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徳井健太の菩薩目線 第112回 『オールナイトニッポン0』で感じたファミリー感とかなしさ

2021.10.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第112回目は、オールナイトニッポン0について、独自の梵鐘を鳴らす――。

初めてニッポン放送『オールナイトニッポン0』の単独パーソナリティーを担当させていただいた。平成ノブシコブシも芸歴21年を迎え、齢も40を越しました。そこでようやく、オールナイトニッポンが気付いてくれたんだとしたらありがたい。一回きりとはいえ、特別な体験だった。

実を言うと、俺も吉村もオールナイトニッポンを聴いてこなかった……というか、ラジオ文化で育ってこなかった。俺は、『ごっつええ感じ』をはじめテレビの中の笑いで育ってきたから、熱心に深夜ラジオを聴くといった習慣がないまま、今にいたる。

そのため、オールナイトニッポンのパーソナリティをするということが、どれくらいすごいことなのかピンときていなかった。ところが、アナウンスされるや、芸人やスタッフ、方々から「出るんですよね!?」、「すごいじゃないですか!」、「話すこと決めてるんですか!?」なんて具合に、あらゆる反応が飛んできて驚いた。祭り感が、すぎる。

「なんかよくわからないけど、すごい感じがするなぁ」。そんな感覚のまま、当日、ニッポン放送に向かい、入り口で検温と消毒を済ませる。どこに向かえばいいんだろうと考えていると、警備員さんが歩み寄ってきて、

「4階ですよ」

と粋な声で案内してくれた。もう、さっそうと。スマートに。

普通であれば、「出演者様ですよね?」とか「番組は何ですか?」とか聞いてくる。ところが、この時間に来るということは、オールナイトニッポン0の出演者一択。しかも、今日はノブコブがパーソナリティ。すべてを把握しているようなトーンで「4階ですよ」の一言。俺には、(がんばってください)と心の声が聞こえるくらい、警備員さんすらオールナイトニッポンの一員という感じがした。

そのファミリー感たるや、恐れ入った。

俺たちの前、つまり1~3時はオードリーがパーソナリティーを担当している回だったので、打ち合わせの最中、ずっと彼らのラジオが流れていた。

台本には、「オードリーさんありがとうございました。ここからは平成ノブシコブシのオールナイトニッポン0です」と書かれている。前のパーソナリティが今まさにしゃべっているオールナイトニッポンを聴きながら、 打ち合わせをし、時間を過ごす。これを毎週やっている。同じ空間に、生で居続ける。そりゃファミリー感も生まれる。同じイベントを共生している感じが、すさまじいんだ。

おそらくあの警備員さんも、オールナイトニッポンを聴いているんだろう。入り口からオールナイトニッポンのファミリー感を創り出す一員という感じがしたし、あのウキウキ感は今まで見たどの警備員さんより、番組の一部という感じがした。これがオールナイトニッポンなのかと、俺は震え上がった。

平成ノブシコブシは、ラジオ童貞じゃない。以前にも、ラジオのパーソナリティはやっている。オールナイトニッポンとはいえ、ゲストの一回。なのに、周りは「すごいっすね!」と喝采を浴びせ、現場に到着するとビリビリとファミリー感を感じさせる。

ただラジオの仕事をするだけのに、俺たちはこれから何かとんでもないことをするんじゃないのか――、そんな気持ちになってしまい、 本番直前、俺も吉村もすごい緊張しちゃった……。出たこともないのに、 M-1決勝の出番待ちってこんな感じなのかなって、巡り合うことのなかった未来すら想像してしまった。冗談じゃないよ。

そんな状況だったのだけど、放送はお楽しみいただけたんだろうか?

放送後も、オールナイトニッポンの残響は聞こえてくる。まず、同じラジオなのかってくらい評判が違う。賛辞の声もあれば罵倒の声もある。でも、とにかく数がすごい。

少し前にやっていた文化放送『卒アルに1人はいそうな人』は、俺自身はとても好きなラジオ番組だったけど、誰が聞いていたのかわからないくらい評判や反響の類が、一切、俺の耳には届いてこなかった。そして、俺の曜日だけ、Youtubeに違法にアップロードされていなかった。

約10年ほど出させていただいたMBSラジオ『オレたちゴチャ・まぜっ! 〜集まれヤンヤン〜』ですら、「徳井さんが話していたこの前のラジオの~」みたいなことは起こらなかった。10年、ほぼ皆無。

ところが、オールナイトニッポンは、誰かがYouTubeに上げる、書き起こしのようなテキストがある、Twitterでも転がされる――。

たった一回なのに、こんなに反応があるのは、なんてさびしいんだろうと思った。

日の当たらないところで、何百回、何千回、何万回とやっている人たちだっているのに。同じことを。そう考えると、俺はたった一回も大事にしたいと思ったし、誰も見てないかもしれないことを反芻していくことも大事にしようと、あらためて思った。特別な体験とは、そういうことを再認識させてくれるから、特別なんだ。

徳井健太の菩薩目線 第111回 みなおかの名物企画「買うシリーズ」で購入した約80万円の高級時計を質屋に売った理由

2021.09.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第111回目は、思い入れについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

「徳井さんて、肌着とか来ないんですか?」

数年前、仕事で共演したやす(とにかく明るい安村)から言われた一言。自覚はしていた。自分の脇を見ると、素肌に直接着たパーカーに、じっとりと脇汗がにじんでいる。やすも、気になって指摘してくれたのだろう。これじゃ仕事に集中できなかっただろうに。

少し恥ずかしくなった俺は、肌着というものを初めて意識した。緊張感を伴う仕事が増えれば、今後、脇汗をかく機会も増えるかもしれない。「これからは着用しよう」。さっそくユニクロの真っ白な肌着を10着ほど購入し、脇汗対策にいそしんだ。

あれからどれくらい経っただろう。

先日、麻雀を打っていると、突然、「徳井さん、ワクチン打ったんですか?」と聞かれた。なぜ脈絡もないこのタイミングで? これが噂のワクチンハラスメントか――などと思っていると、彼は俺の腕を指さす。

伸びきった肌着がTシャツの下から顔を覗かせていて、あたかも二の腕にガーゼがかぶさっているような状態になっていた。正体の主は、あのとき買った10枚のうちの一枚だった。

「恥ずかしい」

と思った。 ただただだらしなく伸びきった肌着がTシャツを突破して、求めていない自己主張しているその様子は、羞恥心を掻き立てるに十分すぎる。俺が、終始ハラスメントしていたようなもの。

