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Vol.46 佐藤峻乃介(KID PHENOMENON)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.21 Vol.Web Original

EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Wheelie』のリリースを控えたKID PHENOMENONの佐藤峻乃介さん。物心がつく前からEXILEを聴いていたという佐藤さんの夢の叶え方とは?

 

「EXILEさんになるのが夢でダンスを頑張ってきた」

―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか?
物心がつく前からEXILEさんが大好きだったらしく、EXILE(TRIBE)さんになるのが夢でダンスを頑張ってきました。もともと母がEXILEさんの大ファンで、その影響で僕も幼い時からEXILEさんの曲を聴いて育ってきたんです。母が言うにはテレビでパフォーマンスしているEXILEさんを指差して「あれになりたい!」と言っていたらしいんですよ(笑)。それで気がついたらダンスを習っていました。

―― その頃どんな子だったんですか?
母曰く、音楽が流れたら即踊っているような子どもだったらしいです。常にわちゃわちゃ踊っていて、それもあって母が僕をダンススクールに入れてくれました。

――EXILE(TRIBE)になりたいと思ったきっかけは?
母の影響です。でも、母から「EXILEになってほしい」と言われたことはなくて。僕が自発的に「EXILEになりたい!」と思い、母はその夢を応援してくれていました。「なる!」と決めたのは完全に自分の意思ですね。ただ、物心つく前からEXILEさんに夢中だったので、夢を持ったのが何歳の時かは覚えてないです。

Vol.45 佐藤陽 (THE JET BOY BANGERZ)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.20 Vol.Web Original

 EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画や芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
 今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Jettin’』のリリースを控えたTHE JET BOY BANGERZ(TJBB)の佐藤陽さん。プロダンスリーグ「D.LEAGUE」でも活躍する陽さんにお話を伺いました。ダンスが大好きな陽さんの夢の叶え方とは?

「EXILEさんを見て、アーティストになりたいと思った」

―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか?
記憶にあるのはアーティストです。ないのは……「侍戦隊シンケンジャー」とかだと思います。EXILEさんを見てアーティストになりたいと思ったのが小学校2年生ぐらいで、EXPG(LDH JAPANが運営するダンススクール)に入りました

―― それはもう具体的にアーティストになることを目指して?
それが違うんです。僕のEXPG歴はちょっと複雑で、台北校からスタートなんです。台湾に住んでいて、お母さんがEXILEが好きなこともあって、習い事を探すなかでEXPGに連れて行ってくれました。体験クラスに入ったら、すごくストレッチが多くて、これは体が柔らかくなりそう!って思って入りました。そこからダンスが楽しいって気づいていくんですけど。台北校には5年生までいて、4年生の時に三代目 J SOUL BROTHERSさんのサポートダンサーをさせていただきました。

――  その頃の陽さんはどんな子だったんですか?
おとなしくはなかったです。外で遊ぶことが好きで“ザ・男の子”という感じ。スポーツが大好きで、スポーツチャンバラとか、水泳、バスケ、卓球、ボルダリング、テニスとか本当にいろいろやってました。野球以外はセンスあるんですよ(笑)!そのなかでハマったのがダンスでした。

―― アーティストになりたいという夢がよりリアルに、目標になったのは、三代目さんのライブですか?
そうなります。サポートダンサーとしてドームのステージで見た景色が忘れられなくて。こんなにたくさんの人がステージを見ている、これだけ注目されている三代目さんってすごいなって。このステージに自分がメインで立っていたらどんな気持ちになるんだろう……LDHのアーティストになりたいという気持ちが鮮明になったタイミングです。

Vol.44 GHEE(WOLF HOWL HARMONY)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.20 Vol.Web Original

 EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。 
 今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Sweet Rain』のリリースを控えたWOLF HOWL HARMONY(WHH)のGHEEさん。地元の友人たちと熱い約束を交わして夢に向かってきたGHEEさんの夢の叶え方。 

『仮面ライダークウガ』になりたかった


―― 子どものころの夢を教えてください。

 幼稚園ぐらいの時の夢ですけど、『仮面ライダークウガ』になりたいと思っていました。人のためにとか、誰かを助けるとかいうのが好きで、スーパースターとかヒーローになりたかったんです。ヒーローにはいろいろいますけど僕が好きなのはライダー。たぶん衣装のせいだと思うけど(笑)。クウガには赤のクウガ、マイティフォームっていうのがあって、それがすごくかっこいいんです。

