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文系、理系「分断」の終焉【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第4回】

2021.04.12 Vol.740

 

 脳科学者の茂木健一郎さんが4月2日付のブログで「東京大学の中に、新たに、英語で教育・研究をするリベラルアーツ・カレッジをつくる」ことを提案されていました。

 東大といえばこれまで入学の段階で、法学部を主にめざす「文一」、医学部に多くが進む「理三」といった具合に、文科、理科それぞれ三類に振り分けられてきましたが、文系、理系の区別をなくし、入学後に自分で科目を組み立てて、専攻は入学してから決めるように枠組みを変えることを提言されています。

 茂木さんも引き合いにされていますが、イエレン米財務長官らを輩出したブラウン大学では導入済み。日本でも秋田県の国際教養大学などではじまっています。しかも「茂木提言」は、全面的なAO入試による変更を訴えるなど、なかなか先鋭的ではありますが、東大が大改革をすれば日本中の大学の入試、教育のあり方を塗り替える可能性を秘めているのは間違いありません。

 もちろん、茂木さんの提案を実現するのは、容易ではありませんが、2030年代以降を見据えた人材育成の方向性としては全くもって理にかなっています。たとえば文系、理系の「壁」を取っ払うことは私も長年指摘しました。私自身も、東大教養学部で藝術・学術・社会をつなぐコンセプト「学藝饗宴ゼミ」を主宰していますが、まさに文一から理三まで所属しているので、茂木さんの提案に賛同します。

 AIの進化で定型的な業務が代替され、産業や働き方が激変される未来において、技術革新や新しい価値を創造することや、AI、データを駆使することが求められます。そのためには、STEAM(=Science、Technology、Engineering、Art、Mathematics)や、デザイン思考の習得が必要になります。

 国としてもすでに高大接続改革において、高校における文理分断の解消に乗り出しているわけですから、大学でもその流れを強化し、幅広い教養を身につけて専攻を見定めていく仕組みに変えていくのは当然のことでしょう。専攻とて文系理系にとらわれる時代は終わりです。

 茂木さんが言われるように、物理学と国際関係論をダブル専攻する学生がいていいのです。いま、まさにコロナ禍で政策現場は前例のない、非常に難しい決断を迫られているわけですが、政治的なリーダーは経済学と医学、二つの知見が求められているのをみても、この複雑な時代に何が重要なのか示唆しているのです。

 文理分断の終焉の動きはますます加速しています。これはすでに社会人になっている皆さんにとっても決して無縁ではありません。大学院などでの「学び直し」にもつながってきます。

 

斬新なビジネススクールをプロデュース【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第3回】

2021.03.08 Vol.739

 

 時折、大手企業の幹部向け研修や社長候補の若手幹部が学ぶセミナーで講師のオファーをいただきますが、近年はあまりお受けしていませんでした。文科大臣補佐官として公職を優先していたことが一番の理由ですが、新任役員や部長級の方々はビジネスパーソンとして、ある意味「完成」されていて、私からあまり申し上げることがないように感じていたことがあります。

 もちろん、特定の社会課題がテーマの時で当該業界の企業幹部の方々と意見交換するのはむしろ大歓迎で私も現場の知見を大いに学ばせてもらっていますが、いわゆるビジネススクールのような社会人向けの学校、それもリーダー層向けでの講師経験が多くないのは確かです。

 もともと大学教員として大学生や大学院生と学び語らい、あるいは社会創発塾で20代の社会人の皆さんと実践的課題を討議しているように、若い人と学びの場を構築・実践していく方が得意かもしれません。そして、私が主宰する学びの場では、プロジェクトベーストラーニング(PBL)を取り入れています。

 PBLは、現実の課題の解決策を調べ考え抜くものなので、絶対的な「正解」があるわけではありません。ビジネススクールでも現実の企業のスタディケースを使って学びはしますし、討論も取り入れて一つの正解にこだわらずに思考法の訓練はしますが、少なくとも大手企業の幹部クラスの40代後半〜50代のベテランの方々にとっては「今更」と感じる部分も多いのではないでしょうか。

 しかし、このほど企業幹部向けに新たな試みをやってみることにしました。5月に開講する「アゴラ・サーバントリーダーシップ・ビジネススクール」では、3つあるクールの第2クール(今夏)で、私自身がカリキュラムから講師陣のキャスティングまで全体をプロデュースできるとあって、これまでにない「オトナのビジネススクール」にします。