家に帰って、よくよく肌着を見てみると、だらしないのなんのって。真っ白だったはずなのに、オフホワイトのように変色していて、よれよれ。着丈は膝上まで伸びていて、湯葉でできたハイパーミニを着用しているような俺が鏡に映っていた。

俺も芸能界の末席にいる人間。こんなみすぼらしい格好を人に見られたのでは、あまりに申し訳ない。数日後、仕事で飛行機に乗る機会があったので、空港のユニクロに立ち寄り、同型の新品肌着を探したものの見つからない。約7年の間に販売休止になったらしく、仕方なく巷を席巻しているエアリズムなるものを買ってみた。

真っ白な肌着。再び、同じものを10着買うことにした。

そのことを当コラム担当編集A氏に告げると、「なぜまた同じもの10着買う?」と言われた。曰く、「白は乳首が透けるから、どうせ10着買うんだったらブラックやネイビーも買ったほうが着回しがきくじゃないか」と。

なるほど、その発想はなかった。でも、俺としてはコカコーラをレギュラー、ライト、ダイエット……それぞれ三種類ずつ買わないのと一緒の感覚。「コーラとエアリズムは違う」と言われたものの、「これだ」と思ったものを徹底して買ってしまう。同じものを買い続けているのは、俺の中で“ゴールが見つかっている”からであって、歯磨き粉も缶ビールも同じものしか買わない。肌着のゴールが、ユニクロなんだ。

俺が服に対してまったく無頓着なことは、以前『「モテたい」よりも「面白いと言われたい」という欲が、服装に表れる』でも説明した通り。カジュアルな場所は T シャツでいいし、フォーマルな場所はジャケットを着とけばいい。世の中なんて、それでどうにでもなる。

時計に関しても、まるでこだわりがない。以前、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「買うシリーズ」で、80万円ほどの高級時計を買った。でも、2~3年もすると「腕時計なんて必要ないな」と気がつき、質屋に売り飛ばした。

「とんねるずさんの番組で買った思い出の品でしょ!? “「買うシリーズ」で買った時計”ってだけで付加価値がすごいじゃない。なんで売れる!?」

再びA氏が異を唱える。でも、その発想もなかった。

腕時計なんて付けていなくてもどうにでもなる。とんねるずさんのことを好きなことと、とんねるずさんの番組で買った腕時計は別腹。

着用していたときから何度か忘れて帰ってくることがあった。「忘れるってことはいつか失くすな」と感じていた。だったら失くす前に、お金に変えた方がいいと思い、質屋へ走った。質屋の買い取り価格は、20~30万円ぐらいだったような気がする。

思い出がないのか、はたまた思い入れがないのか。とにかく生きていて、そういった感傷にひたる機会があまりない。相方である吉村は、「あのときはこうだったよなー」とか、「この店、潰れたんだ!? ここにはあんなものがあって」みたいな話をするのが好きだけど、俺は思い入れがないからか、そういう話に興味が持てない。すでに無いものについてあーだこーだと話すより、今あるものについて話した方がいいと思ってしまう。

そう考えると、俺が新宿や渋谷が好きな理由もなんだかわかった。次から次へと新しいものができていく新宿や渋谷は、思い入れが幅を利かしてくるなんてことが少ない。だから、俺は好きなんだ。思い入れがないと、エアリズム白を10着即決購入できるように、案外、決断も早くなるのかもしれない。迷わなくていいかもしれない。

徳井健太の菩薩目線 第110回 アベプラで話した“ギャラ飲み沼”から抜け出せなくなった女性と、アキラ100%のロケを見て感じた「稼ぐこと」

2021.09.20 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第110回目は、稼ぐことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

徳井健太の菩薩目線 第109回 KAT-TUN 上田くんのような嘘をつかない人間の海外ロケが見てみたい

2021.09.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第109回目は、『食宝ゲッットゥーーン』出演時の印象について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

『徳井の考察』内で、KAT-TUN&食宝ゲッットゥーーンについてお話させていただいた。中丸くんのバラエティ能力、亀梨くんの所さん感、上田くんの戦国武将感――。

驚いたのは、3人ともテレビ的な要素(例えばカメラなど)を意識しているようには感じなかった点だった。普段は、芸人がいない収録だという。一体、どうやって回しているんだろうというくらい気負いがない。その自然な感じに、とても好感を抱いた。

とりわけ気になったのが、上田くんだ。彼からは、一切人から好かれようという感じがしない。話し方、椅子の座り方、どれをとっても好かれようなんて思っていない、たたずまい。心の中に優しさを持っていたとしても、その優しさを伝える努力をしたくない――、努力を伝えるための努力をしないという雰囲気を、勝手に感じた。会ったことはないけど、勝新太郎さんをはじめとした昭和の名優って、こんな感じだったんだろうなと、時空を飛び越えてしまった。

男女問わず、「ファンのおかげです」なんて明らかに嘘と見破られるような上っ面の言葉を並べるだけのアイドルが少なくない。俺もいろいろなアイドルと共演させていただいてきたけど、不愛想でも嘘をついてないほうがよっぽどいいと思っている。

彼ら彼女らは、自分たちがファンに支えられているということを痛いくらいにわかっている。おそらく、ファンも自分たちが支えているという強固な自覚があるはずだ。だから、そもそもお互いが大事に思っていないと、アイドルとファンの関係なんて成り立たない。そんな当たり前のことをわざわざ口にする必要なんてあるの? あえて伝えないという人だっているに違いない。逆張りのロックだ。

久々に芸能界で嘘をついてない人を見たなと思った。ここにいたのかって。 芸歴10年くらいだったら、まだわかる。でも、長い人生の中で自分のキャリアと向き合わなきゃいけなくなってくる15年、20年ともなれば、話は変わってくる。ずっとブレないってのは、ものすごく鍛錬が必要なことだ。

上田くんは、『イッテ Q 』のような海外ロケが、とても似合うと思う。嘘をつかないから、ものすごく説得力が生まれると思う。海外の文化に触れたとき、飯がまずかったらまずいって顔をするだろうし、純粋に感動したら涙を流すだろうし。 『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のようなハードなロケも見てみたい。嘘くさくないから、『炎の体育会TV』 にハマってるのも納得だ。