―― その頃の自分はどんな子どもでしたか?
活発な子で、虫を捕まえるのが好きでしたね。団地住まいで、その頃は静岡県にいて。それこそ先輩たちがライブツアーで使うエコパアリーナの近くです! だから虫もいっぱいいます(笑)。

―― そんな虫好きの少年だったGHEEさんがアーティストになろうと思ったのは?
『仮面ライダークウガ』のあと(笑)、サッカー選手を目指していたんです。サッカーが強い大学に進学してプレーしたかったのですが、金銭的な理由で最終的には諦めました。そしたら親が自分たちのせいだと思い込んで……僕はそうじゃないと言ったんですけどね。母親は一生懸命働いていたんですけど、アルバイト先で嫌なことがあったりして悔しくて泣いて帰って来たりすることもあって。それを見て僕が親を支えようと思って音楽という手段を選びました。ずっと音楽にも影響されて支えられていた自分がいたんですよね。その頃よく聞いていたのが、The Weekend の『Starboy』というアルバム。ビートの攻めてる感じとか、世界観とかが、迷っていた自分と重なってモードに入れるというか。それ以前は、アヴリル・ラヴィーンとか、ワンオクとかロック中心。もちろんEXILEさんも青春の1ページです

Vol.43 岡尾琥珀(KID PHENOMENON)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.19 Vol.Web Original

EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Wheelie』のリリースを控えたKID PHENOMENONの岡尾琥珀さん。家族に愛されて育った岡尾さんの夢の叶え方とは?

「消防車になりたい」


―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか?

保育園の時、「消防車になりたい」と卒アル的なのに書いていました(笑)。「消防士」じゃなくて「消防車」です(笑)。消防車になりたかった理由は、保育園に消防車が来たことがあってそれで「消防車ってかっこいいな」って思ったからです。人ではなくなぜか車の方になりたかったみたいです(笑)。

―― その頃どんな子だったんですか?
泣き虫ですぐに泣いていました! でも、性格的には楽天的で「とりあえず楽しくいとけばいいや」みたいな感じだったと思います。あと、寂しがり屋な上に家族が大好きで、「お父さん、お母さんとずっとくっついてないと嫌!」みたいな。お兄ちゃん2人と弟(LIL LEAGUEの岡尾真虎)に囲まれて賑やかな家庭で育ちました。そして、妹もいます!

―― アーティストになりたいと思うようになったきっかけは?
保育園の時にEXILEさんの『24karats STAY GOLD』のミュージックビデオで踊っているキッズダンサーの子を見て真似して踊っていたら、お母さんに「ダンスやってみる?」って言われてそれでダンスを始めました。それからはずっとダンスばっかやっていて、とりあえずダンスを生かした職業に就きたいと思っていたんです。そして、小学生の時に初めてボーカルレッスンを受けました。中学3年生でアーティストを目指すようになったんですが、それまでボーカルは苦手だったんです。でも、EXPGで受けた歌やラップのレッスンが楽しかったので、「アーティストになりたい」という思いが強くなりました。

Vol.42 桑原巧光(THE JET BOY BANGERZ)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.19 Vol.Web Original

EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Jettin’』のリリースを控えたTHE JET BOY BANGERZ(TJBB)の桑原巧光さん。自身について不器用だと話す桑原さんの夢の叶え方とは?

「プロ野球選手とグルメリポーターになりたかった」

―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか? 
プロ野球選手とグルメリポーターになりたかったです。小5でダンスに出会うまではずっと野球一筋で、イチローさんに憧れてプロ野球選手になりたいと思っていました。グルメリポーターはホンジャマカの石塚英彦さんが好きで、テレビで食レポする番組をよく見ていたんです。それで自分もやってみたいと思っていました(笑)。

―― その頃どんな子だったんですか? 
一度何かにハマったらとことんやり続ける、オタク気質な子でした。暗記するのも得意で、子どもの頃は世界中の国旗を覚えていました。調べ癖があって、図鑑とかを見るのも好きでした。

―― 野球少年だった桑原さんが、ダンスを始めたのは何か理由があったんですか?
僕は福島県出身なんですけど、ダンスに出会った小5の時、東日本大震災があったんです。それまではずっと野球をやっていたけど、屋外でのスポーツは自粛的しなきゃいけない的な雰囲気もあったので「屋内で体を動かせるスポーツはないかな?」と探していた時に、ダンスをやっていた姉にレッスンに連れて行かれすっかりハマってしまいました。

