4月24日(日)東京・国立代々木競技場第二体育館で開催される「K-1 WORLD GP 2016 IN JAPAN ~-60kg日本代表決定トーナメント~」のトーナメントに出場する皇治のインタビューを公開。
――今回が皇治選手にとってK-1初参戦になります。試合が決まった時の心境を聞かせてください。
「素直にうれしいですね」
――2月のKrushでKO勝利した直後に「もうK-1決まりでしょう」というマイクもありましたが、ご自身ではトーナメントに出るつもりでしたか?
「そうですね。でも自分としてはもっと前からK-1に出るもんやと思っていたし、そのためにずっとキックボクシングをやってきたんで」
――もともと皇治選手が最初に始めた格闘技は何だったのですか?
「一番最初に始めたのは空手です。自分が歩き始めたくらいのころからやっていて、物心がついた時には道衣を着ていました」
――それはご両親の影響ですか?
「親父ですね。親父が格闘技好きで、親父にやらされている感じで、当時はむちゃくちゃ空手が嫌いでしたね(苦笑)。でも小学生の時には魚本流の大会で全国1位になったり、中学の時に日本拳法の大会で全国2位になってます」
――空手以外にスポーツ歴はあるのですか?
「空手と並行してサッカーをやっていて、セレッソ大阪のジュニアチームにも入ってたんですよ。年齢が2つ上の試合に出ても1人で9点取ったりして、めちゃめちゃ上手かったです。柿谷曜一朗とも一緒に練習していました。あっちは覚えてないと思いますけど。小学校の文集にも『将来の夢はK-1選手かプロサッカー選手』って書いてました」
――本格的に格闘技一本に絞ったのはいつだったのですか?
「中学3年生の時です。最初はサッカーで高校まで行こうと思ってたんですけど、中学最後の大きな試合で負けちゃって。その時に『こいつらが下手くそやから負けたんや!』って人のせいにしてもうたんです。その時に負けを人のせいにしてるようじゃチームプレイは無理やなと思って、個人競技の格闘技を選びました。あと自分は大阪の池田市という田舎の出身なんですけど、喧嘩ばっかりやっとったんですよ。それで自分が一番強いっていうのをみんなに分からしたかったんで、それやったらキックボクシングで世界一になったろうと思いました」
――ずばり皇治選手はやんちゃだったんですか?
「やんちゃというか喧嘩はしてましたね。舐められるのが嫌いやったんで。ただ自分より弱いやつとか年下とは絶対に喧嘩しなかったです」
――ちなみに喧嘩の戦績のほうは?
「全勝・全KOです。格闘技やったらメイウェザー級ですね(笑)」
――格闘技に専念してからはK-1が目標だったのですか?
「はい。やるならK-1、それしか目標にしてなかったです。ただ自分がプロになってから旧体制のK-1が寂しいことになってしまって…。モチベーションを保つのが必死やったんですけど、こうやって新生K-1として復活してくれてうれしいです」
――K-1という舞台で自分の存在をより多くの人に知らしめたいですか?
「そうですね。K-1には目立っている選手がいっぱいいると思うんですけど、そいつらより俺のほうが強いっていうのをやっとみんなに分かってもらえるなと思って楽しみです」
――しかも1回戦の相手が元-60kg王者の功也選手です。試合が決まった時はどんな心境でしたか?
「自分は兄ちゃん(弘嵩)とやりたいと思っていたら、ジュニア(功也)が来たんでびっくりなんですけど」
――対戦相手としての功也選手はいかがでしょうか?
「ジュニアが実力あるのは分かっているんで、しんどい時に当たるより元気な時に当たるほうがいいかな、と。自分は『兄弟喧嘩を止めたる』と言っていて、いきなり1回戦で止めさせてくれるんでラッキーですね。今、K-1が売り出しているK-1の顔が1回戦でいなくなっちゃうとあれなんで、決勝でやりたかったんですけど、いいタイミングで決めてくれたなって感じです」
――ずばり日本代表決定トーナメントを制して、狙うは現-60kg王者の卜部弘嵩選手ですか?
「悪いけど兄ちゃんには楽勝で勝てると思います。兄ちゃんよりジュニアのほうが強いと思います」
――皇治選手は発言でも注目を集めていますが、注目されることは気持ちいいですか?
「気持ちいいです! もっといいことも悪いことも言って、みんなが自分の名前で遊んでくれたらいいですね。あっ、そういえばジュニアが『こういう選手がチャンピオンになっちゃダメ』って言うてましたけど、もし俺がK-1に出なかったら今回の-60kg日本代表決定トーナメント終わってたでしょ? だから7人は俺に感謝せえよ(笑)。トーナメントは1vs7で十分、仲良しこよし7人全員かかってこいって。それで俺だけ見てればいいって感じです」