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ダイノジ 大谷ノブ彦 カタリマス!(裏)第8回 若者よ、失敗しに行け!

2014.08.06 Vol.623

 前回もお話しましたが、フジロックに若い子たちが増えたというニュースはとてもうれしかったですね。それを聞いた時は、僕らが思っている以上に、今の若い子の中にもちゃんと音楽のアンテナをはっている子や新しい価値観に出会いたいって思っている子がいるんだなっていうこと。フェスがそういう子たちが楽しめる場になっていたっていうのがすごくいいなと思いましたね。僕らが勝手に“今の若い子はこういうの聴かないよね”とか、決め付けることが一番だめ。気づく人は気づくし、それを今年のフェスは象徴していたんじゃないかな。やっぱり現場で体感することって、とっても大事なことなんですよね。

 それはほかのどんなことでも同じ。以前、10代の子にオススメの映画ベスト3を選んでくれっていう仕事がきて、一応選んだんですけど、本音は10代のうちは自分の興味のない映画を観ろって言いたかった。失敗作をみるのも君たちに与えられた義務であり権利だと。失敗作を見るっていうことを体感することはとっても大事なんです。それを観たときに自分がどう感じるかが重要で、信頼できる人が勧めてくれたから観ようとか、そんなの10年早い(笑)。作品選びに慎重になるのは、時間のないジジイとババアになってからでいいんだから(笑)。恋愛でも失敗している人のほうが、絶対に大人になった時にそれを糧にしていい出会いができると思います。フェスだって、知らないミュージシャンをどんどん見ればいいいんですよ。個人にとってはつまらなく感じて辛い時間になるかもしれないけど、その先にある発見の方が断然多いんだから。まったく聞いたことがないアーティストにビビっとくるかも知れないし、それを発見出来た時のよろこびって言ったらない。自分のことがよくわかるし、感性を豊かにしてくれる。若者なんかまずいものを食ってもいいんだよ(笑)。まずかったっていう経験をちゃんとしたほうがいい。

 僕の失敗体感は、若い時に初めて行ったソープランド。出てきた女性があきらかに母親よりも年上で(笑)。表の写真と違うから聞いたら、あっさりと“25年前から一緒なのよ、ごめんね”だって(笑)。25年間も写真をリニューアルしてないってこともびっくりだけど、25年間もここで働いてるんだと思ったら妙に尊敬しちゃって、人生相談して帰ってきた。それで何がわかったかというと、そういう店には25年張られてる写真があるということ (笑)。そんなふうに失敗も消化して面白く話せるようになればいい。でもそれは体感しないとできないことですからね。若い人には、この夏はフェスを初め、いろんなものを見に行って失敗してこいと言いたいですね。

格闘家イケメンファイル Vol.5 龍魂伝承 卜部 弘嵩(うらべ ひろたか)

2014.08.04 Vol.623

 1つ違いの弟・卜部功也もキックボクサーという最強兄弟の兄・弘嵩。弟に背中を見せながら、ともに格闘家の道を歩んできた。

「小学1年生の時に空手を始めたのが、格闘技との出会いです。弟も1年後に始めましたが、僕はやりたくてやっていたけど、弟は親に言われて付き添いみたいな感じでしたね(笑)。性格的には気が強くてあまりべらべら喋らないタイプ。弟はおしゃべりなので、性格的には結構正反対ですね」

 自然な流れでプロの格闘家へ。

「空手はずっと続けていて、高校生になった時には新空手というアマチュアの日本で一番大きなグローブ空手の大会に出場しました。そしてその大会で、17歳の時に優勝したことがきっかけでデビューの話をもらい、18歳、高校3年生の時にプロになりました。デビュー戦はKO勝ち。3回ダウンをとったら勝ちなんですけど、最初はパンチで2回ダウンをとって、最後はハイキックでダウンをとりKO勝ち。もちろん勝った時はうれしかったし、その時に格闘家としてやっていこうとはっきり決めた気がします。蹴り、特にハイキックは得意なので、それで倒すことも多いです。KOのうち3分の1ぐらいはハイキックで倒しているんじゃないかな」