――アーティストになりたいと思うようになったきっかけは?
もともと僕は『CyberAgent Legit』というダンスチームに所属しながら、D.LEAGUEに出ているダンサーなのですが、その時にHIROさんからお声がけしていただいたんです。ずっとダンスだけで食べていくつもりだったので、自分がアーティストを目指すようになる未来を全く想像していませんでした。友達にはアーティストになった子もいるんですけど、まさか自分がそっち側に行くとは…人生ってすごく不思議だなと思います(笑)。

Vol.41 石川晃多(THE JET BOY BANGERZ)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.18 Vol.Web Original

 EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画やお芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
 登場してくれたのは、8月23日にデビューシングル『Jettin’』のリリースを控えたTHE JET BOY BANGERZ(TJBB)の石川晃多さん。お話を終えた後に「……語っちゃった!」と笑顔を見せてくれた晃多さんの夢の叶え方!

小学校の卒業式で「歌手になりたい」


―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか?

 夢と言って一番覚えているのは「歌手になりたい」なんです。僕が通っていた小学校では卒業式にステージの上でひとりずつ将来の夢を話すというのがあって、そこで言ってました。その時のことは結構鮮明に覚えています。動画とかビデオもありますし(笑)。その頃はぽっちゃりしていたこともあって、周りから「警察官になれ」とか「力士になれ」と言われていて、その気になっていたりもしたんですけど、壇上で言ったのは、歌手でしたね。

―― その頃の晃多さんはどんな子でしたか?
 ピュアで、お調子者でした。明るくて元気でうるさくてという男の子だったと思います。休み時間になるとダッシュで外に行って汗だくで教室に戻ってくるような。もちろん歌も好きでした。家族で車で出かけることも多くて、車の中でいろんな曲を流して。よく聴いていたのはEXILEさんの『道』です。あれは小学5年の頃だったかな、友達がゲームでカラオケができるものを持っていて、それで『道』を歌ってました。「上手だね」って言われていたので、いっぱい歌っていたんだと思います。お調子者だから(笑)。

―― 「歌手になりたい」という夢が、よりリアルに、目標になったきっかけは?
 僕のなかで大きな分岐点が2つあるんです。
 ひとつ目は高校1年生の時に行った三代目 J SOUL BROTHERSさんのライブ。僕にとって初めてのLDHのアーティストさんのライブでした。中学生の時からずっと行きたいと思っていたライブでしたし、すごく衝撃を受けました。ステージに立っていらっしゃるメンバーのみなさんのオーラがすごくて、まさに1人ひとりがスターでした。登坂さんと今市さんの歌声にしびれて、「自分がやりたいのはこれだ!」って。それで、僕はバドミントン部を辞めるんです。アーティストになる夢が見えちゃったので。これが結構大変でした。僕は中学校からバドミントンをやっていて、続ける条件のもとで進学していたので、高校と中学の顧問の先生、担任の先生、校長先生、そして両親……みんなを説得しなくちゃならなくて。強い覚悟や想いを伝えて、話がつくまで2カ月ぐらいかかりましたね。
 もうひとつは、THE RAMPAGEの川村壱馬さんです。壱馬さんにあこがれてLDHのアーティストになりたいという覚悟を決めました。壱馬さんのように強い人間でありたいと思っていました。

Vol.40 夫松健介(KID PHENOMENON)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.18 Vol.Web Original

EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Wheelie』のリリースを控えたKID PHENOMENONの夫松健介さん。テレビで見た『オカザイル』をきっかけにダンスを始めたというリーダー・夫松さんの夢の叶え方とは?

 

『オカザイル』を見てキッズダンサーに憧れた

―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか?
子どもの頃の夢はパフォーマーでした。昔、EXILEさんとナインティナイン・岡村隆史さんがコラボした『オカザイル』の『WON’T BE LONG』のパフォーマンスをテレビで見て、その時に後ろで踊っていたキッズダンサーにあこがれを抱いたんです。もともと母もダンスをやっていたし、『オカザイル』の影響もあり、2〜3歳くらいの時にダンスを習い始めました。

―― その頃どんな子だったんですか?
写真を撮られるのが大好きでした(笑)。昔の写真を見てもCDショップで試聴用のヘッドフォンを着けてカッコつけたり、サングラスをずらしてキメ顔をしている写真がたくさんあるんです。あと、ダンスの他にサッカーもやったりして、運動が大好きでした。お昼に公園に行って、でも夜になると帰らないといけないから「夜が嫌いだ!」と叫んでいたらしいです。とにかく動き回るし、かなりアクティブな子どもだったと思います。

