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大谷ノブ彦 カタリマス!(裏) 第61回 ドリカムのワンダーランドにやられた!

2015.12.23 Vol.656

 史上最強の移動遊園地に行ってきました。ナゴヤドームで行われたドリームズカムトゥルーワンダーランド。ドリカムはずっと聴いてきましたけど、ワンダーランドやライブにはなかなかタイミングが合わなくて。今回ようやく会場に足を運ぶことができたんですが……、衝撃でしたね。「史上最強の」っていうけど言葉のままでした。ナゴヤドームが、ディズニーランドやUSJっていうか、ファンタジーの世界。お客さんのなかを騎士とかが歩いていたりするし。……会場に入ったときから、自分はワンダーランドにいる、そんな感じなんです。そしたら、吉田美和さんが…! もう、うわーっ!ですよ。

 ライブではあるかもしれないけど、移動遊園地であり、ワンダーランド。こういう考え方を持っていたり、そういった考えをライブに取り込んでるアーティストやバンドって、いないことはないと思うんです。SEKAI NO OWARIとかね。ただ、ドリカムはこの『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND』っていうのを90年代からやり続けている。この形式を90年代に作り上げている。それってすごいですよ。

 僕が勝手に思ってることですが、始めたときはきっと、これは果たして音楽ライブなのか?みたいな意見があったんじゃないかなと思うんです。それでも会場に来てくれる人たちを喜ばせたい、楽しみたいって、スタートしたんだと思います。この、何が起きるんだろうってワクワクドキドキする気持ち、それがずっと続いていて、たくさんのお客さんが足を運ぶんだと思います。

 ドリカムは今年、ベストアルバム『DREAMS COME TRUE THE BEST! 私のドリカム』をリリースしているんですが、CDが売れない、音楽が売れないというこの時代に、セールスはミリオンを超えているんですよね。代表曲は全部入っているベストですが、収録曲は、カラオケでよく歌われているドリカム曲、カラオケランキングやダウンロードされている曲のデータなどを突き合わせて選んだものなんだそうです。カラオケのことまで考える……、これってなかなかできないことですよ。

 ライブでも、作品でも、ドリカムさんって、みんなが戦ってるところのさらにその上いっちゃってるんだよな。それと並行してドキドキとワクワクをストイックに追求し続けているんですよね。僕もダイノジも、DJダイノジもそっちに行きたい。ドキドキワクワクしたいし、してもらいたい、そういうのをやってきたいんだよなって改めて思います。

初めてのワンダーランドで、すごい刺激もらっちゃいました。

江戸瓦版的落語案内 Rakugo guidance of TOKYOHEADLINE[お見立て(おみたて)]

2015.12.14 Vol.656

落語の中には、粗忽、ぼんやり、知ったかぶりなどどうしようもないけど、魅力的な人物が多数登場。そんなバカバカしくも、粋でいなせな落語の世界へご案内。「ネタあらすじ編」では、有名な古典落語のあらすじを紹介。文中、現代では使わない言葉や単語がある場合は、用語の解説も。

広告PRのスペシャリストが考察「いかすぜ日本」~クールなJAPANを世界に売り込もう! 第六回 日本のサステイナビリティー(持続可能性)を世界にアピール! 

2015.12.13 Vol.656

 日本語は外来語が多いですね。面倒だと感じる読者もいらっしゃると思いますが、最近使われるようになった「サステイナビリティー」は有意義な表現です。直訳だと「持続可能性」。日本の大手企業も広報活動の最重要課題として「サステイナビリティー・リポート」を毎年発行するようになりました。企業がその経済、社会、環境保全活動などを通してどのような長期戦略を確立し、いかにそれらを事業の根幹として展開しているのかを株主、消費者、顧客に年次報告するものです。年間の商業実績を報告するアニュアルリポートと同等の重要性を持つようになったのが、近年の傾向です。企業のサステイナビリティーは株価に直結しています。

 なぜでしょう? それは、企業が商業的に成功していても、その戦略における持続可能性が担保されていないと、必ず事業が崩壊するからです。消費者が病気になり得る商品販売をしたり、製造活動が環境破壊を起こしていたりすれば、いずれその企業活動が持続不可能になるのは当たり前なのです。優良企業はこの基本的な概念を心得ており、企業市民としての責任を果たす需要な理念としてサステイナビリティー戦略を確立するようになりました。
 サステイナビリティーをあまり難しく考える必要はありません。個人の領域でみれば分かりやすいです。毎日、潰れるまでお酒を飲む。収入に見合わない生活を継続し、借金まみれになる。一緒に暮らす家族やパートナー、近所の皆様と健全な関係を保たない。自分が住む環境を破壊する行為を繰り返す。このような行動を続けると生活が成り立たなくなり、その先には自滅しかないですよね。