 鮮烈なデビューを飾り、3年後にはチャンピオンに。

「チャンピオンになったのは21歳ですね。Krush初代王座決定トーナメント〜Triple Final Round〜という大会で、Krush−60kg級初代王者になりました。なった途端、状況が一変して戸惑いました。すごく注目された分、周りが期待するので、プレッシャーがすごい。だから当時は結構悩みました。ただ勝つだけで防衛するならできたと思いますが、Krushという団体のチャンピオンで、メインイベントをつとめることが多い立場だったので、常にKO勝ちを目指してやらなきゃいけなかった。ポイントだけとって逃げて勝つこともできますが、それじゃダメ。チャンピオンらしい戦い、いつでもKOで倒しにいくという姿勢ですね。例えば1ラウンドでダウンをとっても最後までKOを狙っていかなきゃいけない。そこに葛藤といいますか、逃げ道がない感じがあった。でもずっとそういうふうにやってきたことで、精神的にはすごく成長できたと思います。弟に相談? しません。弟はチャンピオンじゃなかったし(笑)」

友香の素 vol.141 真夏の革ジャン

2014.08.04 Vol.623

 このところの、暑さったら、もうたまりませんね〜。夏ってこんなに暑かったかな? 空を見上げると青空と白い雲のコントラストがキレイで気持ちいいけれど、それにしても眩しい。だから、怒ってないのに眉間にしわ(笑)。

 降り注いでいる紫外線もすごいんでしょうね〜。ロケの時は、日焼け止めを塗って、日傘をさしていても、やっぱり灼けてます。スタッフさんは一日中、太陽にあたっているから、半袖灼けが日に日にクッキリ。みんなでダラダラと汗を流しながら撮影する毎日です。

 今、撮影しているドラマでの私の役は、バイクに乗る女子。なので衣装がなんと革ジャン! この気温で革ジャン、そしてヘルメット!なので、本当に熱中症に気を付けています。革ジャンは羽織っただけでプチサウナ。でも、革ジャンよりももっとすごかったのが、ウインドブレーカー。ウインドブレーカーという名の通り、ウインドをブレーカーしちゃう。しかも首までファスナーを閉めたので、暑い暑い。減量中のボクサーかってくらい、背中を流れ落ちる汗の量ったらなかった。ウインドブレーカーよ、侮っていたが、おまえは革ジャンより最強だったぜ。

 熱中症対策としては、氷のうでリンパの流れる個所を冷やしたり、保冷剤を身体に巻き付けたり、服や頭が冷えるスプレーを使ったりといろいろしています。それと、こまめな水分・塩分の補給! いつも以上に汗をかいてるから、意識して補給することを心掛けています。そして、この間、撮影でお邪魔した水道局に張ってあった熱中症防止対策のポスターに、睡眠も大事とありました。撮影中は時間が不規則になるので、これは深い眠りになるようにアロマを使うことで手助け。最後にバランスの摂れた食事。きちんと取り入れていきたいところです。でも食いしん坊な私はお弁当を食べながら、これもバランスだもんね、とついつい食べ過ぎてしまう。太らないように気を付けなきゃ!もう一回ウインドブレーカー着ようかな。

小池百合子のMOTTAINAI 国家戦略特区の拡大でアベノミクスを浮揚すべし

2014.08.04 Vol.623

 もう20年にもなりますが、私が最初に担当した行政の仕事は総務庁の政務次官として、でした。

 地ビールや携帯電話端末の売り切り制度導入の規制緩和もその頃の成果です。当時は通信兵が担ぐようなショルダーフォンでバカでかく、料金も一通話300円などバカ高かったのを覚えています。

 それが今や、子供でさえ携帯する必需品。おまけに小さなコンピューター以上の機能を持つまでに至っています。

 地ビールも、それなりに地域おこしに一役買っています。規制緩和が世の中を変えた好例と言えましょう。

 地域の発想で、地域による活性化を図るための実験地域としての「パイロット自治体制度」も進めました。

 今でいう「特区」にあたります。

 こちらの成果はさっぱりでした。

 手を挙げた意欲のある自治体が、国の規制や国と市町村の中二階ともいえる都道府県の管理を離れ、街づくりや新たな産業を創造することを期待しての政策です。必要な財源も手当てしましたが、その分、国や都道府県からの交付金を削られ、お仕置きを受けました。

 その後も、様々な「特区」が導入されましたが、成功例は、小泉政権時代の「どぶろく特区」くらい。それとて日本経済の構造を大きく変えるほどの効果があったとは到底思われません。

