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「手間」を「愛」だと考えてみると、品のあるなしは、愛でうめてみませんか?〈徳井健太の菩薩目線 第149回〉

2022.10.20 Vol.Web Original


“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第149回目は、品と愛について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 自分で言うことではないけど、品があまりない人間だと思う。よくよく思えば、この歳になるまで品というものを真剣に考えてこなかったような気がする。まぁ、あってもなくても別にいいじゃないのって。

 最近、ニュースなんかを眺めていると、「別にそれでもいいんじゃないか」って思うことに対して、世間一般は「品がない」とか「独りよがり」なんて反応をしていることが少なくない。そんな世間のアレルギーを見ると、間接的に自分も「品がない」と言われているような気がして悩ましい。

 歯医者や美容室のイスは上下に動く。高さを調節するために必要な構造なんだろうけど、前々からムダなことだと感じていた。 高くなったところで、歯の治療が早まるわけじゃない。ほんのちょっとの調整。そんなもん必要なのか……なんて考える俺を無視して、いつも高さは調節される。

 ついこの前も、「早く治療してくれないかなー」と思っていた。はっとした。自分は何て品のないことを考えているんだろうって。

 包装紙もそうだ。きちんと包装紙をたたんで保管している人を見ると、なんでわざわざそんなことをするんだろうと思っていた。その包装紙をいつ使うんだろう。使わないのに、きれいに折りたたんでいるのであれば、そんなにムダなことってないんじゃないか。使わないなら、がさっと破いても問題ないよね……、あ、これも品のない考え方。ちょっと前なら気にしなかったのに、ここ最近はそんな些細なことに対して、自分の品のない考え方に疑問を持つようになってしまった。

 無機質に手渡された贈答品よりも、包装紙に包まれた贈答品を手渡された方がうれしいと考える人の方が圧倒的に多いと思う。でも、俺は無機質に渡されたとして、何も嫌な気がしない。タクシーに乗るとき、わざわざ運転手さんがドアを開けてくれるのも、無駄なことのように見えてしまう。それをしてもらったところで運賃が安くなるわけでも、目的地に早く着くわけでもない。合理的に考えれば考えるほど、品とはかけ離れていくことに気が付いたとき、「いい大人なんだから」と、自分を戒めることも必要なんじゃないかと思い始めてしまったのだ。このままじゃ、心が貧乏なおじいさんになってしまうよなぁ。 

 だけど、人間の性格というのはなかなか変わらない。ことあるごとに合理的に考えてしまいがちな自分を、どうすれば「品のある」人間にできるんだろうか。

 難しい。

 少しイスを高くするとか、包装紙で包むとか、ドアを開けるとか、そうした行為は、いつもより手間をかけるアクション。この手間をかけるって視点が、ミソなのではないかと考えてみたい。

 俺は、わざわざラッピング代を出してまで包装紙で包むなんてことはしない。でも、料理をする身からすれば(私、徳井健太は結構料理が好きなので)、手間をかけるという行為は大事だと思う。

 たとえば、下処理をしないと考える人がいたとき、「いやいや、面倒かもしれないけど下処理はしようぜ」とつっこんでしまうし、実際問題として、下処理をしてから料理に取り掛かった方が圧倒的に完成度は高くなる。それに、がんばって作った料理を、一口も食べずに「好きだから」という理由だけで七味唐辛子をかけられたら、俺だったらムッとするに違いない。

 包装紙をビリビリと破いてしまうのは、せっかく作った料理にドバドバと七味唐辛子を振りかける行為と同じかもしれない。あ~これからは、「そんなことする必要ないのに」じゃなくて、「ありがとう。ナイス一手間」と心の中で唱えてみようじゃないか。 

 世の中にはいろいろな「一手間」がある。 それを「愛(情)」だと解釈してみると、すっと喉元をすぎるような気がしてきた。大好きなラーメンだって、どれだけ手間がかかっているか。「そんな作り方は合理的じゃない」なんて批判されたら、二度とラーメンを食うなとか何とか言ってしまいそう。