 日本経済が「失われた30年」に突入したのは、企業の新陳代謝による活性化に乏しいこともありますが、既存の大手企業が新風を吹かせる天才的な若者たちとのコラボレーションが足りないと長年感じていました。そこで今度のスクールでは、10代から活躍している私の教え子の起業家たちのプレゼンを聞いて意見交換や討論などを展開しようと考えています。

 良くも悪くも、歴史のある企業が幅を利かせているのは日本経済の現状です。ただ伝統的な大企業にはリソースがあります。企業の内部留保は475兆円と8年連続で過去最大を更新中。これをいかに若い才能への投資に振り向けるか。新しいスクールが、ベテラン役員の皆さんをインスパイアさせ、投資の目利き力を鍛える一助にしたいと思っています。

(東大、慶應大教授)

日本橋が「社会リノベーション」の発信源に【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第2回】

2021.02.08 Vol.738

 農業や食に関わるビジネスで女性起業家の活躍が注目されています。私のゼミのOG、長内あや愛さんもその1人。2年前、慶應SFCを卒業するタイミングで、日本橋に「食の會日本橋」というレストランを創業しました。

 提供するのは「復刻料理」。福澤諭吉や渋沢栄一が食べたものはどんなものだったか、往時のレシピや食材を研究してきた成果をもとに考案したメニューが並びます。中学生の頃から「14歳のパティシエ」というブログを書き続けるなど、食への探究心は人一倍。SFCを卒業した後は慶應大学院の政策・メディア研究科で学び、今も事業の傍ら、食文化を追究。大学院でも、彼女は私のもとで修士論文をこの1月に書き終えたばかりです。

「福澤諭吉先生が食べたお菓子」も研究テーマの一つ。福澤は江戸末期、幕府使節団の通訳として二度の渡米、一度の渡欧をしています。福澤が要人同士の会談に随行し、訪問先からおもてなしを受ける際に出てきたのが洋菓子です。

 長内さん曰く、お菓子というのは「非日常を演出し、人間にとって栄養価の高いもの」。お菓子を楽しんだ福澤たちは、当時最先端の西洋文化に触れ、のちの日本の近代化に身を投じていったことを考えると、お菓子ひとつとっても、歴史的ストーリーを感じさせます。

 長内さんが店を構えた日本橋は、以前から私にとっても重要拠点の一つでした。2016年にはライフサイエンス領域のイノベーションに取り組む人たちの拠点や人的交流を進める場として、「ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン」(LINK-J)を立ち上げました。ここをハブにするように、日本橋エリアでは300社以上の関連ベンチャー、スタートアップが活躍するまでになってきました。

 日本橋は長内さんにとって「食文化の聖地」。コロナ禍で大きな試練に見舞われながらも、老舗の多いこの街に新しい風を吹かせようとしています。そして、日本橋本町は江戸開府以来、薬屋が商いをし、いまも製薬会社が拠点を置いています。伝統ある「くすりの街」で、私や教え子たちが関わってきたLINK-Jが先進的医療の歴史をこれから作ろうとしています。

 折しも、日本橋の頭上を通っていた高速道路の地下化への動きが加速しつつあります。街づくり、食、医療…あらゆる分野で日本橋エリアがその伝統的リソースを礎に、日本社会に新しい付加価値を提案する「社会リノベーション」の発信源になろうとしています。
          
(東大、慶應大教授)

コロナ時代にも生きる吉田松陰の真髄【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第1回】

2021.01.11 Vol.737

 あけましておめでとうございます。本年より連載名を新たに「REIWA飛耳長目録」と題し、社会や人生の「難問」に向きあう方々のヒントになると思うことを綴っていきます。

 さて新しい連載タイトルの由来の話から始めましょう。「REIWA」は言うまでもなく「令和」。では「飛耳長目録」とは何でしょうか。ご存知のかたは幕末の歴史にかなり精通されていますね。

「飛耳長目」とは、吉田松陰が松下村塾で学ぶ若者たちに新しい時代の動きや情報を収集することの大切さを説いた言葉です。現代風にいえば、飛耳長目はインテリジェンス、飛耳長目録は見聞をまとめたレポートといったところでしょう。

