“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第143回目は、北海道大学の恵迪寮について、独自の梵鐘を鳴らす――。
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歴史は「古代」からではなく、「近現代」から教えた方がいいと思うんだけど〈徳井健太の菩薩目線 第142回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第142回目は、歴史の教え方について、独自の梵鐘を鳴らす――。
大西ライオン無双 いつの間にかゴルフ界のアイドルになっていた〈徳井健太の菩薩目線 第141回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第 141 回目は、同期・大西ライオンについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
麒麟の田村さん、若手の色彩わんだー、励まされる言葉って大切だよね〈徳井健太の菩薩目線 第140回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第140回目は、励まされるメッセージについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
百貨店ほど知見を高めてくれる利便性◎な場所はない! でも、そりゃないよ……〈徳井健太の菩薩目線 第139回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第139回目は、老舗百貨店の功罪について、独自の梵鐘を鳴らす――。
芸人をプレイヤーのままでいさせる『千鳥の鬼レンチャン』。だから、面白い。〈徳井健太の菩薩目線 第138回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第138回目は、『千鳥の鬼レンチャン』について、独自の梵鐘を鳴らす――。
芸人たちの打ち合わせ論、台本論。テレビの向こうのバカリズムさんから教わったこと。〈徳井健太の菩薩目線 第137回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第137回目は、台本について、独自の梵鐘を鳴らす――。
いろんなテレビ番組がある。その数だけ台本がある。
台本をどう紐解くか。おそらく、タレントや芸人によって、その解釈の仕方は、これまたいろいろあると思う。
台本がある。ということは、打ち合わせもある。その台本を確認しながら、番組ディレクターなどがあれこれと文字通り“打ち合わせ”をする。
徳井健太の場合。楽屋に入ると台本が置いてあるので、必ず目を通す。流れを確認し、自分なりの答えを出し、収録に臨む。けど、その前に、打ち合わせがある。
台本を一言一句追っていくような打ち合わせをすることがある。でも、それはすでに読んだ内容だから、正直なところ、もっとプラスアルファのある打ち合わせの方がうれしかったりする。
たとえば、流れをかいつまみながら、特定の箇所を説明し、「ここでこういう盛り上げ方ができませんか?」などなど。せっかく大人が向き合っているのだから、写経のように、ただただ台本の文字をなぞるだけの打ち合わせは、気持ちがどんどん「無」に近づいていってしまうというか。写経だったら、それでいいんだけど。
そんなふうに考えていたある日、それって「凡庸だったんだ」と気が付いた。
『ワイドナショー』を見ていると、打ち合わせはいるか、いらないかみたいな話をしていた。タイムリー。
出演者の多くが、やはり杓子定規な打ち合わせであれば、あまり意味はないのではないかといった論調に傾いていた。バラエティでは、台本通りに書いてあっても、そうならないことが多々ある。どうなるかわからないことについて打ち合わせをするのは、“たられば”の世界。だったら、実際にやったほうが早いよねって。
ところが、バカリズムさんだけは違う視点を持っていた。「打ち合わせは必要」。なんでだろう。
めちゃくちゃ面白い台本、それこそ笑いを前面に押し出したようなバラエティの台本があったとき。その打ち合わせをするディレクターが、もしも台本を一字一句読んでいくタイプ、ものすごく真面目なタイプだったら、どうなるだろう。一見、お笑い風の番組だけど、実はそんなにバラエティ的な要素は求められていないのではないかと疑う、そうバカリズムさんは話していた。
