々だけだった」と説明した。稲葉氏らが1週間後とはいえ、現地に入れた理由については「今回はロシアと、中国のチームが我々が入る前に入っていた。それからアセアン地域と日本のチームが入れた。我々も日本のチームだったというのが大きかったと思う。我々は現地ミャンマーで政府から登録を受けている現地のNGOと連携することで中に入って活動できた」とのこと。
気候においても「今回はテントでやっていたが、そこにエアコンを効かせるような装備を持っていくことは難しかった。テントの中は38~39度。扇風機は回したが熱風が吹いてくる。湿度70%という状況、なかなか過酷だった」と振り返った。そもそも電力については「紛争下にあって、地震の前からザガインには1日1時間くらいしか電気が来ていなかった。水道も十分来ていないと聞かされた。そういうライフラインが十分にない中でどういう医療活動をするか。ザガイン地域に住んでいる方も普段から発電機などを使っていたが、地震後には燃料も入りにくくなっていた。想定はしていたので大型のポータブルバッテリーを持ち込んだ。それで医療機器に必要な電力をカバーしていた。ただエアコンを回すほどの電力は確保できなかった」と現地の状況を語った。