 要は、霞が関の「手取り、足取り」の規制が岩盤である証左なのでしょう。「特区」を設けることで、「規制緩和、やってまっせ」とのアリバイ作りに使われています。国家賠償責任を問われた場合のリスクを取りたくない気持ちも理解しますが、日本のガラパゴス化を進めた原因とも言えます。

 アベノミクスの三本目の矢である成長戦略をスピーディーに実現するため、安倍政権では新たな「特区」制度として、国家戦略特区を設けました。東京も国家戦略特区とされましたが、23区のうちわずか9区しか対象になっていません。思い切って対象を広げるべきでしょう。

 地元の豊島区でも、思い切った少子化対策や景観や防災の観点から無電柱化を進めるなど、全国のモデル地域に挑戦する計画があります。特に、木造密集地域の多い地区だけに、再開発と無電柱化をセットで進める。老朽化したガス管、水道管の更新と合わせて電力線などの直接埋設などを思い切って進めたいものです。

 今度こそ、真に実効性ある「特区」でアベノミクスの三本目の矢、成長戦略を本物にしていかねばなりません。想像力と突破力で勝負です。

(衆議院議員/自民党広報本部長)

EXILE TETSUYA DANCEの道 第24回 大先輩からいただいた「苦労は絶対にするな!」のお言葉

2014.08.04 Vol.623

夏い暑!! いや熱い夏!! 心がワクワク躍りますね。皆さん満喫してますか? 海、山、プール、たまにお祭り、海、山、プール、たまに花火大会!! できることならこの順番で毎日過ごしたいです(笑)。

 そんな妄想をしながら、僕は毎日スタジオにこもってリハーサルにリハーサルを重ねています。9月から始まるEXILE TRIBEでのドームツアーに向けて、毎日みんなであーだこーだ言いながら楽しくやっております(笑)。前回のEXILE TRIBE TOWER OF WISHをさらにパワーアップさせて願いの塔が帰ってくるわけですが、ドームの天井に届いてしまいそうなたくさんの思い出が詰まった、あの塔にまた会えるのが僕も今から楽しみです。

 願いの塔のようなセンターステージは立ち位置を決めたり、演出を決めたりするのが、普通のエンドステージとはかなり違ってきます。360度、四方八方から見られているということは、全方位にいる皆さんに楽しんでもらえるものを作らないといけないということで、DANCEへのこだわりだったり立ち位置、踊る向きの工夫だったり、360度だからこそできる演出の仕方、全体的な流れの持って行き方を一つひとつ丁寧に想いを込めて創造して行くのですが、EXILE TRIBEは26人……。これだけ自分の意志を持った人間が集まって一つのモノを作るのは容易なことではありません。それぞれにこうしたい、ああしたいとか、こっちのほうが盛り上がるとか、いろいろな意見が飛び交います。これだけのメンバーがいて、答えのないエンターテインメントを作ろうとすればそうなるのは当たり前なのですが、なるべく全員の意思を尊重してみんなが演出した、みんながやりたいLIVEにしようと先輩も後輩も一つになって頑張っています。

 こんなことを言っていても、気づいたらツアーが始まっていて、気づいたら年末になっているんだろうなぁ……(笑)。時間が経つのは本当に早いと感じていますが、それだけ充実していて集中できているということなんでしょうね。

 先日とある大先輩に言われたのが、苦労は絶対にするな! そんなものは死んでもするものじゃない!! だから自分の好きな事、やりたい事を貫き通せ。どんなに大変な事でも自分の好きな事、やりたい事ならばそれは苦労ではない!!! 0か100かなお言葉ですが(笑)。本当に間違いないなぁと思いました。人間って辛いとか、苦しいとか、ネガティブなことは多くの人が共感できるらしいですが、笑いとか幸せは、人それぞれ違くてなかなか全員で同じことで共感するのは難しいらしいです。ライブに来てくださるファンの皆さん全員に幸せな気持ちになってもらうのは究極に難しいことだと思います。だけど僕は本当にライブが好きで、あの大きなステージで踊ることが僕の生き甲斐なのでリハーサル中に煮詰まることもよくありますし、トレーニングや振り作りも時間かかりますが、全く苦労とは感じません! あっ、大先輩に言われたのはこういう事か……(笑)。なんてことに気づいたり、感じながら毎日ワクワクして過ごしております。ぜひ皆さん暑い夏を乗り越えて、9月から始まるEXILE TRIBEのドームツアーを楽しみにしていてください。

江戸瓦版的落語案内 Rakugo guidance of TOKYOHEADLINE 「ネタあらすじ編」

2014.08.02 Vol.623

落語の中には、粗忽、ぼんやり、知ったかぶりなどどうしようもないけど、魅力的な人物が多数登場。そんなバカバカしくも、粋でいなせな落語の世界へご案内。「ネタあらすじ編」では、有名な古典落語のあらすじを紹介。文中、現代では使わない言葉や単語がある場合は、用語の解説も。

ダイノジ 大谷ノブ彦 カタリマス!(裏)第7回 勃発!果物問題。僕のリンゴは6分の1!