たしかに、バラエティ番組といっても多種多様だ。情報系もあれば、ゲストに俳優さんがくるバラエティもある。台本を開くと、とても楽しそうで、お笑い色が強いんだろうなとわくわくする。情報系だけど台本が面白いんだったら、俺は芸人感を出して収録に臨もうと決める。だけど、バッサリとカットされるというのは珍しいことじゃない。
その逆もある。情報がメインなのに、ボケた部分が意外に使われていてびっくりするなんてこともある。そういうケースを振り返ってみると、打ち合わせをするディレクターが、台本に書いてあることをあまりなぞらずに、余白を感じさせるような打ち合わせをしていたような。
バカリズムさんは言う。台本の内容と実際に打ち合わせをする人物とのシンクロ具合が重要なのであって、それを見極めるために打ち合わせという場は必要だ、と。目からウロコ。レベルが高い人の考え方ってすごい。
たくさんの番組に出させてもらうようになると、芸人である俺たちは、打ち合わせで「面白いことやりましょう。どんどんやってください」なんて言われる。意気揚々とオンエアのふたを開けると、バッサリいかれ、よくわからない反省タイムへ突入する。「何がいけなかったんだろう」。でも、それは良い、悪いの話というより、合う、合わないの話でしかなく、そんなことを繰り返しているうちに、人間不信よろしく打ち合わせ不信になってしまう。「どうせ話が違うんでしょ」なんて思ってしまって、結局、自分なりの答えを出して、収録に臨む。言い方を変えれば、個人プレー。それでもいいかなんて走っていた。
でも、番組はたくさんの人間がいて、作られている。理想を言えば、どんな番組でもチームプレーを心がけたい。その気持ちをズレさせないために、打ち合わせという場を有効利用し、フォーカスを合わせる。バカリズムさん、勝手に勉強させていただきました。ありがとうございます。
芸人たちの台本論。芸人たちの打ち合わせ論。面白いかもしれない。
たとえば、極楽とんぼの加藤浩次さん。伝説のバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』は、毎回ものすごい厚みの台本があったそうだ。めくると、命を懸けて、寝る間も惜しんで書かれていたことがわかるくらい真剣な台本だったという。だから――。
加藤さんは、命を懸けてぶっ壊しにいったと話していた。命を削って作った台本VS命を削ってぶっ壊しにいく芸人。その死闘の数々が、極楽とんぼの名シーンとしてカメラに収まっているんだと思う。本気同士が対峙するから壊せる。ちゃんとしたものがあるから、壊す行為にカタルシスが生まれる。
バラエティの現場って面白い。本気になるために、打ち合わせって大事なんだ。
願いが叶った日。「蒙古タンメン中本芸人」で、俺は泣きそうになった〈徳井健太の菩薩目線 第136回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第136回目は、『アメトーーク!』の「蒙古タンメン中本芸人」について、独自の梵鐘を鳴らす――。
去る5月26日、『アメトーーク!』で「蒙古タンメン中本芸人」が放送された。
中本芸人メンバーは、小宮浩信(三四郎)、せいや(霜降り明星)、山崎ケイ(相席スタート)、徳井健太(平成ノブシコブシ)、五明拓弥(グランジ)、向清太朗(天津)、遠山大輔(グランジ)、鈴木もぐら(空気階段)――。
徳井健太、五明拓弥、向清太朗。この3人が地上波で、蒙古タンメン中本について語る日を、ずっと光の届かない場所から願っていた。まだ蒙古タンメン中本が世間に見つかっていない夜明け前。俺たち三人は、地下トークライブで同店のすばらしさを好き勝手に布教していた過去を持つ。
少し前、宝島社から発売されたムック本『蒙古タンメン中本 真空断熱タンブラーBOOK』に、俺たち3人は登場させていただいた。その撮影の帰り道、ABEMAの『チャンスの時間』でも話した通り、向さんからポツリと相談された。
「徳井、売れるにはどうしたらいいと思う?」
天津は一期上の先輩にあたる。もう出会ってから10年近く経つ、愛すべき先輩。そんな向さんが、真剣なまなざしで聞いてくる。
俺は、このコラムでも触れたように、「芸人に嫌われるようなことをしていかなきゃいけないと思います」と持論を話した。敬愛する一個上の先輩は、何かを考えるように小さく頷いていた。