 国家も同じです。では、日本についてサステイナビリティーの概念を当てはめるとどうでしょう?どのような国家運営を続けると、その先に崩壊があるのか。身近な問題で大変気になる点がいくつか浮上しました。

1)少子高齢化:このまま行くと日本は確実に滅びます。働けない高齢者が多数になり、社会が回らなくなるのは時間の問題です。女性に対し、「もっと子供を産め」は現実的ではありません。今まで避けてきた移民政策を根本的に見直さない限り、日本社会は持続不可能です。

2)赤字経済:日本国の収入はその支出に見合っていません。働く人が高齢になれば、なおさら問題です。我々の世代で解決せず、子供たちにその付けを回すだけの財務政策は持続不可能です。

3)米国従事:戦後日本は米国に従う政策を継続しました。驚かれる方もいらっしゃると思いますが、最高裁の判決の通り、米国との国際条約は憲法よりも、どの法定よりも優先されます。良好な関係を保つのは重要ですが、日本国民の主権を脅かす米国従事は持続不可能です。

4)原子力発電:日本列島そのものが地震断層です。いつ、どこで巨大地震が起きてもおかしくないです。核廃棄物の処理方法も解決の目処が見えません。次世代が原発事故の大惨事に会うのは時間の問題であり、次世代を脅かす原発稼動は持続不可能です。

 上記の問題について、日本は世界から注目されています。クールなジャパンであり続けるために、サステイナビリティーを重視する日本に転換する必要に迫られています。さあ、我々の世代で解決するのか、子供たちにカッコ悪い遺産を残すのか、皆の勇気と先見性が問われています。新年に向けて、持続可能な日本を創造しましょう!

 Merry Xmas!!

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第27回 日本、東北が2030年の教育をリードする

2015.12.13 Vol.656

 早いもので本コラムも今年は締めくくりとなります。私のほうは師走前と変わらず、大臣補佐官の業務と並行して大学で教鞭を取り、国内外のシンポジウムやセミナー等にお招きいただくという慌ただしい日々です。

 自分の中で2015年を総括するには、もう少し先になりそうですが、去る11月、嬉しいニュースが入ってきました。文部科学省の国立大学法人評価委員会が、全国の国立大学90法人の2014年の業務実績を評価した中で、福島大が全国4つの「特筆事例」として取り上げられる最高評価を得ました。

 評価理由は、「東北復幸祭〈環WA〉in PARIS」の企画運営。以前もご紹介しましたが、昨年8月末、被災地の中学・高校生たちが、世界中からの支援に感謝の意を伝え、東北の復興と魅力をアピールするとともに、彼らが主体的に取り組むことで日本や東北の未来を担う人材に育つように後押しするプロジェクトです。生徒たちは、OECDが復興教育で開催した「OECD東北スクール」に参加していたメンバー。福島大には事務局として、副学長の三浦浩喜先生以下、全学を挙げて取り組んでいただきました。イベントは2日間で15万人が来場する大盛況でした。評価委員会からは復興に向けた「戦略的・意欲的な情報発信」と高く評価いただきました。

 OECDでは、教育局が加盟各国の教育水準の向上や教育改革推進に取り組んでいます。私は副大臣時代から、東北の復興人材育成が、先方の考える「2030年代に向けた教育のモデル」になるように提案し、一緒にプロジェクトを進めてきました。この間の取り組みをともに支えていただいた福島大の受賞は我が事のように嬉しく思います。

 東北復幸祭の成功により、教育の世界的な先進モデルづくりに「日本は熱心だ」と、今後ますます世界に注目されそうです。コラム締め切り直後の12月10日には、文科省とOECD主宰の教育の未来像を考えるセミナー「Education 2030 – 21世紀コンピテンシー」が東京で開催され、私も登壇します。そういえば、今年の春は、慶應助教授時代の教え子が副校長として赴任した福島県立ふたば未来学園高校が開校し、復興教育の新しい1ページを開きました。来年で震災から5年。節目を迎える東北、そして日本から世界の教育をリードするモデルを打ち立てていきたいと思います。
(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

