老いの不安をあおるメディア、弱者が助けを求めにくい社会…『PLAN 75』早川監督が描きたかったのは「それでも生きることを肯定する映画」

「超高齢化社会に対応すべく75歳以上が自ら生死を選択できる制度」が施行された世界を描く衝撃的な世界観で公開決定時から話題を呼び、今年行われた第75回カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門正式出品。現地でも絶賛を集め、見事カメラドール特別表彰を授与された注目の映画『PLAN 75』。「人が生きることを肯定する映画を撮りたかった」と語る早川千絵監督に思いを聞いた。

撮影・小黒冴夏

 長編映画初監督ながら、カンヌでカメラドール特別表彰という快挙。日本でも衝撃とともに受け止められた物語はカンヌでも大いに注目を集め、取材が殺到。上映の翌日には1日で、海外メディアだけでも30近い取材を受けたという。

 フランスのメディアでよく質問されたことの1つが「もしフランスでこういう法律が制定されたら市民からものすごい反対運動、デモが起きると思う。しかしこの映画ではすんなり人々が受け入れてしまっているように見えるが、それはなぜか?ということでした。もちろん現実に起きたらどうなるかは誰にも分からないわけですが、私が物語に織り込みたかったことの1つとして、体制に対して声を上げない、従いがちに見える日本の国民性がありました」

 “ルールを守る”、“人や社会に迷惑をかけない”…日本人の美徳とも思われる国民性が、こんな日本の未来を生む可能性もあるのではないか。それはとても恐ろしい“空想”だが…。

「一方で、カンヌで取材を受けていて、これは日本特有の話ではなく、普遍的なテーマであると受け止めてもらえているという感じもありました。映画の中に出てくる、公園の排除ベンチ(人が寝そべることができないように手すりなどがつけられているベンチ。ホームレス対策といわれる)が、パリにもあるそうです。弱者を排除していく流れは、いま世界中で起きていることなのかもしれません」

 本作はもともと、是枝裕和監督が初めて総合監修を務めたオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』(2018)の中で手がけた短編がベースとなっている。

「長編化にあたって脚本を考えている間にコロナの感染拡大が起こったことで、当初考えていたものとは大きく変わりました。コロナによって、現実の悲劇がフィクションを超えてしまったと感じたんです。短編版に登場する〈プラン75〉は古い体育館にベッドが並び、カーテンだけで仕切られているというものだったのですが、それと全く同じ光景をこのコロナ禍で見て唖然としました。すでに世界中で人々が厳しい現実に直面しているときに、さらに不安をあおるような映画を作るべきなのだろうか、ただ問題提起のために人々を怖がらせるだけの映画を作るべきではないのでは…そう考えるようになりました。その中で、自分の願いというか希望のようなものを込めたいという気持ちが強くなっていったんです」

 超少子高齢化、8050問題、介護負担…課題を伝えるメディアの中には“不安をあおるだけ”のものも少なくない。

「ここ数十年の間に、とくに、年を取ることや高齢化に対して、とてもネガティブな気持ちをあおるようなものが増えている気がしています。若い人も希望を持ちづらく、私自身もそうですけど、多くの人が老後に大きな不安を抱いている。課題や、厳しい現実を伝えることは必要だと思いますが、不安をあおるだけでは…」

 その不安によるものだろうか。この映画が話題に上る中で、ときおり“安楽死”についての意見も少なからず見られる。

「確かに、本作についての感想の中には、安楽死はあったほうがいいとか、もしあれば選択するといった、安楽死の是非を語る方もいらっしゃいますね。将来的な不安からだけでなく、ご自身の実際の介護体験を踏まえて、そういう思いを強く語る方もいらっしゃいます。もちろん映画をどうとらえるか、映画を見て何を思うかは見てくださった方それぞれの自由です。ただ、この映画は、安楽死の是非を描くものではありません。もし〈プラン75〉が施行されたら、病などで安楽死を望む人を含め、いろいろな状況にある人々の物語が考えられるだろうと思いましたが、この映画はその是非を問うものではないため、自然と浮かび上がったのがあの3人の主人公だったんです」

©2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee

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