そんな気持ちの一部を『徳井の考察』で述べたわけだけど、ありがたいことに動画の中では再生数しかり好評のようだ。が――、反響って本当に難しいなと痛感している。

振り返ると、 『徳井の考察』内で反響が高かった動画は、オリラジ中田のあっちゃんとコラボしたものや、東野さんやハライチについて話した回が、それなりに再生数が高い。そんな中、意外にも再生数が高いのがバッドボーイズ佐田さんの『佐田ビルダーズ』を考察した回だ。佐田さんが登場するわけではないのに、どういうわけか6万回ほど再生されている。『特攻の拓』ファンが大勢視聴したのだとしても、THE YELLOW MONKEYについて考察した回よりもダブルスコアで再生されるなんてどうかしている。何が反響につながるのか「!?」なんだ。

加えて、再生回数が高いからと言って、チャンネル登録者が増えるわけでもない。それどころか回を重ねるごとに、ジリジリと登録者数が減っている。もう「!?」としか言いようがない。

おそらく、多くの人がお笑いの分析を望んでいるんだと思う。とは言え、あまりニッチなところをチョイスしても再生回数は回らないし、ビッグネームを扱うにしても、語るまでもないからビッグネームになりえたわけで、語るに落ちる。

端的に言うと、壁にぶち当たっている。

『フリースタイルティーチャー』を扱ったものの、目も当てられない再生数を弾き出してしまった光景などは、壁によって圧死したと思ってもらって構わない。

過去にも、「賭博deハッピーちゃんねる」なる回をお届けしてみたけど、誰も受け取ってくれなかった。「見ず知らずの他人に、勝った金で酒を奢りたいです。20万円が目標です。応援よろしくお願いします!」と謳ってみたけど、敷居さえまたがせてくれずに門前払いだった。サブチャンネルでやれよ、って話だったのかもしれない。

まったく何が伸びるのか読めない。それがYouTubeの面白さなのかもしれない。一方で、結果を出したあっちゃんやカジサックのすごさを思い知る。結局、俺自身が興味のあることをやり続けるのが、一番ストレスにもならないし、良いことなんだろうなと思う。一周回っていない原点回帰は、ずっとスタート地点にいるだけのような気もするけど、俺も嘘をついてまで何かをやりたいとは思わない。

 

 

※「徳井健太の菩薩目線 」は、毎月10・20・30日に更新予定

徳井健太の菩薩目線 第108回 俺は麻雀界のヒールらしい。ヒーローがいないなら、雀卓一帯を焼け野原にするしかない。

2021.09.02 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第108回目は、麻雀の世界で起こる「徳井論争」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

「徳井さん……僕は、徳井さんの麻雀スタイル含めて好きなんで」

いつものように雀荘で興に乗じていると、先ほどからこちらをチラチラとうかがっていた40歳くらいの男性から声をかけられた。“僕は”。あまりに含みを持たせた言い方。違う卓から、わざわざ俺のところに来てまで伝えたかった言葉。だと考えると、心に引っかかる。“僕は”ってことは、彼は少数派なんだろう。引っかかって引っかかって、その後の麻雀は、ほとんど覚えていない。

身に覚えがある。なんでも、俺のいないところで麻雀のプロ、雀士たちが集まると、「徳井の戦法は是か非か? 認めていいのか?」といった“徳井論争”が起こるらしい。麻雀番組でたびたび共演する女性タレントから、直に聞いたことなので、本当らしい。恐れ多い。というか、“徳井論争”ってなんなんだよ。

「いろいろみんなで話すんですけど、最終的には徳井さんの麻雀も認めなきゃいけないんだっていう結論になります」(女性タレント)

……。複雑だよ。本当に論争じゃないか。最終的には認めなきゃいけない――ということは、ほとんどの人がアンチ徳井スタイルなわけで、冒頭の“僕は”の謎も解けてしまった。俺は、まったく自分のうかがい知らないところで麻雀界のヒールになっていたらしい。俺にエールをくれた先の男性は、隠れキリシタンだったんだ。

麻雀界のヒール。一体、俺は何をしでかしているのか。

麻雀に詳しくない人もいるだろうから、「徳井さんの麻雀も」がどういうものか、説明しておきたい。 

例えば、プロ野球選手の引退試合があるとする。その引退する選手の最後のバッターボックス。ピッチャーは直球勝負を貫き、気持ちよく バッターがバットを振れるよう、花道を演出する。よくある光景だ。

実は麻雀にも、そういった暗黙の了解や美学がある。せせこましいことや老獪なことは王道ではなく邪道と映る。しかし、俺はよこしまな道をフルスロットルで駆け抜け、勝利を掴みにいく。「そこでそれやる?」と思われても、アクセルを踏み込む。意図してやる以上に、嬉々としてやる。

先の引退試合の例で言うなら、現役最後のバッターボックス、その打席に対して俺は平気でフォークボールを投げるようなもの。その選手が、現役最後なんて知ったこっちゃない。こっちは現役。万が一打たれたら、防御率が上がってしまう。去りゆく人への花束よりも、現役の 1アウト。勝負である以上、現役最後の打席だろうが、勝ちにいかせていただく。俺は笑いながらフォークを投げ、空振りした引退選手は、マウンド上の外道を睨む。そして、俺は再び笑い返す。“徳井論争”が起きるのも、当然っちゃ当然かもしれない。外道の牌。自覚している。

プロ雀士、著名人、アマチュア、全国の雀士――幅広い分野の麻雀愛好家が集うオープントーナメント『麻雀最強戦』という最高峰の戦いがある。竹書房「近代麻雀」誌主催による麻雀のタイトル戦であり、1989年度から行われている由緒ある大会だ。優勝賞金300万円。副賞は一切ない。王者しか賞金を手にすることはできない。

“男子プロ因縁の血闘”“女流チャンピオン決戦”“タイトルホルダー頂上決戦”など、テーマごとに選ばれた雀士がブロックごとに戦い(全部で16ブロック)、その中からたった一人がファイナルトーナメントに進出する。選ばれし16名が4人×4卓に分かれ、以後、上位2名がノックダウン方式で最強の称号を目指す。ゾクゾクする。最高の晴れ舞台、俺は“著名人異能決戦”と題されたブロックに出場することになった。

 

A卓 松本圭世 福本伸行 加賀まりこ 宮内悠介

B卓 瀬川瑛子、徳井健太(平成ノブシコブシ)、佐藤哲夫(パンクブーブー)、近藤くみこ(ニッチェ)

 