 なぜ、松陰はインテリジェンスの意義を若者たちに唱えたのでしょうか。松下村塾は、高杉晋作、伊藤博文ら幕末維新の英傑を続々と育てたことでおなじみですが、現代の大学でいえば、各界のリーダーを着実に輩出し続ける“超名門ゼミ”。

 もう四半世紀以上前のことですが、私は通産省から山口県に赴任し、松下村塾などの松陰の足跡に触れたときから、ゼミとしての松下村塾の成功要因をずっと分析し続けてきました。やがて、この「飛耳長目」に秘訣があるように思い至りました。松陰は若い頃、異国の船が日本近海に出没するようになった情勢を受けて、日本各地の海防体制を見聞して回りました。

 これは私の推測ですが、人間は歩く間にさまざまな物事を考えます。あるいは同行者と語らい、議論をして思索を深めます。それまでに書物で学んだ知識を自らの血肉にし、さらに旅先で新しい情報に触れて思考をアップデートし、自らの見識を磨き続けたわけです。百聞は一見にしかず。松下村塾での松陰の“教授”としての実働期間は数年に過ぎませんが、事細かな知識を教え込むよりも、生き様を示し、国の未来を憂う若者たちのハートに火をつけたのではないでしょうか。

 古典を含めた圧倒的な教養と、津々浦々で見聞した最新情報で思考を究め、自分なりのビジョンを形成し、その実現に向けて邁進する――これこそ、のちに時代を変えた若者たちを送り出した、松陰のイノベーター養成者としての真髄だったのだと思います。

 異国船の登場で武家社会が根底から揺らいだ幕末。不確実な世界の展望を拓こうと、自分で見聞きし、自分の頭で考え続けた松陰や若者たちの流儀は、コロナ禍に直面する私たちに大いなる示唆を与えてくれます。 
         
(東大・慶応大教授)

難問に向き合い続ける時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」最終回】

2020.12.14 Vol.736

 この度、国立福島大学の学長特別顧問に就任しました。福島大学は、国が現在計画している福島県沿岸部の「国際教育研究拠点」づくりに際して、国内外の知恵と人脈を集結し、地域を結びつけるハブとなります。この構想の実現・発展に向けても、三浦浩喜学長のお力になりたいと思います。

 東日本大震災の時、私は文部科学副大臣でした。震災後、OECDが子どもたちの教育を通じた復興サポートとして「OECD東北スクール」プログラムを構想した際、私が日本側の窓口として後押しをいたしました。このプログラムは、地域の復興を担う人材とグローバルで活躍する人材を育成することが目的で、福島大学が事務局を担っていただき、この時、三浦先生をはじめ、大学のみなさまから多大なご尽力をいただきました。

 OECD東北スクールは2012年3月、約100人の中学生・高校生が東北各地から集結。2014年8月、OECD本部のあるパリにて、東北の復興を世界にアピールするイベントを開催・成功させるという空前のプロジェクト学習でした。そして「復幸祭」と銘打ったイベントは2日間で15万人が来場する大成功でした。

 このときの日本の高校生の各国の大使や大臣へのプレゼンテーションが共感を呼び、「OECD教育2030プロジェクト」につながります。国内でも「地方創生イノベーションスクール」構想に引き継がれ、福島県立ふたば未来学園も創立され、未来創造探求の先進校になっています。
 子どもたちにとって学びの核心となるのは、緊張とジレンマを克服すべく苦闘して身につけた経験と自信です。これが、まさに大人になって、「正解」も「前例」もない、難問ばかりのいまの世の中に巣立っていった時、それぞれの強みになります。

 東北、福島は震災のあと、高齢化や医療過疎といった問題が顕在化してきました。そして今年のコロナ禍にあって、東京、日本全体も高齢化、デジタル化の遅れといった難問が噴出しました。

 いまの大学生の世代は、令和の時代を担い、22世紀への道を作っていくことが使命である一方で、そうした難問から逃げずに粘り強く向き合い、「解」を考えねばなりません。教職員も、当事者の一人として背中を見せ、若い人たちに何かを感じ取ってもらう必要があります。福島で学びのカタチをつくり、東京、日本、世界へ発信する…。私もその一翼を担う覚悟です。

(東大・慶応大教授)

■本連載「鈴木寛の2020年への篤行録」は今回で終わりです。7年の長きに渡り、ありがとうございました。1月からは連載名を新たに「鈴木寛のREIWA飛耳長目録」と題してお送りします。