「これは理解できる」けど「あれは理解できない」。人の好き嫌いの境界線は、あやふやだ。自分で品がないと言っておきながら、カレーライスをぐちゃぐちゃに混ぜて食べる人を見ると、「品がない」と思ってしまう。結局、人間なんて自分勝手な生き物だから、自分の尺度で何事も測りがち。「俺はこういう人間だから」と割り切るのは簡単だけど、どんどん歳を重ねていく中で、そんな割り切り方って、ちょっと雑だよね、やっぱり。

だからこれからは、「手間」がかかっているものを見たときは、「愛」だと思って見てみようと思う。そこに愛を感じたら、その分だけ自分も愛を示す。それが「品」へと様変わり。品を埋められるものは、愛なのかもしれないね。

 

鶴瓶師匠の熱湯風呂に見た、飼い犬じゃなくオオカミになることの大切さ〈徳井健太の菩薩目線 第148回〉

2022.10.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第148回目は、『FNSラフ&ミュージック2022~歌と笑いの祭典~』の一幕について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 2夜連続で放送された『FNSラフ&ミュージック2022~歌と笑いの祭典~』。出演者は、ダウンタウン・松本さん、中居正広さん、ナインティナインさんなどなど錚々たる顔ぶれ。まさに祭典だ。

 その中で、熱湯風呂に挑戦するというコーナーがあった。当然、ダチョウ倶楽部さんが登場する。いろいろなことが頭によぎる、バラエティの本気。

 誰が熱湯風呂に入るのか――。白羽の矢が立ったのは、笑福亭鶴瓶師匠だった。なぜかお腹にはサランラップが巻かれていた。ダイエットのためらしい。やっぱりお笑いのスターは“持っている”。

 鶴瓶師匠といえば、2003年の『27時間テレビ』生放送で、ポロリをしたことが思い出される。そうした過去を持つ師匠が、熱湯風呂に挑む。そして、あれよあれよと、どんどん服を脱がされていく。周りの芸人たちは、「隠せ、隠せ」「危ないから、この人は」なんてはやし立てる。

 でも、なんだろう。そうガヤを入れる芸人たちから放たれる、「この人は、ある一線を越えるとホントにやっちゃうから」という危機感と緊張感がごちゃまぜになったような雰囲気。江頭2:50さんにも通ずる“ホントに何をしでかすかわからない感”。いつ調和が崩れてもおかしくない芸人たちの連係プレーと、鶴瓶師匠の一挙手一投足にヒリヒリ、ハラハラ。芸人だったら、こうありたいなとあこがれた。

「どうせ局部は出さないんだろ」と思った人は多かったと思う。でも、そんな“ごっこ”的な空気や、周りにただただ担がれているだけの状況にプチンと何かが切れてしまい、ホントに暴走する――。そういう雰囲気を持っている芸人が、たしかにいる。今回の鶴瓶師匠もそう。

 言うことを聞く飼い犬じゃなくて、本質はオオカミなんだなって思わせる芸人。噛むんじゃなくて、「噛むんだろうな」と思わせる芸人。この違いが「妙」だと思う。毎回噛むと、それは単に使いづらい演者だと思われる。だから、「噛むんだろうな」。それがあることが望ましいのだと、サランラップ姿の鶴瓶師匠を見て学ばせていただいた。

 ある意味では、それはどこに地雷が埋まっているかわからない怖さにも似ているかもしれない。あきらかに、「このテーマに触れたらダメだろうな」という人って、怖いけど不気味ではない。でも、どこに地雷が埋まっているかわからない人って、なにより不気味な怖さがある。それもまた、「噛むんだろうな」という雰囲気を持っているからこそ可能にしているのだと思う。

 その雰囲気を、一般社会で不特定多数の人に向けるのはリスキーだ。同じ部署にいる同僚が、そんなただならぬ雰囲気を発していようものなら、多分、浮いてしまう(それでもかまわないという人はそれでいいんだろうけど)。