脱こじらせへの道 第12回 女性とセックスの間にはたくさんの溝がある

2015.12.11 Vol.656

 こんにちは、田口です。
 前回は「女性のオナニーには罪悪感がつきまとっている」というお話をしました。今回はその罪悪感の理由を探って、さらになぜ罪悪感が生まれるのかというところまで掘り下げようかと思っています。

 それで「AV派? 妄想派? ひとりエッチのとき何をおかずにしている?」というアンケートをもとにお話を進めようと思ったんですが、こじれの観点でいうと、なにをおかずにしているかは関係ないです。今回は「こじれ」から離れて「溝」について考えてみようと思います。あしからず。

 溝というのは「ハードル」といってもいいかもです。

 まず結論から言うと、女性と性欲の間には溝があります。そしてその性欲とオナニー、セックスなどの行為をするということの間にも溝がある。つまりオナニーに行くまでに2段階の溝があるんです。
 
 女性が性欲を持つことはおかしいと思っている人が男女ともにまだまだ多いんです。
 実は性欲、セックスに対しては昔のほうが忠実だったような気がします。昔というのは昭和初期とか高度経済成長期といった時代。知らないからこそ、「やってはいけないこと」という知識もなく「やってみたい」という気持ちが勝つことでできたというのも大きいです。また、時代の流れから、子作りのためのセックスが推奨されているような風潮もあったのではないでしょうか。
 少し飛躍した論にはなりますが、子作りのためのセックスはいいけど、快楽のためのセックスはダメ、というような。これは前回の、男性のオナニーは物理的に必要だけど、女性はそうではない、というものと似ていますよね。

 溝の話に戻ると、オナニーやセックスの先にAVがあって、さらにその先にAV女優がいるという構図になっています。こう何段階も溝があるので、本当は地続きのはずなのにAV女優を軽んじる女性って、意外と多いんです。

 ではなぜ溝を感じるのか? そして男性には溝はないんでしょうか?
 男性は、通常のセックスについてはハードルというものは感じていない人が多いようです。
 例外として浮気の場合は罪悪感でハードルを感じる、ということはありますよね。それはなんとなく分かります。

 また、GIRL’S CHのユーザーさんには溝を感じていない人が多いと思います。それはたくさんの声を寄せてくれていることと、その内容からも明らかかと思います。となると溝を感じている人とそうでない人との差は情報とか知識ということになるのではないでしょうか。
 
 最近のテレビって、24時間テレビの鶴瓶師匠とか、バラエティー番組で温泉に入っていて、チンコのところだけ番組のロゴで隠されていたりといった出方で男性のポロリってまだあるじゃないですか。芸人さんでも「チ◯コ」とか平気で口にしますよね。
 でもおっぱいってこの10年くらいホントに見なくなったと思いませんか?
 ちょっと前まではテレビ東京が深夜の番組で頑張っていたんですが、もう今は完全にないですよね。どうやらおっぱいはダメらしいのです。

 これは察するに、クレームをつける人が増えたからではないかと思います。直接電話などで抗議する人もいれば、ネットで書き立てる人も増えたのでしょう。それでこの10年、特に男女のテレビでの扱いには差が出てきている。
 男性の性器はただ体の一部が見えてしまっているだけ、でも女性の体の一部が見えてしまうのは、それで劣情をもよおしてしまう方がいる可能性があるから。
 性欲を持つ可能性を絶ちたい、というのが、この取り締まりの厳しさにつながっているのではないでしょうか。
(では、男性の性器を見て女性が性欲をもよおすのではないか?という抗議はないのか……と思いますが、それも女性に性欲がないと思われている、という仮説の上に成り立っているのかな、とも思います。)
 エロ本もどんどんなくなっていますよね。
 人々の目からエロがどんどん遠ざけられているんです。
 ちょっと不思議ですよね。性の解放化が進んでいたはずなのに…。

 思想が豊かになっている反面、ネット以外ではエロに関するモノはなくなってきている気がします。雑誌の衰退はその最たるものでしょう。

 雑誌や新聞は自分が見たいもの見ているもの以外にも、隣りにあるものが偶然目に入ってきたりという思わぬ出会いがありますが、ネットは自分の調べたいこと、見たいものしか見ることができません。でもネットのいいところは深掘りができるところ。

