なぜ奈良の魅力に気が付かなかったのか
奈良県でもっとも高い建物はなに?
皆さんならどう回答するだろう。他都道府県であれば、高層ビルやタワーが正解になるかもしれない。ところが、奈良県は違う。奈良県でもっとも高い建物は、なんと国宝・興福寺の五重塔なのだ。
応永33年(1426年)に建てられた50.937mの建物が、令和のいまも一番高い建物として君臨している……あらためて奈良を訪れると、こうした「えッ! そうだったの!?」という驚きがいたるところに散らばっている。学生時代を関東圏で過ごした人にとって、奈良は修学旅行のお約束スポット。一度は行ったことがあるという人は少なくないはずだ。
興福寺の五重塔。県内でもっとも高い建物として親しまれる
あの頃はそんなことに関心がわかなかったかもしれない。でも、ずいぶん大人になった後に訪れるとどうだろう。今現在も、一番高い建物が五重塔という事実を知ると、奈良への好奇心がニョキニョキと生えこないだろうか。
十数年ぶりに開かれた同窓会へ行くと、「〇〇、ずいぶん変わったなぁ!」なんて同級生の印象の変化に親しみと感嘆を抱くことが珍しくない。奈良を訪れると、似たような感覚になる。「おい、奈良。キミってそんなにすごかったのか!?――、そんなトキメキが奈良にはあるのだ。
昨年12月、奈良市観光協会は、ユネスコ世界遺産「古都奈良の文化財」が登録25周年を迎えたことを記念し、8つの構成資産(東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡)の最も“写真映えする”撮影スポットを、「新・南都八景」として制定した。
「南都八景」とは、室町時代に制定された奈良の名所だという。同時代の『陰涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』なる史料の中で、東大寺の鐘、春日野の鹿、南円堂の藤などが八景として紹介され、江戸時代には多くの人が訪れたという記録も残っているそうだ。
今回制定した「新・南都八景」は、あのとき気が付かずにスルーした歴史たちと再会する、絶好の機会とも言える。八景すべてが世界遺産に認定されているのだから、そのバックグラウンドは発見だらけ。訪れたことがあるからこそ、もう一度たずねてみると違う景色に出会える。久々に訪れる奈良は、なつかしさと新鮮さに満ちている。
唐招提寺の金堂
シルクロードの最東端・奈良
唐招提寺は、唐の大師である鑑真大和上によって、戒律を学び、正しく仏教を理解するための寺院として759年に建立された。国宝・金堂の中には、薬師如来立像、盧舎那仏坐像、千手観音立像といった国宝が並び、3~5mの高さを誇る三体の泰然自若とした姿に息をのむ。
三体の中で、盧舎那仏(るしゃなぶつ)だけ聞き覚えがないという人は多いかもしれない。平安時代、空海によって密教は広まるが、彼は大日如来を宇宙の根本仏とした。実は、この大日如来こそ盧舎那仏から展開した仏とされる。何を隠そう、あの東大寺の大仏も盧舎那仏だ。奈良があったからこそ、平安京(京都)が花開く。仏の変遷一つとっても、歴史が地続きでつながっていることが分かるだろう。
歴史ある名刹・唐招提寺。南大門をくぐると、真正面に飛び込んでくるのが、国宝・金堂だ。8本の荘厳な円柱が並び、その圧倒的景観はギリシャのパルテノン神殿をほうふつさせるものがある。
それもそのはず。奈良は、シルクロードの最東端だと言われる。
古代ギリシャの神殿建築で用いられた「エンタシス」と呼ばれる円柱の下部・中間部から、上部にかけて細くしていく形状の柱は、シルクロードを通って東アジアに伝わり(日本では「胴張り」と呼ばれ、法隆寺でもこうした技法が見られる)、やがて唐招提寺の金堂の柱に用いられたそうだ。部材は、781年に伐採されたヒノキ。参拝者は、国宝の一端を担う柱に触れることができ、1300年の歴史を間近で感じることが可能となる。
金堂の柱。上部のくすんでいる部分が、奈良時代のヒノキだ
唐招提寺執事長の石田太一さんは、奈良の寺院の特徴をこう話す。
「大空に向かって飛び立つように作られているのが、奈良の寺院の醍醐味です。青空が見える姿は、薬師寺や東大寺大仏殿も同様です。ダイナミックさが奈良時代にはあったんですね。奈良の寺院をめぐるときは、大空を楽しみながら参拝していただけたらと思います」
仏教という新しい教えが定着し、貴族を中心に文化を形成していく雅な平安時代とは違い、奈良時代は真新しい文化が流入した黎明期だからこそ生まれるダイナミズムがある。その躍動感を感じることも「新・南都八景」をめぐる楽しみだ。