2014.07.31 Vol.622

 夏フェスが盛り上がってます。先週末、フジロックフェスティバルが終了しました。僕は行けなかったんですが、GotchやTOSHI-LOWさん、MAN WITH A MISSIONの盛り上がりだとか、アーケイド・ファイア(中日のヘッドライナー、カナダ出身のロックバンドで今夏世界中のフェスでヘッドライナーを務める)がたくさんの人を集めたこと、何よりも10代とか20代前半だとかの若い子たちがたくさん行っていたって聞いて、すごくうれしい。というのも、僕、今年は、フジロックにとって正念場だって思っていたんです。大人が多いフェスの印象でしたが、お客さんの世代交代もできたのかなって。それがうれしい。まだまだメガフェスが控えていて、『キキマス!』では今週、サマーソニックに出演するアーティストを楽曲とともに紹介していますので、ぜひお聞きください! ああ、アーケイド・ファイア、見たかったなあ……。

 さて、29日の放送は、夏フェスに負けないぐらい熱を帯びた番組になりました。お聞きいただいた方はご存じだと思いますが、この日のテーマは「マザコン」。男はみんなマザコンなんじゃないかっていう話でした。火曜のキキマスター・マキタスポーツさんと、大いに盛り上がったんですが、そのなかである問題が勃発しました。それが「果物問題」です。

 男性のみなさん、果物を自分でむきますか? 僕はむきません。ずっと母親がむいてくれたし、今は嫁がむいてくれます。最近では「むいてくれる男性もいる」そうですが、僕はやっぱり自分ではやらないなあ。最近はそうでもないけど、みかんでさえ、むいてほしいぐらい。僕はマザコンですか?

 むきかたも重要です。例えば、リンゴ。僕は大きめのサイズが好きなんです。口に入れたときにリンゴで口がいっぱいになるような。サイズとしては六等分ぐらいにしたぐらい。それが僕のリンゴなんです。なぜなら、母親がずっとそうやってむいてくれたからなんですよね。今は嫁がむいてくれた“大谷家のリンゴ”を食べていますし、うさぎにむいてくれたって、八等分、もっと薄くなってもむいてもらえればいただきます。だけど、なんか違うんだよなあ。バイキングなんかで薄いリンゴが出てくるとすごく腹が立ちます。

 キウイもそうですね。半分に切ってスプーンと一緒に渡されたりするのは違う。ちゃんと皮をむいて切って出される、それが僕のキウイなんです。きっとこれも母親がそう切ってくれたから。それにこだわるのは、僕がマザコンだからですか? 

 この問題、この日だけではやりきれなかった。また、やりたいと思います。 

長島昭久のリアリズム
国家と安全保障を考える(その一)

2014.07.21 Vol.622

 外政を担いたいと思い政治の道を歩み始めたのは世紀の変わり目、2000年秋のことでした。初陣に敗れ、3年間の浪人生活を経て2003年11月に初当選。以来、野党議員として約6年間、外務委員会や安全保障委員会等に所属して政府に対する質疑追及に明け暮れました。追及といっても、常に念頭に置いていたのは、「外交・安全保障に与党も野党もない、あるのは国益のみ」との信念でした。ですから、70回を超える質疑で、政府の揚げ足取りや批判のための批判は一度もなかったと自負しております。逆に、台湾問題や海賊対処などでは、政府の足らざるを指摘し、具体的提案を行うなど建設的質疑を心掛けました。

 その結果、2009年夏の政権交代後、鳩山・菅政権で防衛大臣政務官、野田政権では外交・安全保障担当の総理補佐官、防衛副大臣を経験することができ、外政を志した私としてはまさしく本懐を遂げることができました。とくに、野田政権で務めた総理補佐官の一年では、首脳会談に30回以上同席し、「国家とは何か」を常に考える日々でした。