―― 小さい頃の夢はパフォーマーでしたが、そこからダンスも歌も歌えるアーティストになりたいと思うように思なったきっかけは?
歌って踊れるアーティストになりたいと思ったのは、『iCON Z』のオーディションを受ける少し前くらいからです。その頃からちょっとずつマイクを持ち始めたんですが、それまではずっとパフォーマーになる夢を追い続けていました。パフォーマーになる夢は2歳の頃からブレてないんですけど、マイクも持つアーティストになりたいと思うようになったのは、本当に高校生になった時くらいです。先輩のBALLISTIK BOYZ さんやPSYCHIC FEVERさんを見て「カッコいいな」と思い、僕もマイクにトライしたくなりました。

―― マイクの楽しさを知ったのは何がきっかけ?
EXPGに通ってボーカルレッスンも受けていたんですけど、そこでラップレッスンも受けるようになり、ラップにめっちゃハマったんです。一時期はYouTubeでもラップの動画ばっか漁っていました。

Vol.39 エイロン(THE JET BOY BANGERZ)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.17 Vol.Web Original

 EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。 

 今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Jettin’』のリリースを控えたTHE JET BOY BANGERZ(TJBB)のボーカルを担当するエイロンさん。幼少期は日本語も分からず、アーティストを目指した年齢も遅かったと話すエイロンさんの夢の叶え方とは?

「プロサーファーになりたかった」子どもの頃


―― 子どもの頃、どんな夢を持っていましたか?
父がサーフィンをやっていて、その影響でプロサーファーになりたかったです。地元で放送している『わくわくいちねんせい!』という番組に出たことがあって、「プロサーファーになりたいです」と言いました。

―― その頃どんな子だったんですか?
まだ日本に来て間もない時期だったため、言葉も喋れず遊ぶ友達もいなかったんです。それでゲームとかをしているうちに「何やっているの?」とクラスメイトから興味を持たれるようになって、そこからどんどん友達ができるようになりました。当時、日本語を覚えるはすごく苦労した記憶があります。最初は無口な子どもでした。

――アーティストになりたいと思うようになったきっかけは?
高校時代のクラスメイトに世界的ダンサーのRIEHATAさんがプロデュースするダンスチームの『RIEHATA TOKYO』に所属している子がいたんです。その子に色々イベントに連れて行ってもらううちに「アーティストって素敵だな」と思うようになりました。最初はただ憧れで遠くから見ているだけだったんですが、K-POPのライブに行った際にある事務所からスカウトされて、オーディションを受けたら運よく合格したんです。そこから音楽と深く触れ合うようになり、将来は絶対にアーティストになると決めました。

Vol.38 SUZUKI(WOLF HOWL HARMONY)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.17 Vol.Web Original

EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、 映画や芝居、アパレルや飲食なと、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティスト やタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。 今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Sweet Rain』のリリースを控えたWOLF HOWL HARMONY(WHH)のSUZUKIさん。先日お誕生日を迎えたばかりのSUZUKIさんの夢との向き合い方とは?

「なりたかったのは消防士。なんかカッコいい」

―― 子どもの頃の夢を教えてください。
消防士です。ら世代の男の子は多いと思います。なんかカッコいいじゃないですか、あの消防士の方たちの赤だったりオレンジのつなぎ姿。見た目も雰囲気もカッコいいって思って。ただそれは幼稚園ぐらいの時のことなんで、あんまりリアルな感じはなかったです。あとそうだなあ、忍者になりたかったです

―― そのころのSUZUKIさんはどんな子だったんですか?
めちゃくちゃやんちゃだったんじゃないですかね。やりたいことは何でもやるし、たぶん人の言うことも聞かなかったです(笑)。活発で、虫とかすごい好きで。僕が通っていた幼稚園は自然派というか、園の方針で、外で遊ぶことが多かったんです。それでイモ虫でポケットをパンパンにして帰ったりして、お母さんがマジでぶっ倒れそうになるぐらいの感じで叫んでいたのを覚えてます。ビックリさせようとかじゃなくて、ただ好きだから持って帰ってたんですけどね。

