長島昭久のリアリズム「ポスト参院選の争点–憲法改正について」

 前回から在外邦人の安全確保のための法制度をめぐる内閣法制局の憲法解釈の問題点について短期連載を始めたばかりですが、今回は、参院選直後ということもあり、いよいよこの秋にも政治日程に上がって来る憲法改正について私見を明らかにしておきたいと思います。

 私は初当選以来、自らの重点公約として憲法改正を主張して参りました。もちろん、現行憲法は評価すべき点も沢山あります。しかし、いかんせん戦後の混乱期につくられたこともあり、60年余を経て当時の憲法制定者の予測をはるかに超えた新しい社会状況に対応しきれなくなって来たことは誰の目にも明らかです。したがって、新しい社会状況に鑑み、プライヴァシーの権利や環境権、知る権利、さらには犯罪被害者の人権など、「新しい人権」を憲法の明文規定に加えることにより、憲法の第一原理である基本的人権の保障をさらに深化させて行く憲法改正を否定する方はいないと思います。この点は護憲派の方々にも真剣に考えていただきたいと思います。

 一方、第9条に象徴されるように、憲法条文と現実のギャップがますます拡大し内閣法制局を中心とする辻褄合わせの解釈改憲によって、かえって憲法が空洞化することに危機感を覚えます。他にも、特に統治機構をめぐる憲法規定には数多くの改善点があると思います。まず、二院制です。現行のように選ばれ方(選挙制度)も役割も同じ衆議院と参議院では、そもそも二院制の意味はなく、審議の停滞を招くばかりです。しかも、衆議院の多数によって内閣を構成する「議院内閣制」は、本来は政治を安定化させる仕組みであるにも拘らず、参議院が強すぎるため、衆議院に対する事実上の拒否権を行使することによりかえって政治が不安定化する事態を招いています。衆参の役割をガラリと変えるか、一院制にしなければ「ねじれ国会」の弊害は永遠に続くと思います。

 また、地方分権も長らく叫ばれてきましたが、憲法92条以下の規定により自治体の組織も運営も財政もすべて国の法律によってがんじがらめの現状では、分権改革は掛け声倒れに終わってしまいます。今こそ「公共部門が負うべき責務は原則として最も市民に身近な公共団体が優先的に執行するものとする」との欧州自治憲章(欧州30カ国余が批准)に謳われた「補完性の原理」に基づいて憲法改正すべきです。すなわち、自助・共助を補完する公助はまず身近な自治体によって、それでも解決されない問題を広域自治体(たとえば、道州制)で、国は外交安全保障や通貨、教育水準の確保など限定的な役割を担うような真の分権社会を実現させるのです。(つづく)
(衆議院議員 長島昭久)