『ニホンという病』養老孟司×名越康文、生成AI時代のクリエーティブとは?
解剖学者の養老孟司と、精神科医の名越康文による『ニホンという病』(日刊現代)が発売された。夕刊紙「日刊ゲンダイ」での連載をもとにコロナ禍の日本社会や、これからの日本はどうあるべきかについて対談形式でまとめられ、テーマは新型コロナウイルスやロシアによるウクライナ侵攻、環境問題、地方創生、ダイバーシティなど多岐に及ぶ。
中でも我々に身近な生き方について語られるのが「自分の田舎をつくる」という章だ。これは今、住んでいる場所とは別の田舎を見つけるというライフスタイルを指し、自分の居場所を自分で決める生き方ともいえる。閉塞感漂うこの国で、私たちはこれからどう生きればいいのかを2人に聞いた。(全2回のうち第2回/前編から続く)
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自分で考えるという点では、ChatGPTをはじめとする生成AIの発展によって、より考えない方向性に進んでしまう懸念もあります。養老先生と名越先生は、生成AIについてどうお考えですか。
養老孟司(以下、養老)「対話の相手として使うんだったらそれはそれでいいと思いますね。自分の考えが進んでいきますから。例えば学校のリポートなど、何か評価されるものにその結果を使ってしまうのは困りますが。
大人が使うのに一番いいのは、どうでもいい挨拶文をChatGPTに作らせることです。こないだ日本眼科学会の総会で話した人がいたのですが、“ここまではChatGPTだ”っていうふうに冒頭の挨拶文までは作らせていました。挨拶文ぐらいだと間違えようがないですから、しっかり作ってくれます。こういう使い方だったらいいんじゃないでしょうかね」
前後の文脈から類推する仕組みなので、噓も混じるわけなんですけど、それを踏まえた上での話し相手としてみれば、我々の生活も豊かになりそうですね。
養老「そうですよ。人だって間違えますし、噓つく友達はいっぱいいるわけですから。AIも同じです」
名越康文(以下、名越)「“職が奪われる”などとChatGPTのような生成AIを脅威に思う考え方もありますけど、今までの人類のやり口を見ていると、やりたいことはいずれやってしまう。むしろChatGPTと張り合うのではなくて、協力し合う考え方のほうが現実的なのかもしれません。ChatGPTに乗っかって、その上で自分は何ができるのかということを考えていくことが現実的です。いま養老先生が言われたように、挨拶文とかを任せられるんだったら、我々はよりクリエーティブになれる可能性だってある」
やはり単調な仕事を続けていくよりは、もっとクリエーティブな仕事に取り組むことが心の豊かさにもつながっていくわけですね。
養老「一次産業なんかクリエーティブの典型じゃないですかね。完全に置いていかれたと思われてますけど、非常に創意工夫が必要だし、体も使うし、感覚もフルで使うわけじゃないですか。サラリーマンというか、ホワイトカラーがこんなに増えたのが異常なわけで、それ自体が社会のひずみになってしまっています」