 一方で、俺たちのような芸人の世界やメディアの世界、個人事業主の世界においては、「飼い犬」にならない雰囲気……とりわけ“対同業者”に対しては大事なんじゃなのかと思う。舐められ続けると足元を見られ、雑に扱われてしまう。でも、それって決してお金の話じゃなくて、態度や雰囲気としてのオオカミらしさ。

 たとえば、グルメリポートをするとして、この人をキャスティングしたら「平気でマズい」とか言いそう……だけどそれ以上に、面白いものができあがる。そんな風に思ってもらえたら、その芸人、そのタレントは、鎖を断ち切って自立した「ヤバさ」のスキルがあるってことなんだろうなぁ。

 もしかしたら噛まれるかもしれない。だけど使いたい、一緒に仕事をしたい――そう思ってもらうには、一にも二にも「実力」がなきゃいけない。結果を残せる「強さ」がないと話にならない。だから、オオカミなんだろうなと思う。自分にはそうした強さがあるのだろうかと自問自答する。

 目の前に料理が運ばれて、その一皿がマズかったとしても、「マズい」なんてなかなか言えないよね。キッチンの向こう側では一生懸命作ってくれた人がいるだろうし。そういう想像力を忘れないようにしながら、オオカミの群れを目指していきたい。

 

※「徳井健太の菩薩目線」は毎月10・20・30日に更新します

「ソウドリ解体新笑」で明かされた、演者とスタッフの魂が乗り移ったくりぃむしちゅーさんの番組〈徳井健太の菩薩目線 第147回〉

2022.09.30 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第147回目は、「ソウドリ解体新笑」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 くりぃむしちゅー有田(哲平)さんがMCを務める『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ~SOUDORI~』。その中で、今年4月から「ソウドリ解体新笑」というコーナーを定期的にやらせていただいている。

 毎回、今まで明かされていない有田さんのお笑い年表を開いたり、有田さんの転機を窺えたり、ソウドリウォッチャーの私、徳井健太は恍惚の連続であります。ありがとうございます。

 8月末に放送された「ソウドリ解体新笑」も、とても熱くて、まぶしかった。くりぃむしちゅーのお二人が、どのようにして冠番組を手にしていったのか……その裏側を有田さんが明かしてくれたのだ。

 お二人にとって初となる冠番組は、『くりぃむナントカ』だったという。くりぃむさんは早くして売れたというイメージがあった。だから、2004年まで冠番組がないというのは、少し意外だった。

 転機となったのは『虎の門』。そこで出会ったのが、その後、『くりぃむナントカ』を立ち上げる藤井智久プロデューサー(当時)だ。 

 意気投合したくりぃむさんと藤井さんは、特番の冠番組『生くりぃむ』という生放送番組を仕掛ける。ところが、放送前日までくりぃむさんは、『ぷらちなロンドンブーツ』のロケでイタリアにいたらしく、最悪の事態に巻き込まれる。飛行機が欠航し、初めての特番、しかも生放送という大舞台を欠席することになってしまったのだ。想像するだけで、悲しいし悔しいし怖ろしい。

 あくまでイレギュラーなトラブル。くりぃむさんに非はない。しかも、同じテレビ朝日の『ぷらちなロンドンブーツ』のロケによるまさかの事態。「もう一回何かやりましょう」、そうテレ朝サイドから声を掛けられたそうだ。

 このチャンスに、くりぃむさんは、恩人である明石家さんまさんと一緒に何かできたらと提案したという。だけど、さんまさんは色々あってテレ朝には行けない。でも、「くりぃむしちゅーとは出たい」。そこでさんまさんは、MBSでやっているラジオにくりぃむさんを呼んでトークをし、その模様をテレ朝で流すというウルトラCを敢行した――。全員、愛。愛がなければ、できっこない。

 結果を出したくりぃむさんは、2004年に『くりぃむナントカ』を始めることになる。だけど、これで終わりじゃない。このお話は、大河ドラマだ。

 同番組は、「芸能界ビンカン選手権」や「長渕ファン王決定戦」など数々の名企画を生んだ名バラエティだ。当然、視聴率もファンも獲得した。となると、期待してしまう。4年後、『くりぃむナントカ』は、水曜19時台のゴールデン帯へ昇格することになる。