「首脳会談や国際会議に赴くときは、命を懸けて戦地に赴いた出征兵士の心境で臨んだ」・・・これは尊敬する中曽根康弘元総理の言葉ですが、この言葉の重みを噛み締めることができました。まさに、首脳会談とは、国家の命運を背負ったリーダー同士の真剣勝負の場。補佐官レベルの私でさえも「国家とは何か」「国益とは何か」「国家戦略とは何か」を365日、常に考えさせられる日々でした。

 国家について考えれば、自ずと国家の歴史に思いを馳せざるをえません。

 日本史を紐解くと、日本はほんとうに特別な国だとつくづく思わされます。

 地政学的に見ると、日本は、西正面に大陸が迫り、背後には太平洋という大海原が続いており、しかも、大陸の圧倒的なパワーを朝鮮半島や東シナ海を通じてダイレクトに受け止める島国です。普通、このような国は大陸の影響を大きく受け同化するものです。アフリカの東岸に浮かぶマダガスカルや、インド大陸の南のスリランカ(セイロン島)などは大陸に付属しているような位置づけですし、七つの海を支配した大英帝国ですら、欧州大陸からの巨大な圧力と葛藤を繰り返してきました。

 しかし、日本は、歴史上、中国から様々な影響は受けつつも、一貫して国家や文化の独立を維持して今日に至っています。むしろ、古来、中国とは毅然として対等を貫き、何世紀にもわたりライバル関係を保ってきたといえます。世界史の中でも日本が稀な存在である所以です。
(衆議院議員 長島昭久)

鈴木寛の「2020年への篤行録」
第10回 サッカーW杯にみたメディアの病理

2014.07.21 Vol.622

 サッカーW杯・ブラジル視察から戻ってみて、「サッカーは人生の縮図」というイビチャ・オシム元日本代表監督の言葉を身に染みて感じます。ブラジル視察の感想を東京ヘッドラインの読者向けにメディア論の視点から述べさせていただきます。

 本郷にあるサッカー協会のオフィス前に行くと、十数人の男性が暑い中、外にたむろしている光景が目に入ります。サッカー協会を担当するスポーツ紙や一般紙の記者たちです。協会に大きな動きがありそうな時は、ここにテレビカメラのクルーも加わって、「メディアスクラム」が出来ることもあります。彼らは、大仁邦彌会長や、原博実技術委員長ら監督の後任人事のカギを握る幹部の方々がビルに出入りするところを待ち構えています。

 そして、「ぶら下がり」といって、例えばビルの前に横づけされた車から関係者限定の室内に移動するまでの間、取り囲んで取材してきます。時にはICレコーダーを突きだし、「人事は決まりましたか?」等と、その場で回答が出るはずもない無意味な質問を繰り返します。スポーツの記者さんたちは割とカジュアルな服装が多く、永田町・霞が関で出くわすスーツ姿の政治部記者とはカルチャーが違うようにも思いますが、やっていることには大差ありません。官房長官の記者会見で、目の前の記者たちが質問もせずにパソコンに一生懸命打ち込んでいる場面をテレビで見たことがありませんか? 以前は永田町くらいかと思いきや、最近は企業の社長会見、スポーツの記者会見の現場にも広がりつつあります。

 いまはネットの動画中継もあるので、会見に出てきた人物の発言を書き起こすくらいなら、その現場にいなくても出来る仕事です。記者会見に出席する記者は、利害関係のない第三者、ジャーナリズムの体現者としてのウォッチャーの役回りを担っているはずです。以前の発言と変化やブレが無いのか? ほかの関係者の話していることと矛盾は無いのか? あるいは事実関係に誤りがあるのか? 問題が何も無くても、せっかく現場にいるわけですから臨場感を伝えることだけでも意義があるというものです。残念ながら無心に「キーパンチャー」に徹する記者たちの姿から、思考力は一切感じられません。

 これでは当然、まともな分析記事を書ける記者があまり育ちません。日本代表の敗戦総括をせずに、新監督の人事ばかりを報じているだけでは、読者・視聴者に考える材料を提供できません。4年前、ザッケローニさんの就任発表当日には、あるスポーツ紙がザッケローニさん就任を特報し、もう一紙は別の人物を挙げる誤報をしました。発表を先取りすることを「特ダネ」扱いし、本質的な報道をしていない典型的な事例です。