 それはもちろんエロに関しても一緒で、肉食女子は深堀しますからより肉食化が進み、そうでない人は得る情報もその機会も減ってしまい、二極化が進んでしまっているんです。
 その情報が少ない人のほうにセックスに対する抵抗が残ってしまっている。

大谷ノブ彦 カタリマス!(裏) 第60回 お昼の番組集合で分かっちゃったこと

2015.12.10 Vol.655

 ワイドFMが始まりました。TBSラジオ、文化放送、そしてニッポン放送のAMラジオ局の放送が、FMでも聞けるようになるというもので、7日の13時から本放送がスタート。それを記念して、3局のコラボで『FMでもキキマス!ゴールデンたまむすび』を、東京スカイツリーから放送しました。

 タイトルからお分かりになる方もいらっしゃると思いますが、それぞれの局のお昼の番組、裏番組同士のパーソナリティが集合した番組で、TBSラジオからは赤江珠緒さん、文化放送から大竹まことさん、そしてニッポン放送からは私、大谷でお送りしました。

 普段なら絶対に顔を合わせることができない顔ぶれですし、これまでにはない試みに、どうなるんだろうと緊張しつつ楽しみにもしていたんですが、実際に始まってみると、「こういうの、やりたかったんだよな」って思いでいっぱいになりました。

 リスナーを招いての公開放送でもあったんですが、すごくいい雰囲気でねえ。誰かがかめば、みんな大喜びだし、赤江さんがやりとりのなかで、前日の『M-1』で優勝したトレンディエンジェルのフレーズ「斉藤さんだぞ!」を差し込めば、大竹さんが「赤江、やるなあ」って反応する。大竹さん発のタマキン発言もあったりで。その一方でさ、ポエムを読みながら涙しちゃったりもするんですよ。そういうの全部含めてさ、思いついたことは全部やっちゃおう、言っちゃおうっていうスタイルに、お昼の番組ってこれじゃないかなって思ったんですよ。ダメって言われちゃう部分かもしれないけど、それも受け止めちゃう、それも愛しちゃう環境に、これだよなーって思っちゃったんですよ。この番組をやったことでいろいろなことが分かったし、これからのラジオはもちろん、『キキマス!』についても考えさせられました。

 ラジオもそうですが、いろんなことをやっていると意見や提案、ダメ出しとかね、されることがあります。番組前、大竹さんと話したんだけど、そういう時どうしてますかって聞いてみました。そしたら、「1回も聞いたことない、聞かなくていい」って。自分がそういうことができないのが分かってて、その上でやらせてるんだからって言ってました。

 そんなことも含めて、この番組、僕たちにとってはすごくいい経験でした。またやろうよって声も聞こえていますが、まずは、これからの『キキマス!』にも反映させていきたいですね。

大谷ノブ彦 カタリマス!(裏)  第59回 その場を楽しむことが、ハッピーへの近道だ。

2015.12.02 Vol.655

 今年もあと1カ月。2015年の総括、気になったニュースは?といった話題が増えてきました。今週の『キキマス!』は「○○するなら羽生選手?五郎丸選手?」っていう妄想メールを募って始まりましたが、先週末に大活躍した羽生選手、そして銅像もできちゃったラグビー日本代表の五郎丸選手。2人は間違いなく今年を代表する顔。やり遂げたことはもちろんすごいですけど、そこから広がったワチャワチャ感がものすごいですよね。止まらない妄想メールを読みながら、2人のキャラクターというか、タレント性のすごさを改めて感じました。笑いも止まらなかったです。

 今年の総括は、これからの番組内でもやっていくんでしょうけど、今、感じていることを挙げるなら、価値観が大きく変わったなってこと。前回のコラムで、ハロウィーンで仮装してパレードして騒いでいる彼らたちは「その場を楽しむこと」が自然にできるって書きました。彼らに対して目的とかゴールがと意見する人もいるけどそれが固定概念で、あえていうなら「その場を楽しむ」というのが目的で彼らはそれを遂行しているんだって。その価値観が支持されて実際にやり始めた。今年はそれを多く目撃した気がしています。

