忘れかけられた被災地・千葉を行く 第15回「TEAM−11」リポート

 自由民主党の青年局が昨年2月11日より行っている東日本大震災の被災地訪問事業「TEAM−11」。その第15回が8月11日開催された。今回の訪問地は千葉県旭市。女性局との合同開催となった。

 TEAM−11が東北以外で訪問するのは今回が初めて。

 千葉県は東日本大震災では津波や液状化の被害を受けた。旭市では津波で13人の死者と2人の行方不明者が出た、れっきとした被災地なのだが、被災地としての認知度は低い。

 視察は飯岡刑部岬展望館から。ここからは津波に襲われた海岸が一望できるとあって、当時の状況と復興の進行具合の説明を受ける。展望館の2階のパノラマ展示室では津波が起こった前後の写真が展示されており、メンバーはその生々しい風景を目に焼き付けていた。

 そして津波被害に遭った海岸沿い、三川地区の避難タワーを視察する。この避難タワーは津波が起こったときに緊急避難するために建設されたもの。高さは13mで定員は100名。ふだんは入り口が閉鎖されているのだが、「有事にはふだんやっていること以上のことはできないのでは?」「いざというときにパニックにならないようにふだんから意識されていないといけないのでは?」「一人でも多くの人に実際に上がってもらっていたほうがいいのでは?」というTEAM−11の面々の矢継ぎ早の質問と提案に市の担当者がタジタジとなる場面もあった。

 そして横根地区の仮設住宅を視察し、住民との対話集会が開催された。旭市は横根に150戸、旭に50戸の計200戸の仮設住宅があり、現在では80世帯の181人が住んでいるという。

 青年局局長の小泉進次郎氏は2011年4月にいち早く旭市を視察。当時はまだ避難所だった同所にも足を運んでいた。

 小泉氏は対話集会の冒頭、地元・横須賀でのエピソードを語る。それは「地元の人々に“今月の11日はどこへ行くんですか?”と聞かれたときに“千葉です”と答えると、“なぜ千葉へ?”という声が返ってきた」というもの。

「千葉県が被災地であるということが忘れられている。だからこそみなさんの声を吸い上げて、与党自民党としてその声が反映されるようにしっかり取り組む機会にしたい。みなさんの声を国会に届けられるように、忌憚のない意見を聞かせていただきたい」と挨拶し車座での集会が始まった。

 まずは「千葉も被災地ということを言い続けてくれて心強かった」と、「飯岡で一番おいしいおせんべい」を手土産に小泉氏にお礼を言いに来たという母娘のほのぼのとした話から始まった集会だが、住民からはせきを切ったようにさまざまな意見がTEAM−11の面々にぶつけられた。

「廃業も考えた」というせんべい屋さんの社長が「雇用の問題に対する不安」を口にする。「防波堤は土盛りでは意味がないのではないか?」という意見には旭市の明智忠直市長が「このへんはコンクリートで作る」と答える。まだまだ不満そうな住民には司会進行を務めたTEAM−11の熊谷大参議院議員が地元宮城の例をあげ、防波堤を作るにあたっての調整の困難さを訴えた。
 来年完成予定の「復興住宅」への入居を考えている住民からは「条件の厳しさ」を訴える声が出る。

 津波の被害で休業中の国民宿舎「いいおか荘」の復活を望む声を追いかけて「かんぽの宿より、いいおか荘を先に再建してくれ!」という声も上がる。

 これには市長も「かんぽの宿は市が運営しているものではないので…」と答えるしかない。ここで登場したのがTEAM−11で柴山昌彦総務副大臣。「かんぽの宿は完全に民営化されていて、そこに貴重な市税などが使われているわけではないので」と市長に助け舟を出す。

 いいおか荘というシンボリックな問題だけに住民も頭では納得しても、感情では収まらない部分もあるだろう。それでも「なんとかならないのか!!」という住民の気持ちがびしびし伝わってくるシーンだった。

 隠れた被災地として、ふだん注目されることが少ないだけに、積もりに積もった住民の思いが一気に吹き出した形の対話集会。

 小泉氏は千葉県が被災地と認識されにくい理由として「旭市の取り組みがうまくいったこと」を上げる。確かに旭市は震災の前年に地元の産廃業者と防災協定を結んでいたことによって、がれきの撤去などがスムーズに運び、小泉氏が訪れた時は被災地とは思えない状況だったという。仮設住宅もあらかじめ土地を確保してあったことから震災発生後のたった2カ月で完成したという。

 そして東北の被害があまりに大きく、被災地といえども東北の人たちのことを考えると声高に「私たちも被災者です」とは言えなかった旭市の人々の思いをくみ取り、「相対的に被害が小さくても、そこで困っている人たちに何ができるのかを考えるのが政治の役割。今日聞いた意見をしっかり受け止めて、これから結果を出せるように頑張っていきたい」と語った。