その矢先、ふってわいたように、『アメトーーク!』で「蒙古タンメン中本芸人」の収録が決まった。ありがたいことに、俺たち3人もキャスティングされた。
本番が始まる前。楽屋で、念を押すように「どんどん前に行ってください。イタいと思われてもひよらないでください。売れたいという気持ちがあるんだったら、前に突き進んで。嫌われるくらいに」と伝えた。俺ごときが言うなんておこがましい。でも、どうしても言葉にしておきたかった。
本放送を見ていただいた方ならわかると思う。向さんは輝いていた 。
地下トークライブで蒙古タンメン中本を話し始めた10年前から、俺はいつか『アメトーーク!』のテーマになる日が来ると確信していた。何の根拠もないけど、きっと日の当たる場所で語られる日が来ると信じていた。その時代の俺は、蒙古タンメン中本の本店がある板橋に暮らし、来る日も来る日も、麺をすすっては、 蒙古タンメン中本芸人として呼ばれる日を妄想していた。
その妄想仲間が、もう20年来の付き合いになる一期後輩の五明だった。トークライブを始めるにあたって、二人の狂信者だけでは破綻すると考えた俺は、一人クレバーな人がいてほしいと思って、同じく中本ファンだった向さんを誘うことにした。向さんは、ちゃんとなんでもできる人だ。この人がいれば、劣勢だってひっくり返せる。『アメトーーク!』の冒頭、「クレバーなトークができる人です」と紹介したのは、そうした歴史と信頼があったからだった。
そう紹介したはずの向さんは、なりふり構わず自分が話したいことを、槍が飛んでこようが弓矢が飛んでこようが、ひたすらに喋り続けた。ぜんぜんクレバーじゃない。その姿を見て、俺は収録中であることを忘れて、泣きそうになっていた。もう少しで、突然徳井が泣き出す――放送事故になるところだった。
他の人が十分ウケていて、もうそこから先は話すことがない。そんな状況でも、向さんは 「いや、でも」と押し出しにいく。とっくに土俵を割っているのに、まだ突破しようとする覇気にあふれていた。
収録を終えた俺たちは、なんとも言えない多幸感に包まれていた。「一杯だけ飲もうか」。誰が言い出したかはわからない。気が付くと、六本木交差点近くの飲食店に入って、深夜のほんのささやかな乾杯をあげていた。そのとき飲んだお酒は、今まで飲んだお酒で一番美味しかったかもしれない 。
収録終わりの酒というのは、どうしたってその日の自分の立ち居振る舞いやトークを顧みてしまう。俺のような未熟な芸人は、反省することの方が圧倒的に多いから、「あのときはこうすれば良かったな」、「もっとこうできたんじゃないかな」とか逡巡してしまう。楽しいお酒の中にも、どこか苦い味を感じてしまう。
やりきった。声には出さないけど、そんな気持ちが後押しして、苦みを感じない夜。『アメトーーク!』という究極のハレの場で、10年来のケ(ガレ)が消えた夜。しかも、20年来の五明、10年来の向さんと。はじめて太陽の光を浴びると、こういう気持ちになるのか、なんて思いながらグラスを持ち上げた。
すべっていたかもしれない。でも、この収録に関しては、「やりきった」と心から思える。やりきった後の、お酒は美味い。血生臭くて殺気を帯びるような現場があるから、美酒になる。先輩芸人たちは、たくさんほろ苦いお酒と、それにも増して美味しいお酒を飲んで、今があるのだと思う。
「あ~、こういう人が書き込んでいるんだ」。立体化させることが誹謗中傷をスルーする一つの方法〈徳井健太の菩薩目線 第135回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第135回目は、誹謗中傷の対処法について、独自の梵鐘を鳴らす――。
ラジオって、難しい。叩かれまくった『シン・ラジオ』で感じた可能性〈徳井健太の菩薩目線 第134回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第134回目は、『シン・ラジオ』について、独自の梵鐘を鳴らす――。
バッファロー吾郎・竹若さんの大喜利回答を見て、自分の「尖り」は丸くなっていった〈徳井健太の菩薩目線 第133回〉
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第133回目は、“尖り”について、独自の梵鐘を鳴らす――