 それにしても、本郷の地元住民や近隣の会社関係者がいぶかるような「から騒ぎ」は、代表監督の後任問題が落着するまで続くのでしょうか。日本人がサッカーを本質的・多角的に考えられるようになるには、メディア側の意識改革も必要です。あるいは他業界と同じく、既存のメディアに刺激を与える、新規参入も待ち望まれます。
(東大・慶大教授、日本サッカー協会理事、元文部科学副大臣、前参議院議員)

All the Best!! EXPG Report
vol.16 宮崎の夏フェスで最高の夏の思い出

2014.07.21 Vol.622

 今年1発目のフェスで、しかも久しぶりの野外でのパフォーマンスだったため、最高に気持ち良かったです! 天気にも恵まれ、宮崎の皆様の温かい応援のお陰で、フェスも大変盛り上がりました!! 新曲の『R.Y.U.S.E.I.』でのパフォーマンス中にあるランニングも、お客様と一緒にできて、最高のライヴになりました! 三代目のパフォーマンスを、一緒に盛り上げてくれたEXPG宮崎校の生徒のみんなにも久しぶりに会えてうれしかったです!

 パフォーマンスだけではなく、バックステージでは宮崎産のマンゴーやチキン南蛮など、おいしいご飯もいただいて、最高の夏の思い出ができました!

 フェニックス・シーガイア・リゾートの施設は、ゴルフ場やホテル、近くにきれいな海もあって、休みができたらプライベートで遊びに来たくなりました(笑)。皆様もぜひ遊びに行ってみてください! 特に夏がおすすめです!

格闘家イケメンファイル Vol.4 アンタッチャブル 卜部 功也

2014.07.20 Vol.622

 実兄・卜部弘嵩もキックボクサーとして活躍。兄の後を追って、自然と格闘家になったというお兄ちゃんに頭の上がらない弟の素顔は?

「兄とは年子なんですが、小学校1年の時に兄が空手を始めて、僕はその1年後に同じく小学校1年生で空手を始めました。1年生になったら空手を習わせるっていう親の方針で。兄は子どものころからあまりべらべら喋るタイプではありませんでしたが、僕は基本的におしゃべりです(笑)。典型的な長男と次男。自分自身は多分格闘家向きじゃない性格だと思う。気も強くないし、普段から熱くなったり、怒ったりしないので。お兄ちゃんには頭が上がらないというか、兄は“兄です”って感じです(笑)」

 先にプロになった兄に続き、格闘家としてデビューを果たす。

「デビューは2009年ですから、19歳の時です。小学校の時に兄と空手をやって、そのあと兄がグローブ空手をやるようになり、僕ももちろんついて行きました(笑)。そのあと、僕はK-1甲子園に行き、1年間そこでやっていた。試合はずっと勝っていたんですけど、最終的に決勝でHIROYA君に負けて準優勝だったんです。でもそのまま兄が所属する団体からオファーが来て、プロデビューが決まりました。K-1甲子園はテレビでも放送されていたので、放送の翌日は多少声をかけられることもありましたけど、それはまあ…恥ずかしかったです(笑)」

 そしていよいよチャンピオンになるのだが…。

「チャンピオンには、22歳の時にユースという若手のトーナメントでチャンピオンになって、23歳でISKAという世界チャンピオンのトーナメントがあり、そこでチャンピオンになりました。実は僕、それを取るまでにK-1甲子園とアマチュアを合わせて4回トーナメントに出ていたんですけど、ずっと準優勝だったんです。だからベルトを取るまではすごく辛かったですね。なんで俺は最後に取れないんだ…って。対戦相手も違って、必ず決勝までは行くのに、どうしても勝てない。その時は精神的に悩みました。そういう選手もいるんですよ。強いし、うまいんだけど、どうしても1番にはなれない。自分はもしからしたら、そういう選手なんじゃないか、一番にはなれない選手なんじゃないかって、悶々としていました。そして最後、4回目にトーナメントに出たときに、KO負けしたんです。ずっと判定で負けていたのに、最後はKO負け。その時に、自分は何をやっているんだろうと思って。これはもう、プライベートから何から全部変えなきゃいけないと思い、お酒や遊びはもちろん、いろんなものを捨てて、練習漬けの生活にしました。そこで、ちゃんと格闘技にのめり込めたし、自分を変えられたと思います」

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