腕が鳴る面子。何癖もある手練れを相手に、俺は暗黙の了解を破り続ける。結果、ファイナルトーナメント進出を果たした。素直に嬉しかった。

麻雀は勝負なんだ。勝つことができるなら、美学なんていくらでも捨ててしまったほうがいい。結果を残せば、「最終的には徳井さんの麻雀も認めなきゃいけないんだっていう結論になります」になる。偉そうなことは言えないけど、勝負ってどこを切っても、結局、残酷なんだ。

『麻雀最強戦』は、ABEMAで放送される。サイバーエージェントの藤田晋社長は、この大会を機に麻雀に目覚めたといい、2014年には著名人代表としてブロックを勝ち上がり、ファイナルを制覇してしまった。プロアマを含む、同年の参加者2700名の頂点に立ったのだ。お笑いに『M-1グランプリ』があるように、麻雀にも『麻雀最強戦』がある。

そんな大会に出られる可能性があるのだから、勝ちにいかないのはウソだ。踊るように打たなきゃいけない。ヒールには、ヒールの正義がある。

俺が『麻雀最強戦』のファイナルで、どう道を外れていくのか、ぜひ見ていただきたい。麻雀は部活動じゃない。甲子園は教育的な側面があるだろうから、正々堂々さが問われる。でも、プロは違う。悪名だろうが、轟かせたら勝ちだ。そんな大悪党を懲らしめるヒーローがいるから善悪の均衡は約束される。ヒーローがいないなら、雀卓一帯を焼け野原にするしかない。

徳井健太の菩薩目線 第107回 絵の評価は難しい。いつか飾る絵のために「額縁」を探しに行った

2021.08.20 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第107回目は、絵画に関心を持った背景について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 ここ数年、絵を見ることが好きになった。芸術ってすごい――などと、当たり前のことを言いたくなるくらい、芸術はすごい。芸術家たちの生きざまはすさまじい。それでいて、面白い。

 好きが高じてというほど詳しくはないけど、いずれ絵を購入したら……なんて考えると、額縁が必要になる。気が早い。というわけで、画材・文房具専門店「世界堂」に行ってみた。

 すげぇ高いんだ、額縁って。びっくりした。きちんとしたものを買うなら、2~3万円は当たり前。ともすれば、シャガールやピカソ……世界にその名を轟かす名画をおさめる額縁は、一体いくらするんだろう。

 学校の校長室や病院の応接室に飾ってある立派な絵。その額縁だって、それなりに高いに違いない。今まで気にかけることなんてなかった額縁が、妙に高価なものに思えてくる。額縁は額も高ければ、奥も深いものだと気が付いた。新しい興味を持つと、新しい発見がある。

 飾る予定の絵はない。けど、俄然、額縁を通して「飾る」という行為に関心を持った俺は、その飾り方も気になってしまった。壁に額縁をネジか釘かで打ち付けるのか、それともフックのようなものでひっかけて飾るのか? 世界堂をうろうろしていると、まさに飾るための小道具が陳列されているコーナーを発見した。

 その中に、「想い出くん」という額掛けがあった。なんともそそるネーミング。「家にキズをつけずに額をかけられる!」らしい。

 形状を説明するのは難しいのだが、S字フックのような形をしていて、突起しているところ(和室の長押など)に挟みこむと、壁などをキズつけずに掛けられる。おお、なるほど。これは便利だなんて思ったものの、1セット2つで梱包されている「想い出くん」は、売れ筋とは一線を画すように、さびしそうにたくさん陳列されていた。なのに、少し手垢感があった。

 その一つを手に取り、我が家に長押のようなひっかけられる出っ張りがあるかを考えた。あれこれ思料し、他のものと比べてから、購入するか否かを決めようと、一旦「想い出くん」をしまおうとすると、「あれ?」。まったく元の形にしまえない。

 俺は、間違いなく目の前にある箱から「想い出くん」を取り出したのに、1セット2つを重ねて、箱に戻そうとすると、どうやっても収まる気配がない。一体、俺はどうやって取り出したんだろう。

 知恵の輪のような状態が続くこと数分。こんな余興をするために世界堂にきたわけじゃない。他のしまわれた状態の「想い出くん」を参考に、何度もチャレンジしても、やっぱり入らない。

「すみません」

 俺は白旗を上げた。店員さんに謝りながら、その旨を伝えると、彼はほんの数秒で箱にしまってしまった。きっと俺のように、「想い出くん」トラップにはまった初心者がたくさんいるんだろう。だから、手垢感があったんだ。さびしい理由が何となくわかった。買いたいと思う絵と出会ったら、また「想い出くん」に会いに行こう。

 美術はいろいろな捉え方があるから面白い。俺自身は、価値を作り出してるのはアーティスト自身ではなく、パトロン的な人物だったり、支援者だったり、周辺が価値を作り出しているように感じてしまう。

 例えば、1枚の絵を完成させるために、画家は何か月も時間をかけることもあるだろう。その間、描いている絵がどれだけの価値を生むのかわからない……、「価値なし」と評価されれば、何か月あるいは数年間が、タダ働きになるかもしれない。それでも描き続ける。狂気がないとできない時間の使い方だ。もちろん、中には「自分は超有名な画家だから自分が書く1枚はものすごく高価なもの」という自負にあふれた人もいる。

 全員が露悪的で破滅的ではないにしても、どんな価値を生み出すのかわからない絵にひたすら向き合って、時間を捧げる。そして、その絵に大金を払う支持者が現れる。画家は、とんでもない職業だ。畏怖の念を抱く他ない。

 ただ――。描いた画家以外に、本当にその価値がわかる人ってどれだけいるんだろう、なんて思う。パトロンや有名な画商が価値を見出すわけであって、飾られている段階ともなれば、不特定多数はありがたがったり、高尚なものだととらえたりするしかない。凡人がはやしたて、凡人が勝手に評価を与えることもあるのなら、クラウドファンディングやオンラインサロンと大差ない。裏を返せば、芸術というのは、そういう一面をはらんでいるということなのかもしれない。

 支援する、支えるという意識が中抜きされ、評価をする、あるいは、評価を与えることのできる自分に「酔う」ところだけ残ってしまうのなら、絵の収まっていない額縁だけが飾られてるような気がしないでもない。自分の視点を大切にして、いつか飾る絵と出会いたい。

 

