【徳井健太の菩薩目線】第21回 窮屈な時代“平成”が終わろうとしている

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第21回目は、平成が終わる今、この31年間に徳井は何を思うのか、独自の梵鐘を鳴らす――。


窮屈な時代“平成”が終わろうとしている
でも、この地獄は「もうちっとだけ続くんじゃ」と思っている



 平成が終わるってのに、いまだに昭和に思いを馳せている人は多いんじゃないかな。俺もその一人。懐古主義者っぽい言い方はしたくないんだけど、昭和はふり幅があって面白かった。平成は、どんどん窮屈になっていった。

 1999年に、NSCへ入学したことを考えると、俺の芸歴は、まさに平成とともにあったわけだから、平成という時代に対して感慨深いものだってある。でも、ツイッター含めたSNSという、“一億層見張り番”なる悪魔のシステムが登場したことで、風向きが変わった。もっとインターネットってのは、知的なもんだと思っていたよ。

 これからの芸人たちは、俺たちとはまた違う時代を生きるんだろうね。数年後、文部科学省推薦芸人とか登場していても、俺は驚かない。国の助成金をもらいながらネタを作る時代が来るんじゃない? 

 しかも、好感度なんていう指標まで浸透してしまった。「写真を撮ってください」なんて言われたら「嫌です」とは言いづらい。“神対応”なんて言われているけど、
本当に神の対応をされているのか疑った方がいいよ。中には、裁きを受けたくないから神のフリをしている奴だっているんだ。

 YouTubeの規制も厳しくなったよね。一体、どこまで規制に拍車がかかるんだろう。新しいものが生まれる度に、新しい規制が生まれる。俺たちが若い頃に開催していたトークライブなんて、今、同じ内容を話したら揚げ足を取られて終わり。悪ふざけはできない。「時代が変わったんだから仕方ない」って言われるけど、そこから学ぶものだってあるってことをスルーし過ぎじゃない? と言っても、今やバカッターよろしく、そんなことをしたら多額の賠償金を背負わされるんだから、何の学びもないか。ただただ大人しく、真面目に生きていく。これほど怖いことはないと思うんだけどね。

 俺たちは、昭和を見て、憧れてこの世界に入ってきて、平成になって”はい、ダメー!”と釘を刺される形になった。綺麗な世界しか見ていない人たちからしたら、そんなことはどうでもよく、ひたすらアウトにしたがるんだろうな。そういう出来事が、最近多いもんね。

 これほどまでに、クレームを入れたもん勝ちの時代になるとは思わなかった。「うるせぇよ」って言えればいいんだけど、そういうわけにもいかない。俺なんか子どもが二人いるけど、そういう視点も踏まえながら、子育てをしているわけ。でも、「子どもたちにとって良い時代か?」って考えると、答えに窮するよね。


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