―― そんなやんちゃな男の子がアーティストを目指すようになったきっかけは?
物心つき始めたころから音楽は好きで、人の前で張り切って歌ったり踊ったりするタイプでしたけど、それが職業になるってことをは認識してなくて。中学校も終わりの頃になって周りが将来自分は何をしたいかって進路を考え出すタイミングもあったのかもしれないですけど、歌手を意識するようになったのはその頃です。考えているうちに、自分が歌手になることって絶対無理なことではないって思ったんです。歌手って人間がなるもので、仕事じゃないですか。そうならば、俺も頑張ればなれるんじゃないか、みたいな。

僕自身は中高一貫校だったこともあって、高校進学を機に、自分の将来をリアルに考えるタイミングはなかったですけど、少しずつ将来のことを考えるようになっていました。当時野球をやっていて、好きでしたけどプロ野球選手っていうのはリアルじゃなかったし、甲子園に行きたいかって聞かれればそうでもなかったから高校では野球をやりませんでした。そういう中で歌手は熱があったのかなと思います

Vol.37 宇原雄飛(THE JET BOY BANGERZ)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉

2023.08.16 Vol.Web Original

 EXILE、三代目J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画や芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。

 今回登場するのは、8月23日にシングル『Jettin’』でデビューを果たした10人組ダンス&ボーカルグループ、THE JET BOY BANGERZ(TJBB)の宇原雄飛さん。DEEP SQUADでも活躍する一方で、10人のセンターでマイクを握る宇原さんの夢の叶え方。

 

「サッカー選手になりたかった」


―― 宇原さんが記憶に残っているなかで、一番最初に抱いた夢を教えてください。
サッカー選手です。小学校低学年の頃からチームに入ってやっていました。内気だった自分が唯一やりたいって言って、やらせてもらったことです。

―― その頃の自分はどんな子どもでしたか?
めっちゃ内気で人前に出るのは苦手でした。特に小学生の頃は。いつも何かにビビってました。ただ、小学校の間で性格ががらっと変わったんです。テレビの影響だと思うんですけど、当時、ジャニーズさんだったりEXILEさんだったり、歌番組で歌って踊って、自分を表現している姿を見て、すごくかっこいいなって。それに影響されて、殻を破って自分を出していこうと思うようになったんです。それが小学校後半ぐらい。そこから逆に目立ちたがり屋になっていく、開花しちゃったんですね(笑)。中学の文化祭では友達とマイク持って三代目 J SOUL BROTHERS(以下、三代目)さんを歌ってましたから。

―― どの曲を? それに宇原さんがどっち側に立っていたのかも気になります。
歌ってたのは「花火」は「冬物語」。僕は登坂さん担当です。あこがれていたので。

注目度上昇中のヒップホップユニット MA55IVE THE RAMPAGE  目標は「THE RAMPAGEと対バン」 9月に初のシングルパッケージをリリース

2023.08.14 Vol.Web Original

 ヒップホップユニット、MA55IVE THE RAMPAGE(以下、MA55IVE)が存在感を増している。人気も注目度も沸騰中の16人組ダンス&ボーカルグループ、THE RAMPAGEのLIKIYA、神谷健太、山本彰吾、浦川翔平、鈴木昂秀のパフォーマー5人で構成されたヒップホップユニットだ。昨年、「ハイロー」シリーズの最新映画『HiGH&LOW THE WORST X』で劇中歌「RIDE OR DIE」を担当して注目され、今年年明けからは大型イベントのステージやB.LEAGUEのハーフタイムショーも経験。9月に初めてのシングルパッケージのリリースも決定し、勢いが止まらないMA55IVEに沖縄でインタビュー。メンバーが、MA55IVEの始まりからこの先までを語る。

 

『INVADERZ』はMA55IVEの覚悟が見える作品

ーー ユニット初となるシングルパッケージ『INVADERZ』(9月13日発売)を控えて、ファンの皆さんを中心にザワザワしています。『INVADERZ』はどんな作品になっているんですか?

山本彰吾:『INVADERZ』は、結構僕らの覚悟が見える作品になると思っています。というのも、MA55IVEの価値観と見え方が一気に改造できると思っているからです。

ーー なんだかすごそうですね!

浦川翔平:攻めたやつです……ダブステップっぽい。

山本彰吾:THE RAMPAGEでやらないことを、MA55IVEはやってくれるよなあというものになっていると思います。

ーー リリースパーティーもあり、ファンの期待も高まっています。

浦川翔平:新しい曲が皆さんに届けられる楽しみとうれしさでいっぱいです。もちろんファーストインプレッションの怖さもありますけど。

神谷健太:反応を見るのが楽しみだよね。みんな来てくれるのかなって思いますし、MA55IVEの立ち位置も分かる。それによって、これからやれることも分かってくるから。

鈴木昂秀:確かに!