※【徳井健太の菩薩目線】は毎月10・20・30日更新です。

徳井健太の菩薩目線 第106回 お笑い芸人へのあおり運転を食らいながら、「焼肉の流儀」を考えた

2021.08.10 Vol.Web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第106回目は、焼肉の流儀について、独自の梵鐘を鳴らす――。

焼肉は好きですか? 俺には、ちょっとしたこだわりがある。

首都圏を中心にフランチャイズ展開している某焼肉店。国内外に50店舗以上を出店しているから、それなりに有名な焼肉店だと思われる。

この店は、店員さんが基本的に肉を焼いてくれる。店員とはいえ、徹底的に肉のことを知り尽くしたプロ。だからして、圧倒的に美味い。サイドメニューも、料理好きが考案したんだろうなと唸らされる逸品が並ぶ。しかも安い。

常日頃、思っていたことがある。寿司を食べるとき、シャリとネタを目の前に出されて自分で作るのと、長年技術を磨いてきた職人が作るのと、どちらがいいか――。寿司は極端な一例かもしれない。が、自分で作るよりもプロが作った方が美味いに決まっている。なのに、なぜ焼肉とお好み焼きは、自分で作ることが当たり前のような風潮があるんだろう? 実際問題として、プロが作るお好み焼きは度し難いほど美味いじゃないか。

同じ具材と同じレシピ。その二つを公平に与えられ、まったく別次元の高品質を作り出すことができる人たちをプロと呼ぶならば、焼肉はあまりにアマチュアが幅をきかせている世界。だとしたら、焼き加減で違いを生み出す冒頭のお店こそ、俺が求めていた焼肉店。かもしれない。

そんな話を当コラム担当編集A氏に話すと、「あなたは食に集中しすぎている変態なのであって、普通の人は焼肉もお好み焼きもトークが中心だ」と指摘され、思わず膝を打った。なるほど。おしゃべりを中心に据えるなら、自分で作る方が理に適っている。食というのは、難しい。

一方で、俺のように食に全集中したい“食>トーク”な人間も少なからずいる。厚切り牛タンの最適な焼き時間はどれくらいなんだろう? 上カルビと特上カルビの火加減にはどんな差があるのか? それが悩ましいと伝えると、A氏は「そんなことを考えているのはTVチャンピオンに出場する人だけだ」と笑うのだが、実際に焼き加減を知り尽くしたプロ、すなわち、その店のスタッフが焼くと飛び上がるほど美味い。トーク中心ではない焼肉の世界があることを、A氏をはじめ、もっとたくさんの人に知ってほしい。

考えてもみてほしい。超絶に美味い肉さえ入手すれば、自宅でもそれなりに美味いステーキや焼肉を食べることは可能なのだ。かくいう俺も、実は結構料理が好きで、自炊にはこだわりを見せたりする。A3~A5ランクの肉さえ手に入れば、簡単に自分を満足させることだってできる。美味い肉とハイビスカスさえあれば、自宅でも高級感は演出できるのだ。

では逆に、自分の手の中で完結しない焼肉の美味さがあるとしたら、覗いてみたくない? 自分の手を一切煩わせずに、プロが最高のタイミングで「食べどきです」と教えてくれる肉の林叢に入ってみたくないかい? やれんのかぃ?

そんな肉の理想郷を追い求める人が一定数いるんだろう。その店は、今では多くの人で賑わう人気店へと成長している。おそらく、焼肉の新たなチャクラを開いてしまった人たちが殺到していることと思われる。俺もたびたび訪れるが、今では予約なしでは入れそうにない。

その日、無性にプロが焼く肉を食べたくなった俺は予約を入れ、一人でお店に行った。ただし、電話口で「後ろが詰まっているため1時間まで」と釘を刺された条件下で。

着席するや、「あー結構タイトだったなぁ」と思案した。ソロ焼肉とはいえ、1時間の時間限定。あれも食べたいし、これも食べたい。店員さんが焼いてくれるから、バクバクと食べるって感じでもない。そもそも食べ終わった後、ちょっとゆっくりしたいし……。1時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。ましてや、美味い飯ともなればなおさらだろう。1時間は、短すぎたんだ。

メニューを見ながら神妙な面持ちになる俺に、店員がオーダーを取りに来る。覚悟を決めて、タイトな時間に収まるような注文をしようと思った矢先――。

「徳井さん……」

と声をかけられた。一瞥すると、どうやら俺と認識している様子。切羽詰まった表情。何事だろう? しばしの沈黙の後、「……次に予約が入っているって伝えたじゃないですか……そのお客さんの予約……なくなりましたァッ! 1時間じゃぁッ、なくなりましたッッ~!」

俺は「やった」って、小声で反応するしかなかった。

そんなドヤ顔で、芸人とそれっぽく絡んだ感を出されたら、小さく肯定してあげることしかできないじゃないか。お笑い芸人へのあおり運転。

その店員は、芸人とやりあった感を背中に漂わせながら、満足そうに厨房へ消えていった。肉を頬張りながら、何事にもあおり運転が存在する――ということを、俺は噛みしめた。でも、このお店の肉への愛は深い。深いからこそ、予期せぬことが発生するんだ。   

 

 

※【徳井健太の菩薩目線】は毎月10・20・30日更新です。

徳井健太の菩薩目線 第105回 チョコプラから「分析しているけど徳井さんは何かしましたっけ?」と揶揄された俺からのアンサー

2021.07.30 Vol.Web Original


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第105回目は、チョコプラからのつっこみについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 ラジオ番組『チョコレートプラネットの東京遊泳』で、チョコプラが俺に対して物申していた。平たく言えば、俺の分析芸に対する疑問、つっこみ、苦言――。

 まず言いたいのは、かなり突っ込んだ内容だったにもかかわらず、特にネットニュースにならなかった点だ。率直に、申し訳なさを感じている。俺のバリューが少ないからなんだろうな。女性タレントがSNSで新しいバッグを購入したことを報告するだけでネットニュースになる時代に、無風で終わってしまったことを陳謝したい。

 これで終わってしまうのも、いささか気持ち悪い。なので、彼らからの檄だと思い、俺なりに自分を考察しておきたいと思う。

 長田は、「徳井さんはいろいろ芸人さんについて指摘したり、分析していたりするけど、徳井さん自身で何かしました?って思う」的なことを皮切りに、好き勝手言ってくれた。その好き勝手具合は、まさに俺がやっていること。放言されて当然。むしろ、清々しささえあった。なるほど、そう思うよねって。

