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【2019年振り返り 5月編】大谷翔平復帰。大津で幼稚園児の列に車が突っ込む。東京五輪のチケット抽選販売受け付け開始

2019.12.23 Vol.Web Original

 5月1日から年号が令和となる。このおめでたい日に巨人の坂本が令和第1号ホームラン。今年はセ・リーグのMVPも獲得した。

 7日(日本時間8日)には昨シーズン終了後に右ひじの手術をしたメジャーリーグ、エンゼルスの大谷翔平が3番DHで復帰。4打数無安打1打点、1四球2三振に終わったが、3番での復帰に期待の大きさをうかがわせた。13日(日本時間14日)のツインズ戦では復帰後初本塁打を含む3打数2安打2打点2四球。翌日も3安打を放つなど完全復帰を果たした。大谷は6月にはブルペンでの投球を始め、2020年での二刀流復活へ期待が高まっている。

 8日には滋賀県大津市で幼稚園児の列に車が突っ込み、2人死亡、14人が重軽傷。交差点に直進した車に対抗車が右折を開始。それを避けるためにハンドルを切り、歩道に突っ込んだ。右折車の運転手・新立文子被告が自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)罪で起訴された。

 9日には2020年東京五輪のチケット抽選販売受け付けが開始。29日に締め切られ2425万件のアクセスがあった。開始からサイトが混雑し、アクセスできない事例や、申し込んだつもりだったができていなかったという事例が頻発した。

 11日には北方領土へのビザなし交流訪問に参加した日本維新の会の丸山穂高衆議院議員が酒に酔い、北方四島返還にあたり「戦争で取り返す是非」に言及し波紋を呼ぶ。丸山氏は日本維新の会を除名されたものの議員辞職はせず、8月にはまさかの「NHKから国民を守る会」の副党首に就任、現在に至る。

 20日には4月のウクライナ大統領選で圧勝したコメディー俳優のゼレンスキー氏が第6代大統領に就任。ゼレンスキー氏は親欧米路線の継続や汚職撲滅などを掲げて当選。就任式での演説では「任期の5年間は、国民に涙を流させないよう全力で取り組む」と語った。

 28日には登戸駅の近くで小学生ら18人が男に刺される事件が発生。小学6年生の女児と30代男性の計2人が死亡。犯人の岩崎隆一容疑者は自殺。この事件も真相は藪の中となってしまった。

【最新号5月13日配布開始】お帰り!翔平、待ってたよ!

2019.05.12 Vol.718

5月7日のタイガース戦から3番DHで戦線復帰
お帰り!翔平、待ってたよ!

 エンゼルスの大谷翔平がグラウンドに帰ってきた。

 大谷はメジャーデビューとなった昨年、開幕から二刀流でメジャーを席巻。投げては最速163キロの速球を武器に4勝を挙げ、打っては規定打席には届かなかったものの打率.285、22本塁打、61打点の驚異的な数字を残した。

 しかし6月に右ヒジの内側側副靱帯を損傷し故障者リスト入り。復帰後は打者として出場し、9月に3カ月ぶりに登板したが、後日、右ヒジ靱帯に新たな損傷が判明。以降は打者としてのみ出場し、オフシーズンに右ヒジの靭帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた。

 その結果、2019年は投手はお休み、打者としてのみの出場となることがアナウンスされた。

 もっとも同手術を受け、翌年に打者として活動した選手は皆無なことから、果たして打者として出場しても大丈夫なのか?という声はあったが、大谷は術後、順調にリハビリを重ね、キャンプもじっくり焦らずクリア。

 開幕から1カ月が経った5月7日、デトロイトでのタイガース戦で3番DHで復帰した。

 大谷はフル出場し5打席に立ち、4打数無安打、1四球2三振に終わったものの、第2打席には遊ゴロで1打点を挙げ、チームの5−2の勝利に貢献した。

 翌日も3番DHで出場。4打席に立ち、3打数無安打2三振、1死球に終わった。3打席目の死球は右ヒジに当たったように見え、ヒヤリとさせたが大事には至らなかった。

 まだまだ本調子ではないようだが、ヘルメットが飛ぶほどのフルスイングを見せており、打撃に関しては右ヒジは大丈夫なようだ。

大谷が帰国会見で2020東京五輪出場否定せず

2018.12.07 Vol.713

 米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平が11月12日、ア・リーグの新人賞に選出された。日本人では2001年のイチロー以来17年ぶり4人目の快挙となった。

 大谷は大リーグ専門局のインタビューに「すごくうれしい。応援してくれた方にとってもうれしいと思うので良かった」と喜びを語った。

 今季は投手としては4勝2敗、防御率3.31、打者では打率.285、22本塁打、61打点、10盗塁をマーク。

 ライバル視されていたヤンキースの内野手アンドゥハーは打率.297、27本塁打で大谷は数字の面では劣ったが、同一シーズンでの「10試合登板、20本塁打、10盗塁」はメジャー史上初。約100年前のベーブ・ルースを想起させる活躍に、全米30球団の本拠地から選ばれた30人の記者のうち25人が大谷に1位票を投じた。

