【徳井健太の菩薩目線】第22回 令和の時代に、俺は幼稚園を作りたい
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第22回目は、新しい時代で徳井健太が成し遂げたいことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
令和の時代に、俺は幼稚園を作りたい
“育てたのに”なんて言葉を口にする親はどうかしている
新しい元号が「令和」に決まった。新しい時代だからこそ、皆さんも何か目標を掲げてみたらどうだろうか。
俺には、“幼稚園を作りたい”っていう密かな夢があるんだよね。
何の自慢にもならないけど、俺は、自分の親から愛情を注がれて育てられた形跡がない。よくもここまで俺を無関心一筋で育ててきたものだとビックリする。当然、俺も親に何の感情も抱けない。もしかしたら他人なんじゃないかと思っている。
俺には二人の子どもがいるけど、初めて自分に子どもが生まれたとき、本当にかわいかったことを覚えている。3歳くらいまでは、言葉で表せないようなかわいさがあるんだ。今現在も、俺にとって子どもを育てることは、生きがいの一つ。だからこそ、俺を無関心に育てた親が、空恐ろしい。そんな親に育てられた俺みたいなろくでなしですら、子どもをかわいいと思うんだから、俺の親は道東のヒグマにでも育てられたのかもしれない。
自分が子どもを育てていく上で、何が重要なのかってことを考えたとき、“愛”しかないってつくづく思う。愛情や愛をもって、子どもたちに接するように心がけているんだけど、そうすると不思議と自分が育てていない子どもまでかわいく見えてくる。気が付くと、子どもが愛情を注がれながら、元気よくすくすく育つような幼稚園を作りたい、という気持ちが芽生えてしまったんだ。
俺の老後の夢は、幼稚園の中に自分の自宅を作って、毎日、子どもたちが元気よく駆け回ってる姿を見ていること。この文脈だけを切り取ると、まるでヤバい奴だよ。でも、決して茶化しているわけじゃない。愛情がないと、人間は何をしでかすか分からない。愛情が注がれていないような子どもたちがいるのだとしたら、そういう子どもたちに対して、「君たちのことを心配している人たちもたくさんいるんだ」ということを伝えていく装置やシステムが必要だと、俺は思うの。
「どうせ〇〇〇だから」なんて匙を投げて脱線してしまう子どもでも、「人生って面白いじゃん」って思えるようなきっかけの場を作りたいんだよね。その形は、必ずしも幼稚園じゃないかもしれない。