 まさにそうなんだ。俺はお笑い界で、何もやっていない人間。視聴者代表。その俺が、ああでもないこうでもない――と、なんちゃってインテリゲンチャよろしく勝手に分析し、「(何も成し遂げていない)お前が言いうんかい!」と指摘される。

 今は懐かしき『333 トリオさん』。この番組にちょいちょい登場していた俺は、現在の分析芸(あえてそう称しておく)の原型のような発言を、俺より売れている若手のジャングルポケット、パンサー、ジューシーズにしていた。そして、「吉村さんならわかるけど、徳井さんに言われたくないですよ!」なんてつっこまれていた。嗚呼、懐かしい。構造自体は、俺の分析・批評はボケみたいなもの。

 そう。俺の分析芸は、今でこそ自分が意図していない形で面白がっていただいているけど、最初は他愛もないボケのやり取りにすぎなかった。『ゴッドタン』の腐り芸人のおかげもあって、いつしかボケでおさまっていた分析が商品の分析へと転生するなんて、俺自身予想できなかった。人生は、どうなるかわからない。

 意図していなかった形で、分析芸が一人歩きをし始めたことに対して、俺自身、考えるところはある。分析だけじゃない。芸人のエピソードを好き勝手に話す俺に対して鼻をつまむ人だっているだろう。だから、いろいろ考えるところはある。

 一つだけ。俺が何か芸人エピソードを話すときは、“よいこと”しか言わないと決めている。よいことや気持ちのよいことを聞かされて嫌な思いをする人はあまりいないと思う。この世は、あまりに煩悩が多く、嫌なことがあまりに多い。俺は、40歳が迫ったとき、ふと「ほめたいと思ったときにほめよう」と決めた。俺のYouTubeチャンネル『徳井の考察』も、そんな気持ちから始まり、結果、今の芸風につながっているところがあると思う。対象となる人は照れくさいだろうけど、俺は人をほめたいだけ。俺が何もすごくないからこそ、周りにいるすごい人を伝えたくなる。

 誰からも頼まれていない、よいことを勝手に伝える。ボランティア活動のようなものだ。俺は、芸人愛を勝手に語る紙芝居のおっさん。正直なところ、長田の言葉は少し悲しかった。ただ、冗談からはじまった分析。瓢箪から駒が出たことが、どんどん転がって大きくなりすぎてしまっているところに、当初の「お前が言いうんかい!」と冷や水をぶっかけてくれたチョコプラに、お笑い的立場として感謝の気持ちもある。

 この件は、きちんと公の場で話した方が面白いんじゃないかな。「大した実績を残していない徳井が分析するのは是か非か」。チョコプラと相方・吉村を招いて、俺というお笑い裁判官をさばく弾劾裁判をやっていただきたい。興味を抱いたメディア関係者の方、ぜひマッチメイクをお願いします。

 チョコプラの二人。長田は主義主張が強く、過去にも言い争いになりかけたことがある。そして、面白ければいいというタイプの松尾は、その隣で淡々と薪をくべていく。白熱の展開になるような。

 彼らは、今まさにお笑い界、芸能界の荒波に必死に抗っている最中だと思う。でも、その航海に疲れた人、あきらめた人もたくさんいるんだよなぁ。

徳井健太の菩薩目線 第104回 オリラジ・中田敦彦から教わった YouTube チャンネルに必要な要素

2021.07.20 Vol.Web Original


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第104回目は、オリエンタルラジオ・中田敦彦とのコラボについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

俺のYouTube チャンネル「徳井の考察」と、オリエンタルラジオ・中田敦彦の YouTube チャンネル「中田敦彦のトーク- NAKATA TALKS」がコラボした。いや、コラボさせていただいた。あっちゃん、ありがとう。

彼は、現在シンガポールにいる。そのためリモートという形でコラボさせてもらった。あっちゃんには聞きたいことがたくさんあったから、久しぶりに話すことができて、俺自身とても楽しかった。やっぱりどこかで、日本を離れてさびしい気持ちもあるんだろうな。最近は、はんにゃの金田や、フルポンの村上ともコラボし、なかなかレアな話もしているので、「中田敦彦のトーク- NAKATA TALKS」を視聴すると、思わぬ発見に出会えると思う。

そう――。何を隠そう俺自身が、あっちゃんとのコラボを機に、たくさんの発見を授かった雲水でもある。

まず、驚いたのがあっちゃんの“しゃべる力”だ。元々、しゃべりが達者でトーク力は抜群だった。が、さらに磨きがかかっている。なんでも、毎日オンラインサロンのメンバーと立ち話をするような感覚で、1時間ほど話しているらしい。芸人が芸人に対して1時間じゃべるよりも、芸人が非芸人、あるいは一般の人と1時間話すほうが頭を使うことだってある。考えようによっては、今のあっちゃんのしゃべる力は、芸人以上に芸人らしいプロの境地にいるのかもしれない。

ありがたいことに、あっちゃんは俺のことを褒めてくれる。「徳井の考察」のチャンネル登録者数は、ようやく2万人間近。決して褒められる数字ではないとは思うけど、それでもあっちゃんは大丈夫だという。

今でこそ人気チャンネルの古舘伊知郎さんもテリー伊藤さんも、当初はまったく跳ねなかった。そう、あっちゃんは教えてくれた。前者はプロレスラーをはじめとする偉人たちとの思い出トークを重ねることで人気を博すようになり、後者はヴィンテージカーや中古車を巡っているうちに人気に火が付いた。本人たちが意図しないところで人気になるケースもある。知らなかった。あっちゃん和尚は、何でも教えてくれる。

有名な人ですら世間の価値と合わないときもある。だから大丈夫。合いさえすればきっと徳井さんも大丈夫。やさしく語りかけてくれるあっちゃん。後輩なのに、なんて頼もしいんだろう。

その上で、次のような助言も授けてくれた。

「徳井さんに必要なものはゾーンとアーマーです」

? まったく聞き慣れない言葉。ゾーンというのは、どうやら背景だったり空間だったり、つまりは俺がいる世界観のようなもの。俺の YouTube チャンネルは、“部屋のへり”で撮影をしているわけだけど、問題外らしい。

そして、服装にも難があると苦笑する。ジャケットと白Tシャツでもいいけど、もう少し徳井さんのキャラクターが伝わるような格好にしたほうがいい、と。どうやらこの点がアーマーというやつらしい。

「YouTubeをSNS だと思われないようにしてください」。あっちゃんの金言が俺に刺さった。正直、俺の中ではYouTubeもSNSも同じ土俵にあるものだと考えていた。Twitterを見るような感覚で、YouTubeを見るんだろうって。ところが、あっちゃんは違うと否定する。どういうこと?