「学びのデジタル化」が生む、新たな価値【鈴木寛の「2020年への篤行録」第85回】

2020.11.09 Vol.735

 この連載は「2020年の篤行禄」と銘打ち、7年間続けてまいりました。連載を始めた頃の「2020年」といえば、言うまでもなく東京オリンピック・パラリンピックの開催イヤーです。

 私もそれを念頭に置いた上で、「祭りのあと」にこそ日本や東京が直面する試練は本番を迎える、では、年々複雑化する社会課題にどう向き合っていくべきか、私が知る限りの「篤行」(人情に厚い誠実な行い)を綴ることで、読者の皆様のご参考に少しでもなればという思いで書き続けてきました。

 その2020年も残り2か月。まさか「祭り」の開催そのものが宙に浮くとは夢にも思いませんでした。原因となった新型コロナは、私たちがこの7年、意識し続けてきた「祭りのあと」の社会課題を一気に可視化しましたが、大学教員として私が否応なしに向き合ったのが学びのデジタル化です。

 長年、学生たちと新しいツールを活用しているつもりでしたが、慶應SFCの新学期早々、私の「公共哲学」の講義を、それも1000人規模の受講者がいるのをオンライン化するのは、もはや「社会実験」でした。ZOOMの代理店を務める企業、技術に明るい講師、助手たちの力も借りながら、私にとっても一大挑戦です。

 当初から私が意識したのは、大教室のオフラインの講義をそのままネットに持ってこないこと、逆にオンラインだからこそできることを追求しました。例えば双方向性をいかに持たせるか。もちろんネット時代の当初から言われてきた課題ですが、リアルタイムでのチャット機能やアンケート機能が充実したサービスが登場し、学生の“コミット感”は間違いなく高まりました。

 ご承知の通り、私の教育方針は、既存のモデルに捉われず、学生たちが自ら「道無き道」を突き進み、新たな道を築き上げるように鼓舞することです。このオンライン講義に当たって、すずかんゼミでは、有志が授業設計部を立ち上げ、各種ツールの有効な活用法などを企画し、学びの場をより実りあるものに設計するように努力してきました。

 従前のリアル講義にない新しい価値を築けたと思いますが、学生たちの行動力、発想力を磨く良い契機にもなったと思っています。学内でもオンライン講義の先進事例としても高く評価をいただき、ZOOM本社のCEOからも「先進ユーザーとして、改良のための意見を聞かせてほしい」とご要望いただき、声をお届けしました。試練を糧に変えた経験と自信を学生たちが培ってくれたことが最上の喜びです。   
        
(東大・慶応大教授)

ポスト安倍時代:教育財源はどう確保する?【鈴木寛の「2020年への篤行録」第84回】

2020.10.12 Vol.734

 前回のコラムでは、安倍政権の歩みを教育行政の観点から振り返りました。幼児教育の無償化、私立高校の無償化、低所得者世帯向けの大学無償化という一大業績を残しましたが、いずれも数兆円規模の大型投資を伴いました。

 しかし、総理が交代し、コロナ対応でも財政出動が続きます。少子化と高齢化で教育への公的投資がますます厳しくなって行く中で、次世代を育てるための財源はどう確保すればいいのでしょうか。

 ポイントは、いかに現場に近いところで「再配分」するかです。まず一つは「営利」での民の力です。これまでの民間の営利教育は、塾などをみればわかるように利用する側の経済力の格差が課題でした。もし、塾などの事業者側がソーシャルビジネス的な発想を取り入れて、低所得者世帯向けの割引を行うとどうでしょうか。

 これは民間事業者の努力だけではもちろん難しいので、行政側も積極的な事業者を減税で支援したり、大阪市のように塾通いのクーポンで家庭を応援したりすることが望ましいですが、それ以上に必要なのが民の力。投資やクラウドファンディングなどを通じて事業者を応援するような社会全体の意識改革です。突き詰めれば、お子さんがいない8割の家庭が、お子さんのいる2割の家庭を「未来」のためにサポートできるかどうかです。

 もう一つの民の力は「非営利」部門です。

 子どもたちの学習支援を通じて将来の格差をなくそうというNPOが各地で頑張っています。

 また、学校への支援は勉強だけではありません。地域住民にもできることがあります。その基盤となるのが、地域社会が学校運営に参画するコミュニティスクールです。導入から15年以上経ちますが、全国の小中学校などの2割にあたる7600校にまで広がっています。