 ところがその当時、裏番組には絶対王者がいた。ヘキサゴン。お化け番組の壁は高く、返り討ちに遭った『くりぃむナントカ』は、半年で打ち切りになってしまった。

 藤井さんは、「判断ミスだった」とくりぃむさんに謝ってきたという。その席で藤井さんは、もう一回仕事をしたい、ゴールデンでくりぃむさんと仕事がしたいと伝えた。ちゃんと視聴率が獲れて面白い番組をゴールデンで作るから。それが当たれば、また深夜でお笑いに特化した番組ができるから、少しの間、我慢してくれ――。

『シルシルミシル』はこうして誕生したと、有田さんは笑って教えてくれた。その後、くりぃむさんは深夜帯で『ソフトくりぃむ』を開始する。背筋がゾクゾクした。

『ソフトくりぃむ』は、俺たち平成ノブシコブシが『ピカルの定理』に出ていた頃だったから、よく出演させてもらった番組の一つでもあった。当時の俺は、実力がないながらもできる限りのことはやっていたつもりだった。

 でも、有田さんから語られる大河を知って、くりぃむしちゅーさんと藤井さんの魂が乗り移った番組だったんだと、今さらながら理解した。「できる限りのことはやっていたつもりだった」は、言い訳だ。あのとき、もっと頑張れたんじゃないかと、有田さんの話を聞いて後悔した。『ソフトくりぃむ』は、まるで独立を勝ち取った小国が、 “列強何するものぞ”の精神で、死ぬ気でやっていた番組だったんだ。振り返ると、ヒリヒリした現場だったのには、道理があったんだ。

 深夜に生まれたくりぃむさんの冠番組は、いまは『くりぃむナンタラ』となり、今年4月からは毎週日曜日の21時55分から1時間番組になった。ゴールデン・プライムタイムに、巡り巡って舞い戻ってきた。

 テレビ番組は、演者とスタッフの魂によって生まれるものがある。俺が言うことじゃないだろうけど、ゲストとして登場する出演者は、その気持ちをちゃんと想わないといけない。有田さんの話を聞いた今、いっそうその気持ちを持って、皆さんの番組にお邪魔したいと、私、徳井健太は思っています。

テレビから聞こえてきた成田悠輔さんと呂布カルマさんのコメントに、背筋がピンとした〈徳井健太の菩薩目線 第146回〉

2022.09.20 Vol.web original

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『さんまのお笑い向上委員会』の陣内さんは、地球防衛軍のような存在〈徳井健太の菩薩目線 第145回〉

2022.09.10 Vol.web original

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『出張!徳井の考察』で垣間見た「周りを気にすることが増えた」若手芸人の世界〈徳井健太の菩薩目線 第144回〉

2022.08.30 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第144回目は、若手を通じて感じた表現の見解について、独自の梵鐘を鳴らす――。

『ドキュメント72時間』、恵迪寮の“その後”を追って。そこは小さな国だった。〈徳井健太の菩薩目線 第143回〉

2022.08.21 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第143回目は、北海道大学の恵迪寮について、独自の梵鐘を鳴らす――。

歴史は「古代」からではなく、「近現代」から教えた方がいいと思うんだけど〈徳井健太の菩薩目線 第142回〉

2022.08.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第142回目は、歴史の教え方について、独自の梵鐘を鳴らす――。

大西ライオン無双 いつの間にかゴルフ界のアイドルになっていた〈徳井健太の菩薩目線 第141回〉

2022.07.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第 141 回目は、同期・大西ライオンについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

麒麟の田村さん、若手の色彩わんだー、励まされる言葉って大切だよね〈徳井健太の菩薩目線 第140回〉

2022.07.20 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第140回目は、励まされるメッセージについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

百貨店ほど知見を高めてくれる利便性◎な場所はない! でも、そりゃないよ……〈徳井健太の菩薩目線 第139回〉

2022.07.10 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第139回目は、老舗百貨店の功罪について、独自の梵鐘を鳴らす――。

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