彼の教誨は以下のようなことに集約される。

YouTubeには YouTubeの世界がある。言うなれば、テレビを見ていると「テレビの世界だな」と思うように、 YouTubeにもそういった世界観があると。見ている側もそういった感覚で YouTubeと接しているから、 視聴者がYouTubeを見ているときは、別の世界を見ているんだという感覚にさせなければいけない――。

ユリイカ。言われてみれば、俺たち芸人の YouTube が比較的数字が伸びない理由の一つに(人気の芸人チャンネルは除く)、ゾーンへのこだわりがないことが挙げられる。吉本芸人で言えば、会社の控室なんてことは珍しくないし、俺なんかは部屋のへりという目も当てられない環境で撮影していた。

キングコングの西野は地球儀を置いている。オタキングこと岡田斗司夫さんは背景にフィギュアや本を置いている。キャラクターに合致する世界観、つまりゾーンを作り出すことが、視聴者を誘導する上で欠かせないというわけだ。

アーマーに関しても同じだ。カジサックは赤ジャージに白タオル。ジャージは岡村さんを意識したもので、白タオルは頑固さと家族を意味し、ビッグダディを意識したものだと、あっちゃんは教えてくれた。

ゾーンとアーマーを整備することで、その人だけのチャンネルの世界観が構築される。たしかに、芸人でも衣装が決まっているタイプは、明確な世界観がある。一例を挙げればオードリー春日、サンシャイン池崎、スギちゃん。彼らはゾーンとアーマーを完備することで、お笑い界をサバイブしている。

YouTubeという新大陸に足を踏み入れたものの、俺にはゾーンもアーマーもなかった。あまりに無知だった俺は、ぐうの音も出なかった。こうなると、もうあっちゃんの信者である。彼に導かれるまま、一歩を踏み出す以外に道はない。

師の教えをうけ、「徳井の考察」はリニューアルした。そこには、グリーンバッグを背景にして、作務衣姿で考察している俺がいる。ダメだったら、他の何かに変えればいい。その融通の効きやすさもYouTube ならでは――と、師曰く。

「徳井の考察」と「中田敦彦のトーク- NAKATA TALKS」のコラボ、面白い発見が転がっていると思うので、見てね。

徳井健太の菩薩目線 第103回 しょうもな!って思うことほど、バカにしてはいけないんだよね

2021.07.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第103回目は、アミューズメントカジノで遭遇した体験について、独自の梵鐘を鳴らす――。

アミューズメントカジノなる施設がある。

ブラックジャック、バカラ、ルーレット、ポーカーといったゲームを楽しむことができる――、といっても“仮想カジノ”なので、本物のお金をかけたりすることはできない。

プレイヤーは、施設内のゲームに参加するために、あらかじめ専用のチップを購入し、そのオリジナルチップを投じて楽しむ。

いうなれば、ゲームセンターにあるコインゲームと同じ。勝ったからといって、そのオリジナルチップを法定通貨に交換することはできないから、ゲームに勝っても“オリジナルチップが増えるのを自己満足として、楽しむ”だけ。まぁ、平たく言えば、酔狂の類だろう。

「料金が後払い」という点についても説明しておこう。入店して、希望のチップ枚数を選ぶ。チップが足りなくなったら、また申告し、希望のチップ枚数をもらう。費やしたチップ枚数は入場伝票に記録されるので、退店するときにまとめて清算するという具合だ。

「ゲームセンターのカジノ版だろ。所詮は子ども騙しだ」なんて思うかもしれないが、これがなかなか面白い。特に、ポーカー(テキサスホールデムポーカー)は、本場のカジノさながらの臨場感を味わえるからか、アミューズメントカジノにもかかわらず連日、多くの客でにぎわい、なかなか席が空かないほど人気を博している。

お遊びといっても、酒を飲みながら楽しむこともできるので、それなりにギャンブル感も味わえる。というわけで、最近は俺もたびたび足を運んで、疑似カジノに興じていたりするのだが、「住めば都」ではないけど「やってみるとギャンブル」を痛感する次第だ。

といっても、“ゲーム”にではなく“人”に、だ。

俺が訪れるアミューズメントカジノには、かならず長身のじいさん(以下・長じい)と、ガラの悪い兄ちゃん(以下・ガラ兄)がいる。その二人はよく顔を合わせるからだろうか、お互いをハンドルネームのような名前で呼び合っている。

俺がお酒を再注文した姿を見るや、「お、兄ちゃん、飲み放題にしたほうがいいよ」なんてアドバイスをしてくる。これがガラ兄だ。俺はチップがなくなったため、この1杯を飲んだら帰ろうと決めていた。ところが、掣肘を加えられたもんだから、帰るに帰られなくなった。大して飲みたくないのに「飲み放題」に変え、追加のチップを支払う。裏目。アミューズメントカジノとは言え、人によって裏目になる。面白い。

一方、長じいはというと、オリジナルチップの中でも最上級と思われる銀色のプレート(もはやチップですらない)を投じてバカラに参加するリッチマンだ。皆がチップを投じているなか、突然、銀のプレートが飛んでくるので、びっくりする。

回転寿司の皿みたいなもので、おそらく一番高いチップを購入すると、その銀のプレートになるんだろう。でも、コインゲームの延長線上にあるアミューズメントカジノで高いチップを買う……そんなイカれた行動ができない俺には、その銀のプレートが実際には何なのかよくわからない。とにかくすごい勢いで、プレートがバンカー、あるいはプレイヤーめがけて飛んでくる。

アミューズメントなカジノとはいえ、狂った人はいるのだ。

ただ、あくまで疑似カジノ。慣れていないスタッフがカードを見せてしまうなどの凡ミスもあるし、本場カジノのように目が「$」になっている人間はいないので、牧歌的な雰囲気につつまれている。初めて参加するカップルがいれば、皆で教えてあげるような空気感もあり、カジノに行く前のチュートリアルだと考えれば、ちょうど良い場所かもしれない。

