【徳井健太の菩薩目線】第33回 俺たちは「鶴」のネタしかしない。食材が一つしかない料理屋なんだ
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第33回目は、新ネタを作らず一つのネタしかしない理由について、独自の梵鐘を鳴らす――。
納涼の季節。人によっては怖い話になるかもしれない――。
現在、平成ノブシコブシは、ルミネの舞台に月に2回ほど出演させてもらっている。一日3回出番があるため、月に6回ほどネタを披露する。
俺たちは、「鶴」のネタしかやっていない。もう10年くらい「鶴」一本だ。当然、劇場に足繁く通う皆さんも、そのことを知っている。俺たちの出番が始まると、また「鶴」を目撃することになる。
お察しの通り、諸先輩や後輩たちからも、「なぜ鶴ばっかりやるんだ」、「また鶴か」と突っ込まれる。だけど、俺たちは「鶴」をやる。おかげさまで、芸人仲間からは何も言われなくなった。一周周った、んだろう。前回のコラム「絶望は身近な存在。冷蔵庫の余り物だけで絶望は作れる――」でも触れたように、潜り切って、海底に足がつききっている。
去る5月1日、元号が令和に変わった。“平成”という冠がつくコンビ名の俺たちにとって、平成が終わることは少し感傷的になるところもあった。令和最初の舞台に立つ俺たち。バックヤードで芸人たちは、もしかしたら……と期待する。でも、気が付くと……「鶴」だった。
「鶴」は、2005年、芸歴5年目くらいのときに作ったネタだ。早いもので、15年もののビンテージネタということになる。もちろん、「鶴」誕生以降、俺たちもそれなりにネタを回していた。かつては単独公演をしていたくらいだから、ネタを作らないと成立しなくなるからね。それなのに、ある日突然、かつてのネタ「鶴」に先祖返りし、一本化するようになった。デビューアルバムの誰も覚えていないような7曲目だけを延々と歌い続けて、ライブをやり切るようになったんだ。
記憶をひも解くと、吉村が「鶴でいい」と言った一言がきっかけだったと思う。俺なりに、その日は何をチョイスするか考えていたわけだけど、吉村の文字通り鶴の一声で、それ以降、「鶴」になった。その一言に、俺は絶望したんだよね。いろいろ考えても無駄だ。もう考えるのを止めよう――。そうして、ひたすら一直線の「鶴」だけが続く道が出来上がるようになった。多分、吉村はなぜ「鶴」ばかりやるのか、いまだに分かっていないだろう。深く考えずに、吉村もひたすら鶴を演じているんだから、奴は奴でイカれていると思っている。そして、「鶴」しかしない俺たちを、毎月ルミネに立たせてくれる会社もどうかしていると思う。
ただ、やっぱり俺たちはネタで太刀打ちできるような芸人ではない。テレビでネタを披露するなんてことはないだろうし、仮に披露するとしても「鶴」になるだろう。ところが、「鶴」のネタはテレビを通じて見せるようなもんじゃない。テレビで見たところで1ミリも面白くないと思うんだ。
来年、平成ノブシコブシは20周年を迎える。どこからともなく「記念単独ライブはしないのか?」という声が聞こえてくるけど、今のところ白紙状態。今さらネタを考える、磨いていくことに対しても、かつてのトラウマがあるからね。そのことについては、第5回コラム「脳を騙せば何だってできる。俺はフリスクで自分の脳をだました」で詳しく触れたので参照してほしい。
また、基本的にネタは吉村が考えるものの、あいつのネタの作り方は独特で、「頭から煙を出したい」といった意味不明なアイデアからネタ作りが始まる。吉村がコントの中で“言いたいフレーズ”“やりたいアクション”を軸に……軸になっているのかも不明な状況下で、ネタが作られていく。つまり、俺たちはストーリーのあるネタが出来上がらない。
例えばピースは、又吉君の文才もあって、ストーリーが浮かび上がるような面白いコントになる。言うなれば、文章の中に、形容詞や接続詞、巧みな助詞が織り込まれているようなもの。対して、俺たちのネタは単語がランダムに並んでいるようなネタになってしまう。文章にならないんだよ。国家で言うと破綻しているような状況だ。俺たちのネタは、ジンバブエと一緒なんだ。そんな国が、単独公演なんて理論上無理があるんだ。
その代わり、「鶴」がいる。どういうわけか同じことばかりしていたら、定着してしまった。万が一、「鶴」じゃないネタをしようものなら、ルミネのバックヤードは少しざわつくことになるはずだ。「鶴」を反芻していたら、勝手にストーリーができていたんだよね。不得意なジャンルでも、同じ事をし続けていると、それなりに味わいが出るもんだ。ストーリーというのは、継続性や意外性によって生まれるケースがあるということを覚えておいてほしいな。自分が意図していないところでも生まれるんだよね。
俺たちは寿司屋で言うと、「鶴」一本しか仕入れていない寿司屋だ。光物専門なんてレベルじゃない。「アジ」だけしか食わせない。アジ以外を求めているなら、他の店に行ってくれということになる。それでも良ければ、一度、「鶴」を吟味してほしい。きっとびっくりすると思う。これが許されるのも、すごい芸人がたくさんいるからなんだよね。俺たちは「鶴」をするたびに、そのことを思い知らされる。
