宇野薫がKIDさんとの思い出語る「僕は彼にあこがれていたんだと思う」
2005年にHERO’Sで対戦「試合中に楽しくなったのはあの試合だけ」
9月18日に逝去した総合格闘家の山本“KID”徳郁選手の「お別れの会」が11月4日、都内の青山葬儀場で行われ、多くの格闘家がKIDさんに別れを告げるため足を運んだ。
2005年にHERO’Sで対戦経験のある宇野薫はKIDさんの訃報を聞いた時に「言葉が出なかった」と話した。
その対戦については「試合中に楽しくなったのはあの試合だけ。試合中、彼の打撃が怖かった。その中で自分がトレーニングしてきたボクシングテクニックをうまく出せた。パンチが当たらなかったことに対してのうれしさもありながら、怖さとのぎりぎりの瀬戸際。それが逆に楽しくなってきた」などと振り返った。
そして「楽しい時期を一緒に過ごさせてもらった。彼のお陰で楽しかった。僕は彼にあこがれていたんだと思う。ファイトスタイルもそうだし、期待に応えられるというところにあこがれていた。交流的なものは現役生活が終わったらしたいとは思っていたが、それはかなわなかった」と悔やんだ。
最後に改めて「KID選手にはありがとうというお礼の言葉しかない。僕はもうちょっと、彼の分とは言わないまでも、まだやらせてもらえるんで、挑戦していきたい」と話した。
堀口恭司「天心戦後に挨拶に行こうと思っていた」
現在、RIZINで活躍する堀口恭司はプロのキャリアはKIDさんの主宰する「KRAZY BEE」でスタートした。入門に当たって「初めて会った時に、“内弟子にしてください”って話をした時に “あ、いーよ。入んな。あしたから荷物持ってきなよ”って感じだったんで、びっくりした。“うわ、なんだこの人!”みたいな、すごい心の広い人でした」と入門時のエピソードを明かした。
堀口はその後、UFCに参戦。拠点をアメリカに移す際にはKIDさんは「“俺も行きたいよ、一緒に行こうよ”って。アメリカで練習している時も何度か連絡が来て、“俺も行ってもいい?”みたいな話をしていました。“でも誰もKRAZY BEEにいなくなっちゃうね”という話もしていました」という。
「最後に会ったのは1年くらい前になります。試合が終わったタイミングでいつもジムに挨拶に行くんです。連絡してるんですけど“何? 今日来んの? 俺ちょっと用あるんだよね。会いたかったよ”みたいな感じですれ違いが多かった。9月の那須川天心戦を見てもらってそのあとに挨拶に行こうと思っていたんですけど、その前に逝ってしまった」と別れを悔やんだ。
お別れの会では「今までありがとうございました、これからも見守っていてくださいと言おうと思っています」と話した。
内山高志「殺伐とした感じがカッコいいと思った」
元プロボクシングWBA世界スーパーフェザー級スーパー王者・内山高志は「格闘技の会場で会って、そこから話すようになった。家も近かったのでたまにバッタリ会うこともあった。知り合って8年くらい。ここ3~4年前から結構話すようになった」とKIDさんとの出会いを明かす。そして「僕が2年前の大晦日に(ジェスレル・コラレスとの)再戦で負けた時、1月1日に五反田の道をしょぼくれて歩いていたら、たまたまクルマで通りかかったKIDさんがクルマの中から“内山くーん”って声をかけてくれて、それでちょっと元気になりました(笑)」と思い出を語った。
選手としてのKIDさんについては「昔からファンだった。あこがれがあった。一番好きなファイターだった。殺伐とした感じがカッコいいと思った」と話した。
山本アーセン「死んだとは思っていない。ただ体がなくなっただけ」
KIDさんの甥で格闘家の山本アーセンは「死んだとは思っていない。ただ体がなくなっただけで、魂は絶対ここにあると思う。だから怒られないように、練習を2倍頑張って、チャンピオンになってやろうと思っている」と話した。
KIDさんの闘病生活については「あの人は本当にびっくりするくらいに最高に戦っていた。1秒もあきらめかけたことはなくて、本当に毎日頑張っていた。横で見ていてやっぱり俺の師匠はカッケーな、って思うくらい。あの人は絶対に弱音は吐かなかった」と明かした。
そして「いまやっと格闘技の事が分かってきたのに、いま逝っちゃうかっていう残念さはあるんですが、その代わり、“やっぱ俺、ここで見せないといけないのかな”って思って、毎日練習に頑張ってます」と話した。
KIDさんからかけられた言葉で大事にしたい言葉を問われると「全部です。一言一言、重いし。あの人、本当に仙人みたい。言うこともやることもすべて神がかってるっていうか、一つひとつ心に刺さるっていうか、一つの思い出だったり言葉っていうのは、選びきれないっすね。みんなにも言いたいんすけど、これは、お別れ会とかじゃなくて、ノリが、一つの場所に、家族を一つの場所に集合させてくれたパーティーなんで、明るく送り出してあげたいなっていうのがアレなんで。明るく送り出してやってください。みんなにもよろしくお願いします」と話した。
高谷裕之「やっと付き合えるようになったなと思ったらこういうことになってしまった」
お別れの会の発起人を務めた高谷裕之はKIDさんとはHERO’Sでともに戦った仲。
「今年の頭くらいに一緒に新しいこと始めようよって話をして、そこからよく会うようになっていたんですけど、突然会えなくなってしまった。結局こういう残念なことになってしまって、何か僕にできることがあるかなと思って発起人をやらせてもらった」と話した。
KIDさんとは「選手育成を始めて、アマチュアからゆくゆくは大きい大会もやりたいなという話はしていた」と明かした。そして「同じ階級で戦っていた時期はあえて交流は持たないようにしていたんですが、やっと付き合えるようになったなと思ったらこういうことになってしまって残念です」と無念の表情を見せた。
選手としてのKIDさんについては「面白い試合をするし、すげえ選手だなと思っていた」と話した。
対戦を希望した所英男は「自分の頑張りが足りなかった」
KIDさんとの対戦を目指していた所英男は「あこがれの人だった。こういうところに来ると、改めて“ああ亡くなったんだな”と思うのと皆さんの話を聞いて、“ああ優しい人だったんだな”と思った。スターになるべくしてなった人だったんだなと感じました」と話した。
KIDさんと対戦したかった理由については「あこがれ。伝説の人とやりたいと思った」と話し、「でも(KRAZY BEEの)山本篤さんにボコボコにされて届かなかったので、あこがれのまま終わりました。自分の実力が足りなかっただけ。頑張りが足りなかったので、この先の人生、そういうあこがれの人ができたらその人に近づけるように頑張っていきたい」と続けた。