【徳井健太の菩薩目線】第32回 絶望は身近な存在。冷蔵庫の余り物だけで絶望は作れる――。

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第32回目は、潜り続けることで得られる絶望について、独自の梵鐘を鳴らす――。
 「なぜ自分は生きているんだろう」。

 そんなことを、ふとした瞬間に考えてしまう人って少なくないと思うんだよね。俺は小学校1年生ぐらいまで、ずっと夢の中で生きてると思っていた。

 ひんやりとした風が吹く、秋の気配を感じる9月のある日。俺は、いつものように登校していた。「昨日、夢の中で友人とケンカをしてしまったから学校に行くのがイヤだなぁ」。傘を回しながらブツブツと見慣れた景色の中を歩いていると、突然、「これは夢じゃない」と、この瞬間が現実であることに、気が付いてしまったんだよね。「徳井、何かをキメながらこの原稿を書いているわけじゃないよな?」と思われるかもしれない。だけど、俺は大丈夫。安心してほしい。話を戻そう。

 それまで家庭にも学校にも何も良い印象がなかった。毎日が無機質だった。それゆえ、起伏のない日常に対して、子ども心に「夢だろう」と解釈していたんだと思う。何も起きない毎日の中でも、親から叩かれる、クラスで馬鹿にされるといった風景はあった。「いつかこいつらにカウンターをぶち込んでやる」とは思いつつも、実際にアクションを起こすと夢から覚めてしまいそうで。夢って、肝心なところで目が覚めるでしょ。だから、俺はずっと我慢していたの。

 ところがこれが現実だって気がついたその日、いよいよ我慢する意味がないと気がついた。「今まで我慢していた時間はどうなるんだ」、そう思ったものの、俺は「このむかつきを本当に意味のあるものにするためには生き続けるしかない」と思ったの。海底を目指して、潜り続けることを決めたんだ。上を目指したところでチャラになるわけでもないからね。

 この連載のタイトルは「菩薩目線」だ。どう達観の境地にたどり着くか、ということは俺自身のテーマでもあるわけだけど、“強烈な絶望”は達観への特急券だと思っている。

 小さな絶望。例えば、人と会話をしていてうまく伝えられないとき、間が持たないことに焦り、どんどん早口になり、どうでもいいことをあれこれと話し始めてしまう。結果、小さな絶望を体感することになる。そうではなく、うまく伝わっていないなって思ったときは、もう諦める。ひたすら絶望的な間が生まれる。でも、あえて「無」を貫くことで、より一層深い絶望を会得することができる。がむしゃらに手を伸ばしたのに、人は往々にして目の前の小さな絶望をつかむことが少なくない。だったら、あえてその場で立ち尽くしたほうが、より強烈な絶望の底まで潜れる。その方が得るものが大きいと思うんだよね。素潜り世界一。擬似的に、ジャック・マイヨールの世界を体感できるんだ。中途半端な絶望が、一番体に良くない。


エベレストを目指すことも、深海100メートルを目指すことも、変わらない



 人間って、夢とか出世とか「上」の世界を見がちだよね。それはそれで良いことだけど、皆がそうとは限らない。別に、海底を目指したってチャクラが開くケースだってあるだろうに。

 2日間も寝てないと、人は妙なテンションに突入する。ある意味、飯を食わない、寝ない、というのは手っ取り早い絶望だよね。冷蔵庫の余り物で作ることができる絶望。3分間で絶望はクッキングできるんだ。そういった手軽な絶望を体験するだけで、免疫力は高められ、結果的に考え方や生き方にヒントを与えてくれると思うんだけどね。手塚治虫先生は、大御所になった後も締め切りに追われ続け、約700タイトルもの作品を生み出した。やなせたかし先生も80歳を過ぎてなお、原稿に追われ続けた。好きなことや仕事って、間違いなく“潜る”感覚が伴っていると思うんだよ。悠々自適にのんびりと暮らせば、どれだけ楽か分かっている。だけど、海面に顔を上げはしない。

 潜り続けていると、自分が肺呼吸だったのか、エラ呼吸だったのか、分からなくなってくる。「ハイになる」って言葉は、肺なのかエラなのか分からなく心理が転じて、そのように広まった……ということが、民明書房「絶望のススメ」に書いてあった気がする。
 
 無理して夢なんて追わなくてもいい。何もすることがないなら、まずは潜れるだけ潜ってみたらいい。夢を追い続ける労力と、潜る精神力は、さほど変わらないと、俺は思っている。絶望という名の成長があるのだとしたら、潜ることをオススメしたい。何か新しい体験や刺激的なことをしようと思うと、人はすぐにポジティブなことを提案する。逆もまた然りだよ。

 体一つでエベレストを目指すことも、深海100メートルを目指すことも、変わらない。上ばかり目指す必要は、どこにもないんだよね。

※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
【プロフィル】とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。