 大谷は帰国翌日の22日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見を行い「充実して楽しい、良いシーズンだった」などと1年を振り返った。

 今年10月に右ヒジの靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けたが、「術後は順調。やって良かったと思っている」と説明。来季は打者に専念することになるが、二刀流については「今の段階で(断念)は全くない」と話した。今後の目標としては「ポストシーズンへ行きたい思いはより強くなっている」とした。

 また2020年の東京五輪については「出場してみたいという気持ちがあるのは普通なこと」と話した。

大谷翔平 来季は40本塁打に期待

2018.10.06 Vol.711

トミー・ジョン手術無事成功。二刀流は2020年までお預けも…

 大谷翔平のメジャー1年目のシーズンが終わった。

 今季、二刀流でメジャーに殴り込みをかけた大谷だったが、打者としてはオープン戦では思うような成績を残せなかった。しかし開幕前に打撃フォームを微調整。

 開幕戦(3月29日)のアスレチックス戦ではメジャー初打席でヒットを放った。4月1日のアスレチックス戦では先発し、6回を投げ3安打3失点で初登板初勝利。3日の本拠地開幕戦のインディアンス戦では第1打席でメジャー初本塁打を放った。

 その後も投打にわたり順調に成績を伸ばしていった大谷だったが、6月8日に右ヒジの内側側副靱帯損傷で故障者リスト入りしてしまう。7月3日に約1カ月ぶりに復帰すると打者として出場を重ね、2ケタ本塁打も達成した。9月2日には満を持して投手としても復帰。この登板で1シーズンに15本塁打と投球回50イニングを達成。これは1919年のベーブ・ルース以来の快挙だった。

 しかしその後、右ヒジ靭帯に新たな損傷が判明したことから、以降は投手としての出場は封印。打者として試合に出続け、最終的に打者としては打率.285、22本塁打、61打点、投手としては4勝2敗、防御率3.31の成績を残した。

 シーズン終了後の10月1日には靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を行い無事に成功した。

 投手として復帰するには1年以上かかるとされるが、「打者」としての出場は可能と見られており、その場合は来季は打者に専念する。ただし開幕戦に間に合うかは定かではないという。またトミー・ジョン手術を受けた投手が「打者」として翌年プレーをしたというケースはもちろんなく、投手のリハビリと並行しての出場というのも異例で、今年とは違った形で来季も注目を集めそうだ。

 今年は367打席で22本塁打を放っており、打者に専念する来季は30本はもちろん、40本塁打の期待もかかる。これまで日本人の最多本塁打は2004年に松井秀喜が記録した31本。

 なお二刀流の復活は2020年シーズンになる見込みだ。

大谷翔平がまずは打者として復帰

2018.07.06 Vol.708

 米エンゼルスの大谷翔平が7月3日(日本時間4日)、セーフコフィールドで行われたマリナーズ戦で「6番DH」で出場。約1カ月ぶりの復帰戦は4打数無安打3三振に終わったが、翌日は2本のヒットを放った。

 大谷は6月6日(同7日)のロイヤルズ戦に投手として登板後、右肘内側側副靱帯の損傷で8日(同9日)に故障者リスト(DL)入りしていた。

大谷翔平 ベーブ・ルース超えの第一歩!

2018.04.06 Vol.705

 今シーズン、日本ハムからメジャーリーグのエンゼルスに移籍した大谷翔平は3月29日(日本時間30日)、アスレチックス戦で「8番DH」でまずは打者としてメジャーデビューを果たし、初打席でライト前ヒットを放った。中2日空けた4月1日(同2日)、アスレチックス戦で今度は投手として初登板初先発し、6回6安打3失点で初勝利を挙げた。

 開幕戦に投手以外で先発出場し、10試合以内に投手として先発するというのは1919年のベーブ・ルース以来99年ぶりという快挙だった。

 3日(同4日)には、本拠地デビューとなるインディアンス戦に8番DHで先発し、初打席で右中間に初本塁打を放り込んだ。この日はこのほかにも2安打を放ち、マルチ安打も達成した。

 勝利投手となった次の試合で初回に打者として本塁打を放ったのは1921年のベーブ・ルース以来という離れ業。

 しかし大谷の勢いは止まらない。翌4日(同5日)にも8番DHで先発し、リードされた5回の第2打席で同点に追いつく貴重な一発を今度はセンター左寄りのスタンドへ。

 オープン戦では打率1割台、防御率27.00に終わり、一部には「二刀流」に懐疑的な声もあったが、初勝利とこの2本の本塁打でそんな声を完全に黙らせた。

 なにかとルースと比較されることの多い大谷だが、今後の目標は1918年にルースが達成した同一シーズンでの2ケタ勝利&2ケタ本塁打となりそうだが、難なくクリアできそうな滑り出しとなった。

 早くも「ビッグ」な存在となった大谷だが、アメリカでビッグなショーヘイといえばジャイアント馬場を思い出すオールドファンもいるのでは?