 先日、大みそかの紅白の出演者が発表されましたが、いろいろザワザワしています。なかには、選から漏れた人に対してオワコン!なんていう声もある。そういうのもまた固定概念ですよ。紅白は目標っていう見方もひとつあるでしょう。でもね、紅白ではない別なところで楽しんでる、その場を楽しむってことをやっているアーティストはたくさんいる。アーティスト自身も出られないことに悲観したりもしていないと思うんですよ。

 その場を楽しむ、その環境を楽しむっていう考え方。僕自身この価値観に大いに感化されているし、刺激を受けています。DJやったり、ラジオやったり、漫才やったり、いろんなことやって、いろんなところから意見されたり批判もされてきたなかで、何よりも自分が楽しむこと、ハッピーなほうに行くことが大事って思うようになりましたから。人と自分を比較したりするのはなんか違う。比べちゃうと、苦しいだけなんだから。

 こういう考え方、以前はもっと風当りが強かったと思います。でも今は、それでいいじゃないって。そういう考え方、価値観を持っている人がこれだけ増えてきたんだから、自分もそうしやすいと思うんですよ。“みんながやってるから”。これについては、そういう理由でもいいんじゃないかなって思います。

脱こじらせへの道 第11回 女性同士でもなぜオナニーの話はしにくいのか

2015.11.27 Vol.655

 こんにちは、田口です。
 前回は特別版で劇団Rexyの出演者へのインタビューを掲載しましたので、この通常の形式はほぼ1カ月ぶりになります。みなさん、お久しぶりです。

 劇団Rexyにつきましては、4日間7公演がすべて超満員とたくさんのお客さんに来ていただきました。ありがとうございます。
舞台が初めての俳優さんも多く、最初のうちは演者もスタッフも不安だらけでしたが、稽古と、そして本番を通してぐんぐんと成長し、満足いただけるお芝居をお届けできたのではないでしょうか。
 今後、第2回、第3回と公演を続けていきたいですね。

 さて、本題です。
 1カ月前の第9回で、「女性同士でエッチな話題を取り上げにくい」というところから、なぜ「オナニーの話は恥ずかしい」という人が多いのかという疑問が浮上したところで次回…となってましたね。
 というわけで今回は「毎日している強者も!? ひとりエッチはどのくらいのペースでする?」というアンケートをもとにこの点について考えていきたいと思います。

 これも回答数がけっこう多かったんです。しかも赤裸々なコメントもたくさんいただきました。
 言いにくい話題なのに、きっとここ(GIRL’S CH)ならこの話題をしてもいいんだろうなって、みなさん思っているからじゃないでしょうか。
 もちろんこういうアンケートに答えるくらいだから、ほとんどの方が「している」前提。「週に数回」と「毎日」という人が多く、2つ合わせて7割になります。

 私が思うにオナニーについては5つの段階があると思うんです。

 (1)「本当にしない。性欲もなく興味もない」という場合。
 (2)その反対に「する。しているということも言える」という場合。

 この2つの間に以下に上げる3つのタイプがあると思っています。
 (3)「してるけど言わない人」。こういう人が一番多いのではないかと思います。
 (4)「これがオナニーだと分かっていない人」。実はこういう人いるんです。
 例えば布団にこすりつけるといったことはしているのですが、これをオナニーとは意識していない、といったパターンですね。
このふたつが、「してない」という人の場合。そしてもうひとつのタイプは、「している」というんだけど、(2)の人とは違うこんなタイプ。
 (5)しているし、「している」って口に出して言うんだけど、「している」って言ってる自分が、最先端な感じがして、そんな自分が好きだから言うという感じの、最近流行りの“ビッチ系”みたいな人。

 この中でこじれているのは圧倒的に5番目のビッチ系ですよね。
 ビッチであることがかっこいいと思っているある種の人たちが最近増えてきたなっていう気がします。
 これ、第9回のときにも似たようなこと書きましたよね。肉食と処女ばかりが取り沙汰されて、間の「どちらにも属さない女性」が置いてけぼりになっている。
(うーん、この話題だけで、一回分のコラムになりそうです。)

 最初にも書いたんですが、オナニーしている人も実際多いし、そういう話もしたいのに、話題にしてもいいよって認められた場所じゃないと話しにくいというのが現状です。

 ではなぜ、そんなにオナニーの話はしにくいのか。
 それは、女性の性欲=後ろめたいという意識がまだまだ根強いからだと思います。

 決して後ろめたいことではないんですが、なぜ後ろめたいと思うんでしょう。

 男性は、最初でこそ「こんなことしていいのか」と思うのかもしれませんが、年をとるにしたがってオナニーに対する後ろめたさを感じている人は少ないですよね。
 だって生理現象として、溜まるものは溜まるし、出さなければいけないですから。

