黒部ダムが教えてくれた『今まで自分がやってきた「万歳」は、「ニセ万歳」だった』理由〈徳井健太の菩薩目線 第151回〉

徳井健太

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第151回目は、「万歳」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 万歳(バンザイ)――。

 なんて歓喜と悲哀に満ちた言葉なんだろう。先日、知らないニッポンをわかりやすく紐解く『林修のニッポンドリル』、その10月12日放送回に出演させていただいた。

 この日のテーマの一つに黒部ダムがあった。1950年代、敗戦から復興する日本は、目覚ましい経済成長を遂げながら、一方で大量消費時代に突入していた。安定した暮らしを実現するためには、安定したインフラが必要だ。

 ところがこの時代、関西圏では電力が十分ではなく、新しいダムの建設が火急の用となっていた。電力供給を実現する予算一兆円超え国家プロジェクト。それが黒部ダム(黒部川第四発電所:通称「くろよん」)建設だった。

 黒部峡谷は、急峻な山々が続く人外の地。そんなところに巨大ダムを建設する。まさしく前代未聞で前人未到。昔の建設途中の映像を見ると、“命がけ”という言葉に相応しい、人間と山々がむき出しで対峙している現場が次々と登場する。

 たとえば、断崖絶壁に作られた幅50センチほどの「日電歩道」と呼ばれる足場。こんな崖みたいな道が約16キロも続くなんて、めまいがする。掘削工事を含め、「くろよん」建設は数多くの犠牲者を伴う、過酷で途方もないプロジェクトだった。

 昭和38(1963)年6月5日、「くろよん」は竣工の日を迎える。7年の歳月と513億円の工費。述べ1000万人の人手。そして171名の尊い犠牲。

 番組では、その日の映像が流れた。水が流れて、電気が行き届く。その瞬間、すべての人が「万歳」と叫んでいた。それを見て、「万歳しかでてこないよな」と納得してしまった。神様にすべての感情をさらけ出すように両手を天に上げ、叫ぶ。

 こんな感動や達成感を表現しようと思ったとき、果たして「万歳」以外の言葉があるんだろうか。人が死んでいる。だから、決して「うれしい」のみを表現する言葉では足りない。かといって、控えめに感情を表現するには、あまりに人間の業が入り混じる歳月が流れている。悲願達成――。犠牲を払ってでも成し遂げた先にあるゴールテープを切る瞬間は、「万歳」がとても似合う。

 裏を返すと、今まで自分がやってきた「万歳」は、「ニセ万歳」だったんだなと気がついた。本当の「万歳」の気持ちで、ゴールテープを切っちゃいない。「万歳」はノリでやるもんじゃない。

「万歳」でしか表現ができない瞬間が、人生にはあるはずだから、そのときまで「万歳」はとっておいた方がいい。そうそうそんな瞬間はあるもんじゃない。だから、するべきときに、あらゆる感情を包み込んで「万歳」と叫びたい。

 来たるべきときにあらゆる感情を包み込んで紡ぐ言葉。きっといろいろな国にあるんだろうな。喜びと悲しみがごちゃまぜになったときに、クリティカルに表現できる言葉。

 日本の「万歳」と、アメリカで「万歳」を意味する「Hooray」は、言語情報としては同じ意味を持つかもしれないけど、感情や機微――言葉では伝えられない非言語的な部分に関しては一緒ではないはずだ。たとえば、キリスト教圏における「ハレルヤ」のような特別な言葉を、日本語で言い換えることはできても、非言語的な部分は重ならないだろうなって。

「ハレルヤ」をいう瞬間は、その言葉が根付いている文化圏の人々にしかわからない感情があるような気がする。同様に、日本の「万歳」もその人たちにしかわからない感情が詰まっている。だから、とても尊い言葉だと感じる。

 徳井健太の未来には、心の底から「万歳」を唱える瞬間が、何度訪れるのだろう。割れんばかりの「万歳」の声。言っているのか、聞こえてくるのか。「万歳」の瞬間に立ち会えたら、きっと「万歳」と繰り返すだろう。万歳が三唱されるのも、なんだかよくわかる気がする。

【プロフィル】1980年北海道出身。2000年、東京NSC5期生同期の吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」結成。「ピカルの定理」などバラエティ番組を中心に活躍。最近では、バラエティ番組や芸人を愛情たっぷりに「分析」することでも注目を集め、22年2月28日に『敗北からの芸人論』を発売。「もっと世間で評価や称賛を受けるべき人や物」を紹介すべく、YouTubeチャンネル「徳井の考察」も開設している。吉本興業所属。
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