左利きにスイッチしたテルミン奏者・竹内正実が追い続ける、音楽の美とその力。〈インタビュー〉
ロシア生まれの電子楽器「テルミン」を演奏して29年。竹内正実は、日本におけるテルミンの第一人者だ。アンテナに手を近づけたり遠ざけたりして、触れずに演奏し、「演奏する人によって、天使の声にも、お化けが登場する音にもなる」不思議で“尊い”楽器だ。それに魅了されたわけは? そして、テルミンを通じて伝えたいこととは? 本人に聞く。(撮影・蔦野裕)
小春日和というよりは、夏が戻ってきたかのような晴天の朝、テルミン奏者の竹内正実が拠点とする静岡県浜松市の自宅を訪れた。玄関を入ると二間続きの座敷。テルミンはもちろん、機材や資料、自身が開発したテルミンをロシアの人形マトリショーシカのなかに収めた『マトリョミン』……竹内が30年近くにわたって積み重ねて来たものが詰まっている。
「練習も録音も編集も、すべてこの部屋でしてしまいます。全部自分でやりたいたちなんです。『鎌倉殿の13人』のテルミン演奏も、ここで録音したんですよ」
『鎌倉殿の13人』のテルミン演奏というのは、本編終了後に放送される『大河紀行』で流れた音楽のこと。夏の暑い盛りに、竹内が演奏する楽曲が登場。物悲しいテルミンの音色がたくさんの視聴者の心を揺さぶった。
「反響もいろいろいただきましたが、『テルミンって奇天烈楽器だと思っていたけれど、こんなに心に触れる楽器だと知らなかった』というような声が多かったですね。これまでテルミンの知名度が上がるチャンスは何度かあって、それが再びやってきたのだと思いましたが……未だに奇天烈楽器であるというネガティブな側面もあるのだなあという気持ちも持ちました」
箱から突き出たアンテナに手を近づけたり離したり。開いた手のひらで念を送るように震わせて音を出したりもする。テルミンを演奏する姿は人をギョッとさせることも少なくない。それが初見ならなおさらだ。「演奏にはものすごく集中力が必要なので、すごく真剣な、怒っているような表情になるので、“テルミン顔”なんて言われ方もしますからね。制御に集中力が必要なので、そうなっちゃうんですけど」と竹内は笑う。
「テルミン」は、ロシアで生まれた電子楽器だ。世界最古の電子楽器で、その歴史は100年を超える。音色は「天使の声」と言われながら、演奏者や演奏の仕方によっては「お化けの音」にもなりうる。そんな特徴的な音と揺らぎは、テルミン奏者はもちろん、ロックミュージシャンなどジャンルを超えて多くのミュージシャンを魅了して今もさまざまな楽曲に使用され続けている。
竹内とテルミンの運命的な出会いは30年ほど前に遡る。大学で音楽工学を学び、卒業後は音楽ホールでエンジニアとして働いていた竹内は、ある日、1枚のアルバムと出会う。クララ・ロックモアの『The Art of the Theremin』。それを聴いた時、自分の中の価値観が覆ったという。
「テルミンのことは以前から知っていましたが、僕もまた『テルミンなんて“楽器未満”だろう』と思っていた一人でした」と振り返る。「電子楽器をかじっていたにも関わらず、低く見ていたんですね、テルミンを。電子楽器は誰が弾いても一緒だろうと。でもテルミンは違う。あのアルバムを聴いてからそれまでの自分自身を恥じました」
アルバムを聴くほどに、演奏している人の姿かたちが見えたように感じたという。
「僕がテルミンに興味を持った頃は、シンセサイザーとかサンプラーとか電子楽器が進化してマシンになっていっちゃった時期になります。押せばポンと音が出るような単純化です。そのなかでテルミンだけが単純化もしていなくて、弾く人間に正直にそのまま反応する。まるで、鏡のようなインターフェース性を残していました。こんなに身体性が高い楽器は他にはないと思います。テクノロジーと芸術が融合したもののなかで、テルミンほど弾く人のネガやポジを反映してしまうものはないです」
テルミンと運命的な出会いを果たした竹内は、単身ロシアに渡った。もちろんテルミンを学び、演奏するためだ。
「テルミンには鍵盤(けんばん)があるわけでもないし、音の基準も、すべて人間の感覚と動作で決まります。楽譜にドと書かれていても、どこをどうすればドの音がでるのか、はっきりしないんです。だから、同じドの音を出すにしても出し方は十人十色。100人いたら百様あるわけです。こうなると、ドという決まった音を出すのではなくて“私のド”を弾くということなんじゃないか、と思います。
僕にも師匠という人がいるわけですが、その人のように演奏したい、その人のように音を奏でたいと思ってもほぼ無理だということは、かなり早い段階で分かりました」
エンジニアからプレーヤーへ。大きなターニングポイントのようにも思える。
「芸術大学の音楽学科ですからピアノは弾けましたよ、そうしないと入学はできないので(笑)。ただ、その時点では自分の中に自分の音楽の表現の核となるような楽器が見つかっていなかった。テルミンと出会えたのも、それを探し求め続けていたからだと思います。
結果的に僕はテルミンの演奏を求めてロシアに渡ったのですが、……本当のモチベーションはフロンティア、つまり切り開いていきたかったんです。一般的に楽器未満だと思われていて、こんなものでは音楽はできないと思われていたテルミンの認識を覆したかった。僕は自分の中の価値観を覆されるような体験をさせてくれた素晴らしい音楽を聴いたわけですから」