 それに対して、女性の場合は、オナニーはしなくてもいいんです。
 オナニーをする・しないに関わらず、生理的に困ることは何もないのですから。
 だから、「しなくてもいいことをしている」という申し訳なさが、罪悪感につながるのかもしれません。

 食べ物に例えるのもどうかと思いますが、男性のオナニーは白米を食べるようなもので、女性の場合はポテトチップスを食べるようなもの、くらいの差があるのかもしれません。

 主食として白米は食べないといけない、でも、ポテトチップスは食べなくても生きていけます。
もし主食にポテトチップスを食べる人がいるなら「健康に影響ないの?」なんて心配されたりいらぬ説教をされたりするかも。でも、何を食べようが個人の自由ですよね。ポテトチップスを積極的に食べることを誰も責めることなんてできません。

 ちょっと強引ですがそれと同じで、オナニーを積極的にすることを誰も責めることなんてできませんし、どうしようが自由です。罪悪感とか後ろめたさを持たないでください。そしてせめて仲のいい友達同士なら話しましょうよ。そこから始めましょうよ。

 そういうものを打開するには、やはり、話題にしていい場所ではちゃんと話題にするということですよね。
 職場の飲み会でいきなりオナニーの話はすべきではないと思いますが、仲のいい女友達とそういう話になったらしてもいいのではないでしょうか。

 ただ、実際、女同士でもハードルがあるケースがあるんですが、聞くほうも軽蔑しないで聞いてほしいですよね。
 軽蔑というか「ええーっ!? そんなことしてるの!?」といったリアクションはNGです。
 そういうリアクションが言い出しづらさを生むだけでなく、自分も言い出しにくくなりますから。

 こういう反応をする人の中には、自分自身も後ろめたいことをしていると思っている人が多いと思うんです。「ああ、この子はこんなことやっているんだ」っていうのと同じように、「私こんないけないことをしている…」と思っているということですもんね。

 アンケートの回答でもオナニーをする時は「ムラムラした時」「彼と会えなくて寂しい時」といった回答が多かったです。オナニーをする理由は男性と一緒ですね。でも男性と女性のオナニー観はずいぶん違います。

 たとえば、こんなことも言えると思います。
 男性は満を持してオナニーをするときもあると思うんです。
 例えば「紗倉まなちゃんの新作が出た」とか、大好きな女優さんの作品を手にした時なんかそんな感じじゃないですか?
 でも女性の場合はそういうケースはほとんどないんじゃないでしょうか。
 例えば一徹さんの新作が出たとしても、それはオナニー目的ではなくて、ただ一徹さんを見たいという感覚が強い人が多いのではないかと。この作品ではどんな彼が見られるんだろうっていう目線が強いと思うんです。

 女性のオナニーに関する話はちょっと掘り下げてみたいですね。

大谷ノブ彦 カタリマス! 第19回 「おんせん県おおいた」の、温泉のない佐伯市で考えた

2015.11.23 Vol.655

 今年も残すところあと1カ月になりましたが、先日、『キキマス!』から1週間お休みをいただいて遅めの夏休みを堪能してきました。故郷の大分で墓参りをしたり、九州を回ってきました。

 大分はもちろんですが、仕事で各地を訪れるたびに地方を盛り上げたいという気持ちが強くなります。秋に静岡の清水でマグロックとフジソニックというフェスをやりましたが、ああいった感じで、いろんなところから集まってもらってっていうのをさ、やりたいなって思うんです。

 大分県はいま、「おんせん県おおいた」っていって、いろいろ盛り上げをしています。でもね、僕が生まれ育った佐伯市はその大分にありながら……温泉がない。周りは“おんせん県”って盛り上がってるのに、どうしたらいいのって思っちゃう。 このことを、キングコングの西野に話したら、それは「温泉がないところがいいんじゃないですか」って。ないことが逆に魅力じゃないかっていうんですよ。温泉がないという、“おんせん県”という観点からは欠点とみなされるようなところ、それがそのまま魅力だって。あたりまえだけど、魅力っていうのも一つじゃなくてさ、いろんな見方があるんだよね。これもさ、「いろいろあっていい。いろいろあるからいい」っていう、『キキマス!』でもこのコラムでも、とにかくいろんなところで言い続けている多様性であり、フラットな物事の見方の話だって思いました。