始まりは「ラップやりたい人、手を挙げて!」


 
ーー さて、今日はそこからですかというところからお話を聞きたくて。まずはMA55IVEの始まり、ゼロからイチになったときのことを教えてほしいです。

LIKIYA:本当の最初でいうと、僕と翔平と(武知)海青(THE RAMPAGEのパフォーマー)だったんです。ただその時はまだMA55IVEでもなんでもないんですけど。ラップをやりたい人はいる?と聞かれて手を挙げたのがこの3人。その流れで、LDH所属のラップチームといったらDOBERMAN INIFINITIYさんですから、ドーベルさんにラップのレッスンを受けたっていう。

ーー 派生ユニットを想定しての「手を挙げて!」やレッスンだったんでしょうか。

LIKIYA:それはなかったと思います。もともと人数が多いグループなので後々そういうこともできるんじゃないかなと思ってるけど、ぐらいで。具体的には何も決まってない状態で、とにかくやってみよう!です。

浦川翔平:そこから考えると、MA55IVEって意外と長くやってるんですよね。まだMA55IVEではない状態でTHE RAMPAGEのホールツアー(”GO ON THE RAMPAGE”)でやってたのが2017年とか18年、手を挙げたのはそれより前で16とか17年だったんじゃないかな。その頃にやりたいですって手を挙げるのは度胸がいりました。THE RAMPAGEが新人ですし、まずパフォーマーとしてTHE RAMPAGEを全力でやっていく時だろうって思われる時期ですから。

ーー それでも手を挙げたんですね。

浦川翔平:子どもの頃からDJとかラップをやらせてもらってきたので、それを具現化したかったというのもどこかにあったのかもしれないですけど、単にスキルを磨きたかったんです。ドーベルさんはリアルに作品をリリースしたりライブをしているので、第一線でやっている人たちから学びたかったんです。

ーー 次に加わってくるのは(鈴木)昂秀さんですよね。

鈴木昂秀:時期的にはホールツアー前です。リハ―サル中だったと思うんですけど、HIROさんがいらっしゃって、「ラップやりたい人いないの」って軽い感じでおっしゃったんです。


「俺も好きなんです、やりたいです」

 

ーー そして順番的には、山本(彰吾)さんが登場?

LIKIYA:ホールツアーのラストだったよね、最終日。

浦川翔平:「俺も好きなんです、やりたいです」って告白してくれて。

ーーちょっとドラマがありそうですね。

山本彰吾:ヒップホップもラップも好きでしたし、チャンスがあったらという気持ちはありましたけど、自分なんてなあって思っていました。だけど、みんながやっているのを見ていたら抑えられなくなって……チャンスは今しかないなって。

LIKIYA:LINEをもらったんだよね。

鈴木昂秀:泊まってるホテルの部屋にコンコンって来てくれて、伝えてくれたんです。

山本彰吾:ひとりずつね、ボーカルも含めて。僕はもともとパフォーマーとして入っていて、マイクを持つって……結構考えたんですよ、THE RAMPAGEと共存してやっていくんだったら何も言わずに始めるのは失礼だって。それも後からポコッて入るわけだし、筋は通したくて。THE RAMPAGEで初めて筋を通したのはそこかもしれない。

ーー そして、川村壱馬さんと入れ替わるように、神谷健太さんが加わる、と。神谷さんは他のメンバーがマイクを握っているのをどんなふうに見ていたんですか?

神谷健太:みんながやっているのは知ってましたけど、自分はラップはやらないし、もともと歌が歌いたかったので自分とは別のことだと思っていました。ただ、ホールツアーでやましょー(山本彰吾)がマイクを持ってるのを見たときはちょっとあったかな……。それでLIKIYAさんに話したら、まずはラップでマイクを持ってみたらいいんじゃないか、そこから形を変えていくっていうのもあるんじゃないかと。

 

「MA55IVEのロゴがバーンと出た」

 

山本彰吾:それで、『THE RAMPAGE LIVE TOUR 2019 “THROW YA FIST”』ですよね。

LIKIYA:…健太が登場! それで(“RMPG”で)MA55IVEのロゴがバーンと出て

浦川翔平:アイヤイヤー!って「Determined」!  MA55IVEの名前は、VERBALさんがつけてくれました、やべぇ奴らみたいな意味合いで。

 

※初稿出稿時に時系列に誤りがありました。グループに確認し訂正いたしました。

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