長じいは、各ゲームを一通りプレイし、2時間ほど滞在していただろうか。

会計をするらしく、たまたま近くにいた俺は、銀のプレートの謎が解けるかもしれないと思い、彼の会計を注視していた。

「お会計は7万円です」

聞こえてきた声に、愕然とした。長じいは酒も飲んでいない。チップだけで……7万円……!? 銀のプレートがいくらなのかわからないけど、ここはアミューズメントカジノだぜ。うそだろ。7万円も使うような場所なのか――。

月に1~2回ほどしか行かない俺が、ほぼ必ず遭遇する長じい。ということは、この人は二日に1回くらいは来ているのかもしれない。毎回平均して7万円くらい使っているのだとしたら、長じいは一体月にいくら落としているんだろうか。まさにギャンブル。こんな酔狂な金持ちが、いるところには、いる。

もしかしたらカジノが大好きで、世界中のカジノで金を吸い上げ、ときには溶かしてきた猛者なのかもしれない。喜び勇んでカジノに行きたい。だけど、コロナ禍で渡航ができない。だから、その欲をアミューズメントカジノへ全振りしているのだろうか。あれこれ想像するけど、疑似カジノに7万円も突っ込める狂人がいることに、俺は戦慄し畏怖の念を抱いた。

あの銀のプレートは、アミューズメントカジノでは魔法のチップかもしれない。でも、一歩外に出ればテレホンカードよりも価値のないプレートだ。

たしかにその通りなんだ。だけど、長じいにとっては、きっと価値のあるプレートなんだろうと考えると、人の欲、趣味嗜好というのは、簡単に考えちゃいけない。しょうもなって思うことほど、バカにしてはいけないんだなって。

どんなにゴミのように無価値なものに見えても、当の本人にとってはかけがえのないものがある。しょうもなって思ってしまうことが、もっとも価値を狭めてしまう言動だと、アミューズメントカジノから教えてもらった気がした。

 

※【徳井健太の菩薩目線】は毎月10・20・30日更新です。

徳井健太の菩薩目線第101回 クレームと異議の違いって何だ? そして、世の中には「先生」が多すぎる

2021.06.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第102回目は、クレームと異議の差異について、独自の梵鐘を鳴らす――。

どこからがクレームになるんだろう。

例えば、飲食店で注文した料理が運ばれてこない場合。「出てくるのが遅い」と鼻息荒く呼び止めるのは、クレーム、あるいは難癖の類だと思う。

反面、自分より後に入店した人が、自分と同じ料理を注文し、先に料理が運ばれた場合、「先に頼んでいたんですけど、おかしくないですか?」とお店に伝えるのはクレームではなく、異議申し立ての範疇だろう。

こういったことを普段からみんなが言えるようになれば、クレームか否かの判断も付きやすくなるだろうし、仮にクレームに遭遇しても対処しやすくなる気がする。だけど、どういうわけか異議申し立てすら口にしないで、我慢してしまう人が多いように感じる。みんな、いろいろと自粛しすぎやしないかなんて思う。

異議は、文句とは違うはずだ。そういった意見を伝えることは、とても大切なことだと個人的には思っている。人によっては、この言動すらも“マウントを取っている”ように映るんだろう。でも、明らかにクレームと違う、「私はこう思っているんですけど」がマウントに見えるのだとしたら、あまりに息苦しいし、視界が不良すぎる。

そもそも、どれだけの人がクレームの線引き、基準を持っているんだろう。先の飲食店のように、自分の中で、「こっから先はクレーム」「ここまでは異議申し立て」の基準があったほうが、物事に対する意見がしやすくなると思う。自分の中に尺度がないと、なんでも遠慮しがちになるし、あるいはクレームっぽい考え方に寄ってしまいそうだ。

あくまで私見だけど、とりわけ肩書きがある人や先生と呼ばれている人に対して、萎縮、自粛してしまう人が多いように思う。医者なんて、その典型だ。疑問に思ったことは、相手は医学のプロなんだからどんどん聞けばいい。だけど、「こうですから」と言われると、「……そうなんですね」なんて具合に、おとなしくなってしまう人が少なくない。何も言い返しちゃいけないみたいな雰囲気があるから、セカンドオピニオンが生まれたんじゃないのかなんて邪推したくなる。

かくいう俺も、医者は苦手だ。

子どもの頃に受診した際 、「多分風邪だと思うんです」と断りを入れた子どもの俺に対し、医者は「風邪かどうかを決めるのは俺だから」と一喝した。以後、医者は苦手だ。

子ども心に、「立てついてはいけないんだな」と考えるようになった。でも、医者を目指す同級生がいて、「こんな奴が医者になるのか」と思ったら、なんだかどうでもよくなってきた。今でも苦手だが、崇める気持ちは特にない。

勉強することは、とても素晴らしいし尊いことだ。勉強しなかった自分が口にするのは恐縮ではあるが、恵まれた環境さえあれば勉強は誰にだってできる。つまり、誰だって医者になれる可能性がある。勉強をたくさんした人だけど、神様なわけがない。

なぜ、日本はこんなにも“先生”という敬称を付ける仕事が多いんだろうか。学校の先生は、まぁ先生だから仕方がないとして、医者、弁護士、作家、税理士……設定上“エライ”だろう人に対して、どういうわけか先生と呼ぶ。

政治家も先生……か。何やってるかわからない人がどうして先生なんだ? そういえば、競馬評論家の井崎脩五郎さんは何で先生なんだろう。競馬に詳しい人が、なぜ先生呼ばわりされているのか……ギャンブルが好きな俺も、実は先生なのかもしれない。

「お前と一緒にするな。あの人はすごい人なんだ」なんてクレームなのかクレームじゃないのかわからないけど、そんな意見を持つ人もいると思う。そういう意見、ウェルカムだ。思っていることは、なるべく口にした方がいい。

あくまで俺の考えだけど、すごい人がどうして「先生」に昇華されるのかわからない。すごい人は、すごい人でいいじゃないか。わざわざ先生と呼称を上書きする必要なんてあるんだろうか。先生に上書きされたことで、何も言えなくなる人だっているだろうに。

言いたいことも言えないこんな世の中になったのはポイズンなんかではなくて、先生が増えすぎたからなんじゃないの? なんて思う。 

神様みたいな人には、何も言えないかもしれない。でも、世の中にそんな人はほとんどいない。ほとんどが先生ばかり。医師会のトップも、宣言下で会食をしていたじゃない。 

だから、気になることはどんどん口にした方がいい。できれば、クレームか否かのマイルールを順守しながらだと、快適だと思う。口をつぐんでしまうような神様なんて、そうそういないんだから。

 

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