現在、平成ノブシコブシは、ルミネの舞台に月に2回ほど出演させてもらっている。一日3回出番があるため、月に6回ほどネタを披露する。
俺たちは、「鶴」のネタしかやっていない。もう10年くらい「鶴」一本だ。当然、劇場に足繁く通う皆さんも、そのことを知っている。俺たちの出番が始まると、また「鶴」を目撃することになる。
お察しの通り、諸先輩や後輩たちからも、「なぜ鶴ばっかりやるんだ」、「また鶴か」と突っ込まれる。だけど、俺たちは「鶴」をやる。おかげさまで、芸人仲間からは何も言われなくなった。一周周った、んだろう。前回のコラム「絶望は身近な存在。冷蔵庫の余り物だけで絶望は作れる――」でも触れたように、潜り切って、海底に足がつききっている。
去る5月1日、元号が令和に変わった。“平成”という冠がつくコンビ名の俺たちにとって、平成が終わることは少し感傷的になるところもあった。令和最初の舞台に立つ俺たち。バックヤードで芸人たちは、もしかしたら……と期待する。でも、気が付くと……「鶴」だった。
「鶴」は、2005年、芸歴5年目くらいのときに作ったネタだ。早いもので、15年もののビンテージネタということになる。もちろん、「鶴」誕生以降、俺たちもそれなりにネタを回していた。かつては単独公演をしていたくらいだから、ネタを作らないと成立しなくなるからね。それなのに、ある日突然、かつてのネタ「鶴」に先祖返りし、一本化するようになった。デビューアルバムの誰も覚えていないような7曲目だけを延々と歌い続けて、ライブをやり切るようになったんだ。
記憶をひも解くと、吉村が「鶴でいい」と言った一言がきっかけだったと思う。俺なりに、その日は何をチョイスするか考えていたわけだけど、吉村の文字通り鶴の一声で、それ以降、「鶴」になった。その一言に、俺は絶望したんだよね。いろいろ考えても無駄だ。もう考えるのを止めよう――。そうして、ひたすら一直線の「鶴」だけが続く道が出来上がるようになった。多分、吉村はなぜ「鶴」ばかりやるのか、いまだに分かっていないだろう。深く考えずに、吉村もひたすら鶴を演じているんだから、奴は奴でイカれていると思っている。そして、「鶴」しかしない俺たちを、毎月ルミネに立たせてくれる会社もどうかしていると思う。
ただ、やっぱり俺たちはネタで太刀打ちできるような芸人ではない。テレビでネタを披露するなんてことはないだろうし、仮に披露するとしても「鶴」になるだろう。ところが、「鶴」のネタはテレビを通じて見せるようなもんじゃない。テレビで見たところで1ミリも面白くないと思うんだ。
ストーリーは継続性や意外性によって生まれるケースもある
来年、平成ノブシコブシは20周年を迎える。どこからともなく「記念単独ライブはしないのか?」という声が聞こえてくるけど、今のところ白紙状態。今さらネタを考える、磨いていくことに対しても、かつてのトラウマがあるからね。そのことについては、第5回コラム「脳を騙せば何だってできる。俺はフリスクで自分の脳をだました」で詳しく触れたので参照してほしい。
また、基本的にネタは吉村が考えるものの、あいつのネタの作り方は独特で、「頭から煙を出したい」といった意味不明なアイデアからネタ作りが始まる。吉村がコントの中で“言いたいフレーズ”“やりたいアクション”を軸に……軸になっているのかも不明な状況下で、ネタが作られていく。つまり、俺たちはストーリーのあるネタが出来上がらない。
例えばピースは、又吉君の文才もあって、ストーリーが浮かび上がるような面白いコントになる。言うなれば、文章の中に、形容詞や接続詞、巧みな助詞が織り込まれているようなもの。対して、俺たちのネタは単語がランダムに並んでいるようなネタになってしまう。文章にならないんだよ。国家で言うと破綻しているような状況だ。俺たちのネタは、ジンバブエと一緒なんだ。そんな国が、単独公演なんて理論上無理があるんだ。
その代わり、「鶴」がいる。どういうわけか同じことばかりしていたら、定着してしまった。万が一、「鶴」じゃないネタをしようものなら、ルミネのバックヤードは少しざわつくことになるはずだ。「鶴」を反芻していたら、勝手にストーリーができていたんだよね。不得意なジャンルでも、同じ事をし続けていると、それなりに味わいが出るもんだ。ストーリーというのは、継続性や意外性によって生まれるケースがあるということを覚えておいてほしいな。自分が意図していないところでも生まれるんだよね。
俺たちは寿司屋で言うと、「鶴」一本しか仕入れていない寿司屋だ。光物専門なんてレベルじゃない。「アジ」だけしか食わせない。アジ以外を求めているなら、他の店に行ってくれということになる。それでも良ければ、一度、「鶴」を吟味してほしい。きっとびっくりすると思う。これが許されるのも、すごい芸人がたくさんいるからなんだよね。俺たちは「鶴」をするたびに、そのことを思い知らされる。
◆プロフィール……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。