「天井棧敷」が生まれた街で…鬼才・寺山修司の人物像に迫る『寺山修司展―世田谷文学館コレクション展 2024年度後期―』

『われに五月』を出版の頃(1957年)©テラヤマ・ワールド

 さまざまな芸術分野を横断し、表現活動の豊かな可能性を模索した寺山修司(1935〜83)。時代を超えてなお今も若い世代を含め幅広い世代が共鳴する稀代の表現者に迫る展覧会。

 寺山修司は、18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後「俳句」や「短歌」などの定型詩から、自由詩へと創作活動の基盤を移し、歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げた。そして30歳前後、1960年代後半には世田谷区下馬へ移り住み、演劇実験室「天井棧敷」を設立。長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルでも地位を確立していったのがこの世田谷時代だった。

 

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