 こうした学校の中には、ボランティアの市民がコロナの危機で力を発揮したところもありました。校内の消毒を市民が手伝い、一時休校の折にはITコーディネーターが、家で使っていないパソコンをかき集めてオンライン学習を下支えするといったこともあったそうです。

 そうした民の力を糾合できる首長の存在も極めて重要です。都内では渋谷区の長谷部健区長が、小中学生の家庭の通信費を補助するなどオンライン学習の普及で一際冴えた手腕を見せました。

 公的な制度な枠に基づきながら、民の力をいかに活用して再配分するか。コロナ禍を機に創意工夫がさらに問われます。

(東大・慶応大教授)

安倍政権が健闘した教育投資と限界【鈴木寛の「2020年への篤行録」第83回】

2020.09.14 Vol.733

 安倍総理が持病の悪化を理由に退任を表明されました。8年近くの長期政権にあって、私自身も約4年間、文科省で、下村、馳、松野、林の各大臣の下、大臣補佐官として数々の改革に携わる機会を得ました。

 二度目の安倍政権は、教育面でも大学改革、英語教育改革、教育委員会制度見直しをはじめ、歴代の政権と比べても多岐に渡る施策を実行しました。それをもたらした教育再生実行会議を官邸に置き、官邸主導によるトップダウンの意思決定が非常に強かったことも特徴に挙げられます。

 安倍政権は、幼児教育の無償化、私立高校の無償化、低所得者世帯向けの大学無償化という一大業績を残しましたが、毎年2~3兆円規模もの予算確保が必要な、これらの施策を実現できたのも、官邸の強い力があって財務省を動かすことができたからです。

 霞が関では文部省の時代から大蔵省のほうが伝統的に力関係で強く、教育予算を確保しようとしても、年々悪化する財政難と高齢化という二つの壁を前に苦戦を強いられてきました。安倍政権の官邸主導スタイルには色々な評価はありましょうが、総理個人の教育改革への強い思いと、それを具現化するガバナンスの仕組み作りが数々の壁を打破したことは確かです。

 残念ながら道半ばに終わった取り組みもありますが、安倍政権が終わってしまうと、教育への公的投資がこの8年間のように継続できるかといえば難しいと言わざるを得ません。

 振り返ればこの長期政権は好調な経済に支えられました。政権初期のアベノミクス政策で持ちなおした景気は、戦後最長クラスの6年間も持続し、税収はバブル期並みの63兆円にまで伸びました。経済基盤が安定しないと投資への意欲はわかないものです。

 しかし、その景気がしぼみはじめた矢先、コロナ禍に見舞われました。4~6月期のGDPは3四半期連続のマイナス、年率換算で戦後最悪の27.8%の落ち込みとなりました。飲食、観光を筆頭に多くの産業が大打撃を受け、景気の急激な悪化による税収減は必至です。加えて過去にない規模での財政出動をすでに強いられている中、投資への余力が削られています。次期政権からの教育予算編成は年々厳しくなります。

 教育への公的投資が行き詰まりを見せる中、次世代を育てるための財源はどう確保すればいいのでしょうか。来月のコラムは“ポスト安倍”時代の教育投資のあり方について展望します。

(東大・慶応大教授)

幕末とコロナ:激動の時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」第82回】

2020.08.10 Vol.732

 さる7月4日、慶應大学総合政策学部 鈴木寛研究室と山口県萩市が地域おこしと人材育成を連携して行う連携協力協定を結びました。

 今回のコラボレーションにより、地域おこしの連携や、実践する人材の育成について、萩市の皆さんと一緒に行うことになりました。その第一弾として、萩市内の高校の魅力アッププロジェクトを開始します。具体的には、すずかんゼミが萩の高校生の探究学習を支援させていただきます。

 調印式は世界遺産にもなっている松下村塾にて、私と萩市の藤道健二市長が出席して執り行われました。調印式には市内に3つある高校の校長先生もご出席いただき、早速今後について意見交換もさせていただきました。

 私の人づくりの人生は通産省から山口県庁に出向していた1993年から1995年までの2年間、20回、この松下村塾に通ったことから始まりました。すずかんゼミの、そして私が教育をライフワークに定めた原点がここにあります。この日を迎えられて、感謝、感激でした。