 馬場は1961年にデビュー1年でアメリカ武者修行に出ると短期間でメインイベンターにのし上がり、エンゼルスの地元ロサンゼルスでは「ショーヘイ・ビッグ・ババ」のリングネームで戦っていた時期もあった。地元の年輩のファンの中には「ショーヘイ」という響きに懐かしい記憶を呼び戻されるファンもいるのでは…?

野球・大谷翔平【AFLO SPORT Presents PHOTOIMPACT-プロの瞬撮-】

2018.04.06 Vol.web original

 スポーツ専門フォトグラファーチーム『アフロスポーツ』のプロカメラマンが撮影した一瞬の世界を、本人が解説、紹介するコラム「アフロスポーツの『フォトインパクト』」。他では見られないスポーツの一面をお届けします。

侍ジャパン強化試合 大谷がドームの天井に消える超特大二塁打

2016.11.25 Vol.679

 野球日本代表(侍ジャパン)が、来年3月に行われる「第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」を見据えた強化試合を11月10〜13日に開催。

 メキシコ代表、オランダ代表とそれぞれ2試合を戦い、3勝1敗と勝ち越したが、4戦で29失点と投手陣に不安を残した。

 日本は第1戦、メキシコに3-7でいきなり敗戦。打線が5安打に抑えられ不安なスタートとなったが、翌日の第2戦(11日)では“カンフル剤”として「3番・DH」で起用された大谷が2安打2四球3得点と期待に応え、打線を生き返らせる。

 12日のオランダ戦は延長10回、タイブレークで1点を奪い9-8でサヨナラ勝ちしたが、7-5とリードしながらも9回表に一度逆転を許すなどヒヤヒヤの内容。

 最終戦も延長にもつれ込む接戦。延長10回にタイブレークで4点を奪い、12-10で連夜の延長戦を制した。

 今回は打者として出場した大谷は初戦こそ代打で三振に終わったものの、12日は「6番DH」で出場し、国際試合初本塁打。13日は代打で出場し東京ドームの天井の隙間に吸い込まれる超特大の二塁打を放つなど、本戦での活躍を期待させる内容だった。

 WBCは来年3月6日に韓国・ソウルで開幕。B組の日本は同7日から日本でキューバ、豪州、中国と1次ラウンドを戦う。

ジョージア魂賞年間大賞に日本ハム・大谷

2014.11.27 Vol.631

 プロ野球のシーズン中に“ファン自身が元気づけられた魂あふれるベストプレー”へ贈られる「ジョージア魂賞」の年間大賞の発表と表彰式が27日、都内のホテルで開催された。
 ジョージア魂賞はシーズンを4月上期から9月下期まで12の期間に分け、期間ごとにファンの投稿でプレーを選出する。
 その選ばれた12のプレーの中から、ファンの投票で選ぶ年間大賞には日本ハムの大谷翔平投手が輝いた。対象となったのは4月20日に行われた楽天戦において、この日最速となる154キロを出し、ピンチを脱出したプレー。
 大谷は「気持ちが入っていた。(打つのも投げるのも)どちらも楽しい、すごく成長できた1年でした」と今年1年を振り返り、受賞に関しては「もらえると思っていなかったし、ファンの方に選んでもらったということがすごくうれしい。来年も今年以上の活躍ができるように頑張りたい」と喜びの表情を見せた。
 また今年、ジョージア魂賞のナビゲーターを務めた渡部建とゲストの山田久志、山崎武司、仁志敏久の3氏が選ぶ「特別賞」には9月5日の阪神戦で最年長勝利記録を64年ぶりに更新した中日の山本昌投手と、9月30日の西武戦で引退ロードの中、代打逆転ホームランを放った日本ハムの稲葉篤紀選手が受賞した。
 山本昌は「来年のシーズン中には50歳になりますが、年をとったからといってハンディキャップをもらえるわけではないので、1プロ野球選手として対等に頑張っていけるようにしっかり体を作りたい。今シーズンは調子を保つことが難しかった。体調と調子さえ保てれば、もっともっとやれるはず、と思っています。期待してほしいと思います」とますます盛んなところを見せた。
 表彰式の後に行われたトークセッションでは横浜DeNAの三浦投手がオリックスからFA宣言し来季の去就が注目される金子投手に「来年はどこのチームで投げていますか?」という内角ギリギリの質問を投げると、金子は「僕も分からないです。ユニホームは来ていたいと思います」。それを聞いたゲストでオリックスのOB会長を務める山田氏が「ずーっと気になっている」と追い討ちをかけると「とにかく頑張ります」と苦笑いで交わす場面もあった。

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