【インタビュー】橋本愛 その“痛み”を、きっとあなたも知っている—。
「タイトルに引かれて読んでみたんです」と、原作との出会いを振り返る橋本愛。
「当時は高校生だったかな。別にそのとき退屈だったとか、迎えに来てほしいと思っていたというわけではないですよ(笑)。でもふと目に入って、詩的な感じやリズム、何かを渇望するような叫びを感じて。どんなふうに“叫んで”いるんだろうと気になったんです。読んでみるとそこには、いろいろな女の子たちのいろいろな切なさが描かれていて、小さく痛いんですけど、その痛みがいとおしく思えて。読後、いくつもの場面の情景が浮かんで、心地いいなと思ったことをよく覚えています」
橋本の心の琴線に触れた理由とは。
「書かれていた出来事に共感したというよりかは、その空気感や痛みを私も知っていると思ったんです。登場人物と同じ状況を経験したわけではなくとも、彼女たちが受けた痛みを知っている、と。自分の心がヒリヒリして何かをあふれさせたくて、でも何も破壊できない爆発力みたいなものを、自分のなかにも見覚えがあるなと思ったんです。共感というより、見覚えあるなあ、という感じ。私は映画や漫画でも、痛みを感じるシーンが好きなんですよ(笑)。多分、なぞりたいんでしょうね。痛みを思い出してあげたい。私は痛みを知らずに人を傷つけてしまうことのほうが怖いから、そういうものを無意識に求めてしまうのかな、と思っています」
そんな1冊が映画化すると聞いて…。
「あの本を映画化するんだ!と、驚きましたね。自分が好きな小説や漫画が映画化決定と聞くと、おお!ってなりません?(笑)。そんな読者気分の驚きと、その作品に携われるという役者としての幸せと、ダブルでうれしかったです。山内さんの作品と廣木監督が出会ったときにどういう作品になるんだろうというワクワク感もあって、本当に楽しみでした」
何者かになりたくて東京で10年暮らした後なんとなく実家に戻った27歳の“私”(橋本愛)は、高校時代の同級生サツキ(柳ゆり菜)と会ったその日、話の流れで当時みんなのあこがれだった男子・椎名(成田凌)に会いに行くことに。一方、地元に残った“あたし”は高校時代の元カレ椎名をいまだに忘れられずにいた…。
「小説を読んだときの、痛みを愛おしく感じるという感覚が、大きなスクリーンとフジファブリックさんの音楽で増幅されて、あの愛おしさが膨らんでのしかかってきて。本当に気持ちのいい映画体験だなと思いました。本当に皆さんに見てほしいと思って届けられると感じることができたのがうれしかったですし、何より山内さんから正直な感想としてうれしい言葉も頂いたので、成功したんだと思いました。廣木監督ならではの作家性も感じられて、映画ならではの表現も生きていて、原作と両立できていた。理想的な映画化になったんじゃないかなと思いました」
“わたし”たちの物語は時代を交差させながら語られていく。橋本は高校時代と27歳をごく自然に演じ分け、その間の年月を感じさせる。
「撮影は基本的に最初に高校生のシーンを撮ってから27歳のシーンを撮りました。私自身は高校生と27歳の間の年齢なので、そのどちらでもないという不安はあったんですが、逆にどちらでもないから両方できるんじゃないか、と思うようにしました。自分より上の年齢については、どうやっても埋められない時間がありますから、実際に生きたことの無い時間を埋めるというよりは、その瞬間、彼女が思ったことを伝える、表現することに専念しようと思いました。ただ、高校生は…あのころに戻れるかな、と(笑)。でも制服の魔法がかかったというか、制服を着ると気持ちが服に合うんです。人って面白いものだなと思いましたね。ただ、ルーズソックスは時代が少しずれていて履いたことが無かったので、合わせるのにちょっとパワーが要りました(笑)。でも、あれを履いているこの子たちがすごくかわいいなと思いました。ルーズソックスってギャルというか女の子パワーにあふれている子たちが履くイメージがあったんですが、彼女たちのように地味な子たちも履いているという、そのアンバランスさがかわいいな、と。なので私が、そこまでルーズソックスを違和感なく履きこなせていなくてもいいのかな、と思いましたね。違和感がありながらも周りに合わせて履いているということでもいいな、と」
ルーズソックスの似合う女子、みんなの人気者、東京での暮らし…いろいろなものに憧れた彼女たちの思いは、誰もが覚えのあるものばかり。
「“私”は、東京という街に漠然と何かがあると期待して行き、でも何か自分の中に具体的な夢とか欲しいものが無かったから何でもある東京に何にも見つけられなかったという、ある意味むなしい女性ですけど、逆に私は東京に行きたくなかった人間で、もともと家族や友達がいる地元から離れたくなかったので、東京への思いにも、いろいろな形があるなと思いました。いま私は、東京でも地元でも、どこにいてもそれなりに自分が満たされる過ごし方をできるようになったと思います。でも、ここが私の居場所です、と根を張る場所はどこにもないという思いもあるんです。絶対的な居場所なんてものは一生見つからないんじゃないかな、と」
どこにいても自分は自分。痛みを知る者は、きっと強い。そんな橋本にとって居場所とまではいかなくても、東京で居心地よく感じる場所は?
「田舎の温かさを感じる場所かな(笑)。東京にも、田舎のお婆ちゃんみたいな人がいるんです。おいしいご飯を出してくれたりして、祖母の家を思い出すような。それでいて都会の人らしい距離感や対人スキルがあって、気持ちを読んでくれて…。東京にいる田舎のお婆ちゃんって最強かも(笑)。昔は、都会から離れて自給自足の生活でもしてみたいと思っていたんですが『リトル・フォレスト』で1年間、農業をやらせていただいたときに、なんて甘いことを考えていたんだろうと思い知らされました(笑)。女優という仕事もできれば一生続けて行きたいと思うので、東京の近くに住んで、ちょっと自然に癒されるくらいが一番いいかな、なんて思います」
世界中のどこにも完ぺきな居場所なんてきっと無い。
「欲とか夢は、持った瞬間に自分を喜ばせるものにも苦しめるものにもなる。完全に無欲になれば心は楽になるんだろうけど、でもまだそれだと退屈だと思っちゃう(笑)。だから自分の持った欲を否定せずにいよう、と思います。もがいている人の姿が好きだから、痛みが愛おしいから、痛みを感じている自分も悪くないと思えるし」
これからも小さな痛みも忘れずに女優として深みを増していくに違いない。では、そんな痛みを感じた時に橋本が口ずさむのは…?
「それ、言うのちょっと恥ずかしいですね(笑)。でも無意識のときにふと口ずさんでいる歌って、そのときの自分の状況を現してたりすることが多いんですよね。食べ物の歌が出てきたらお腹が空いてたとか、歌詞の中に出てきたものが近くにあったとか。だから痛いと思った時、その痛みを歌った歌を口ずさんでると思います(笑)」
(TOKYO HEADLINE・秋吉布由子)