 初めて松下村塾を訪れた日の記憶はいまでも鮮明です。まず驚いたのはその規模。わずか八畳と十畳の二間しかないのです。そんな狭い平屋建ての茅葺小舎に、延べで92名の塾生が学んでいたのです。もうひとつ驚きなのは、吉田松陰が松下村塾で教えていたのは、実家で身近な人たちに教えていた期間を含めても、実質2年ほどしかなかったことです。
 こぢんまりとした小屋で、わずかの期間にどのような教育をしたから、高杉晋作や伊藤博文のような偉人たちを輩出できたのか、私の人づくりへの探究心がむくむくと芽生えていきました。松蔭に関する書籍、それこそ山口でしか手に入らない貴重な文献を含めて読み漁るうちに印象的だったのは、現代の学校教育と比較しても実に先進的な取り組みをしていたことです。

 一つだけ挙げると、まさに今で言うアクティブラーニングの考え方だったといえます。大河ドラマで、高杉たちが「豊臣秀吉とナポレオンが戦ったらどちらが強いか」で論争するシーンが描かれていましたが、実際の松下村塾も議論を重視していました。当時の寺子屋や藩校は先生が書物の知識を一方的に教えることが普通でしたので実に画期的でした。

 幕末・維新から150年余。既成概念がひっくり返る中で、時代を切り開く人材の育成が求められている点で、コロナ禍の現在とも共通します。まずは松下村塾の御恩に報いるため、萩の高校生に恩送りしたいと思います。萩から日本中、世界中の同士と共に教育維新を胎動させていきます。

(東大・慶応大教授)

「9月入学」頓挫でも残った宿題【鈴木寛の「2020年への篤行録」第81回】

2020.06.08 Vol.730

 新型コロナウイルス感染対策による一斉休校の長期化を受けて急浮上した「9月入学」移行ですが、少なくとも今年度や来年度からの導入については、結局1か月ほどで見送りの公算になりました。

 私は前回のコラムで大学の議論と小中高の議論を分けるべきと申し上げました。そして特に影響の大きい小中高については、保護者、児童・生徒、教職員の意見も十分に踏まえ、当事者である校長先生に、意見を集約してもらうべきと申し上げました。休校中だったので、子どもたち、保護者の意見がどこまで出てきたかは微妙なところですが、全国連合小学校長会は5月14日、声明文を出して拙速な議論に事実上の待ったをかけ、全国知事会でも、長野県の阿部知事が冷静に議論をリードされました。

 5月中旬にNHKが「9月入学」に賛否を尋ねた世論調査では賛成41%、反対37%とほぼ二分する状況に。ただでさえ大きな制度変更には世論の力強い後押しが不可欠です。世の中全体がコロナの第一波をしのぎ、経済社会活動の再開が最優先という中では、時間がなさすぎました。

 この決着で、賛成派も反対派も、お互いほっとしてもらっては困ります。今、一番、検討しなければいけないのは、大学入試のタイミングです。私は、今の入試のタイミングを遅らせて、高校卒業後の4月とか5月に合格発表とすべきだと思います。
 大学の入学は、慶應のSFCはじめ春・秋併用となっており、学部ごとに各大学の学長が定めることができることとなっていますので、高校関係者と大学関係者が協議して、大学の秋入学枠の定員を大幅に増やすべきだと思います。秋の入学までの時間は、学力が十分な人たちは、ギャップ・タームにして、様々な実地経験を国内外で積んでいけばいいですし、学力が十分でない人は、改めて、大学での学びについていけるような、学び直しを秋までにやり直すことにあてていけばいと思います。

 さらに、高校の修得主義の要素を増やして、学力修得が不十分な場合は、卒業を半年のばして、3年半の通学を可能にすることも検討すべきです。一方で、学力修得が確認できれば、授業時数にかかわらず単位認定を行い、2年半での早期卒業も認めるべきです。現在は、定時制だけが修業年限を3年以上としており、9月の卒業も認めていますが、全日制も同様に扱いにすべきです。ぜひ、こちらの議論もしっかりと行ってください。(東大・慶応大教授)

「9月入学」急浮上は良いが、改革をサボるな【鈴木寛の「2020年への篤行録」第80回】

2020.05.07 Vol.web Original

 新型コロナウイルス感染拡大の長期化に伴い、学校の9月入学論が急浮上しています。安倍総理も4月29日の衆議院予算委員会で「前広に様々な選択肢を検討していきたい」と踏み込みました。