 もう1カ月も経っちゃいましたけど、ハロウィーンに大騒ぎして楽しんでいた人たちのことを「ウェイ族」なんて呼んでさ、何のためにやってるんだ、何をしようとしてるんだ、みたいな議論がありましたよね。これもまた、フラットな見方の話かなって思うんですよ。彼らに、目的なんて聞いても意味がないんですよ。だって、楽しそうだから参加したっていうだけ。すごくフラットに楽しんでいたんだと思います。

「お前たちは何をしたいんだ」って、若者たちに大人が問いかけるお決まりのやつです。聞かれているほうは「誰でもないし、誰になろうとも思っていないし、何をしようとも思っていない。楽しいからやっている」って堂々としている。型にはまって自分探しをし続けているのは、大人たちなんだよな…。って、思いませんか? これ、お笑いでも一緒なんだよね。自分たちもずっとそう言われてきたしね。

 もっとフラットに——。そんなことを考えさせてくれた遅い夏休みでした。

小池百合子のMOTTAINAI 文明の転換点か。パリ同時多発テロ。

2015.11.23 Vol.655

 13日の金曜日。パリの夜は血塗られました。

 過激派集団ISによる同時多発テロは、オランド大統領も観戦するサッカーの試合が行われていた国立競技場スタッド・ド・フランスをはじめ、劇場やカフェなど計8箇所で起こり、130人もの犠牲者を出しました。パリ在住の友人の同僚も亡くなったと聞いて、他人事には思えません。

 世にも恐ろしい事件に世界を震撼させたかと思うと、次はアメリカの首都ワシントンを狙うとISが宣言。本当に厄介な時代に入ったものです。戦争ならば、国際法などを持ち出し、どこかで話し合いの余地があるものの、テロリスト相手に妥協点を見出すのは困難です。ましてや国際法はイスラムの観点ではキリスト教徒たちが勝手に決めたルールと無視し、イスラム法(シャリーア)に従えと主張するでしょうし。

 立場を変え、シリア難民からすると、「これで、私たちが毎日恐怖にさらされているのがわかったかね」と言いたいところでしょう。恐怖を逃れて渡ってきたのに、今回のテロをきっかけにますます居場所がなくなり、いったいどうすればよいのかと。

 今回のテロからいえることは、抑止力がなく、無防備なところはソフトターゲットとして狙われやすいということ。そんな場所は山のようにあります。まさかすべてのレストランに検査機器を備えるわけにはいきません。こうやって世界中の人々が頭を抱える現状こそが、ISの思うツボです。テロの意味は「恐怖」なのですから。

 目下、私が読みつつある小説があります。フランスの小説家ミシェル・ウエルベックによる「服従」という本で、イスラム風刺画を掲載した「シャルリ・エブド」誌の出版社が襲撃された今年1月7日に出版されました。イスラム教徒人口が激増する中で、2022年の大統領選でイスラム政権が誕生するという近未来小説です。イスラム政権の下、女性たちはこれまでのファッショナブルな服装をベールで包み、パリ・ソルボンヌ大学はソルボンヌ・イスラム大学へと改称するというもの。著者の作品はニヒリズムに溢れることで知られますが、ただの小説だと笑い飛ばすにはリアルすぎます。

 最近、欧州で生まれる子供の名前で最も多いのはムハンマドだとか。それほどイスラム教徒の人口増は激しく、だから「リアル」なのです。

 かたやわが国では少子化による人口減が静かに、そして確実に進行中。こうやって文明は静かに変遷していくのでしょうか。今回のパリでの大規模テロ事件は、後世において文明の転換点として刻まれるのかもしれません。(自民党衆議院議員)

江戸瓦版的落語案内 Rakugo guidance of TOKYOHEADLINE 牛ほめ(うしほめ)

2015.11.22 Vol.655

落語の中には、粗忽、ぼんやり、知ったかぶりなどどうしようもないけど、魅力的な人物が多数登場。そんなバカバカしくも、粋でいなせな落語の世界へご案内。「ネタあらすじ編」では、有名な古典落語のあらすじを紹介。文中、現代では使わない言葉や単語がある場合は、用語の解説も。

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