今更だけど今だからこそ語りたい『ドライブ・マイ・カー』の上映時間と付加価値【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】
こんにちは、黒田勇樹です。
先日、40歳になりました。まだ日が浅いので何がどう変わったかは分かりません。多分これから徐々に何かが変わるんでしょうか。本人は何も変わらないと思うんですが、周りの見る目が変わるってやつなのかもしれません。
ということで今後ともよろしくお願いします。
と大人の挨拶をしておきます。いや、30代も十分大人だったんですけど。
では今週も始めましょう。
カンヌの脚本賞やゴールデングローブ賞の非英語映画賞、そしていよいよ米アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」。
既に語りつくされている、この作品の何を書けばいいのだということと「上映3時間て!?」という気持ちから、なかなか足が向かずにいました。
3時間だぜ!?(正確には179分なので2時間59分ですが)
1日の1/8にあたる時間を、1本の映画に費やせと?
ポンポさん(わかる人にだけわかれ!)も言っていた様に、映画は「90分が最高」で、筆者も2時間を超える映画は「付加価値がなければ“編集者の怠慢”」だと、思っています。
なんというか、多分人間の生理的な話で「座ってるのがつらくなる時間」なんですよね。
そこから先の時間は、よっぽど「まだここにいたい」と、思えないと“苦痛”でしかなく、作品に対しての感動を削っていってしまう。
例えば、伝説のバンド、クイーンを題材にした「ボヘミアン・ラプソディ」であれば上映時間が“2時間14分”ラストに、これも伝説と言われているライブ、ライブエイドの完全再現というシーンが20分にわたって流れます。これが付加価値!
この20分が、2時間以上僕たちを苦痛なくシートにとどめておいてくれたのです。
「ドライブ~」は、“多言語”と“演劇”というモチーフを使用していて、その「翻訳にかかる時間」と「別の演目を観る時間」が、非常に巧く“付加価値”として機能していて、作中、演劇もすべて見せるわけではないし、多ヶ国語のシーンも、わざわざ「原語→通訳」と見せたり、字幕でさらっと進めたり、見事な編集をしながら“3時間”という長い時間を、それこそ車の後部座席に乗ってドライブに参加しているような気持へ誘ってくれます。
“短編小説”の映画化でこのアプローチをしたこと自体にシビれるし、原作の小説や出てくる戯曲、なんなら出てくる言語も全部学んでもう一回観たい「3000時間ぐらい楽しめる映画」でした。
アカデミー賞のお陰でまだまだ劇場公開もある様なので、皆様是非、足をお運び下さい。