 9月入学への移行はすでにご承知のように、海外留学がしやすく、また逆に外国人留学生の受け入れもスムーズになるメリットは非常に大きいと思います。さまざまな価値観に刺激されることは重要です。

 知らない土地、違う文化、言葉の壁などで悪戦苦闘するもの。しかし、それが「財産」をもたらすのです。私の学生時代で一つ大きな後悔があるとすれば、長期留学をしなかったことです。留学未経験の私がそう言えるのは、社会に出て30歳になる前、ジェトロに出向し、オーストラリアでシドニー大学の研究員として1年駐在する機会がありました。

 当初は寮に1人住まいだったのですが、英語力向上も目的に、当時の日本では珍しかったシェアハウス形式の住居に引っ越しました。2人のルームメイトと過ごし、語学力はもちろん外国人との意思疎通できることの自信も培えました。この1年の経験は、役所、議員、大学教員と舞台を変えても世界各地のキーパーソンと直接やり取りできる武器をもたらしました。

 また、東大の前濱田総長の9月入学改革構想に協力し賛同していましたので、“バリバリの9月入学論者”と思われているようですが、両手をあげて賛成かといえば、いくつか意見があります。

 まず、私は、大学の議論と小中高の議論を分けるべきだと考えます。大学については、すでに大学の判断で9月入学にすることができるようになっています。慶應SFCは学部も大学院も、東大も公共政策大学院は、9月、4月どちらでも入学可能です。大学は、秋・春入学併用がいいと思いますし、大学が決めることです。高校の卒業時期とのずれですが、ギャップタームとして、有意義な時間になりますし、入試も、むしろ高校卒業後に行えばいいので、公立校長は喜ぶでしょうから、時期のずれは、全く問題ありません。

 小中高は、私がまず申し上げたいことは、素人考えの議論はやめて「小中高の校長に、意見を集約してもらいましょう。外野は、その議論をじっと見守りましょう」ということです。当然、校長たちには、保護者、児童・生徒、教職員の意見もよく取材してもらって決めてもらいます。もっといえば、こうしたときに校長たちが黙っているのは、どうかと思います。自分たちの現場なのですから、もっと、能動的・主体的に議論し発信してほしいと思います。

 これまでも、何度となく、秋入学は検討されてきましたが、便益とともに、新たな負担や混乱も生じます。そのトレード・オフを見極めて、判断してください。今年の導入であれ、来年になるにせよ、校長たちが新たな準備にエネルギーを注げるのか、現場でないとその実現可能性は判断できません。校長たちが出した判断ならば、どんな結論であっても、みんなで応援しましょう。

 今回、9月入学を、政治家や一部の首長たちが提起し、メディアが乗っかっているのは、論点ずらしであったり、視聴率狙いのネタづくりのような気がしてなりません。

 つまり、長らく教育にしっかり投資してこなかったツケがこの局面で回ってきていているのです。平成後半にやるべきだった改革をサボってきた責任をうやむやにする論点ずらしにしか、私には、見えないのです。

 すでに3月の一斉休校から2カ月以上が経過。連休明けには緊急事態宣言の1か月延長が正式決定される公算です。6月に事態が好転しているか予断を許さない中で、すでに小中学生の生活リズムの乱れの報告があり、学力低下への懸念が強まっています。

 頼みのオンライン学習も、文科省調査(4月16日)では、「双方向型のオンライン指導」ができている学校はわずか5%。教育委員会作成の動画活用(10%)、それ以外のデジタル学習(29%)を含めても半数に届いていません。OECDとハーバード大学が共同で緊急調査していますが、新型コロナになってからのオンライン授業の利用状況は先進国最低です。

 なぜ、そうなってしまったのでしょうか?教育の情報化だけに議論を絞れば、機器と通信環境については市町村長、オンライン学習を立上げ運営できる人財の確保と育成については国政と知事の責任です。これまで教育の情報化や教育人材の充実をサボってきた地域の首長や、教育予算確保に関心を示してこなかった政治家やメディアが、突然、9月入学に躍起になっているのは、どうも解せません。

 小中高の「9月入学」は、もちろん意味はあります、それだけに、遅れたオンライン学習導入の責任をごまかすための議論に、使われてなりません。真に子供たちの未来のための真摯な議論のなかで決めていってほしいものです。(東大・慶応大教授)

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