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“学校歴”社会から“超高学歴”社会にシフトせよ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第69回】

2019.06.10 Vol.719

 6月に入り、主要企業の新卒採用選考が本格化しています。ただ、もうこれは表向きのこと。実態はというと、人手不足による焦りから企業による優秀な学生の囲い込みは熾烈を極めており、就活シーズンは実質的に「終盤戦」です。

 3月に説明会、面接などの選考は6月に入ってから…という各社の横並びの慣行が続いてきましたが、いまや採用はグローバル化しています。大学生が留学をしない「内向き」も指摘される反面、意欲的な学生は卒業後の就職先も日系企業ではなく、若いうちから実力次第で大きな権限や高い報酬を得られる外資系企業をめざすようになっています。実際、東大の優秀な教え子たちを見ていても、その志向は年々強く感じるところです。

 ここにきて経団連の中西宏明会長が「終身雇用を続けるのは難しい」と発言し、新卒一括から通年での採用に変わる方向も見せはじめているのも、遅まきながら危機感が反映されてきたのだと思います。

 ところが日本の経営者、あるいは現場レベルでも、若い社員を育てる側の上司の人たちですら、まだまだ認識が変わっていないと思うことがあります。先月、毎日新聞の教育改革特集『令和のはじめに どう変わる教育』でロングインタビューを受け、そこでも申し上げましたが、そのひとつが「大学で学んだことなんて」という意識があることです。

 日本は学歴社会といわれていましたが、「本当に」そうなのでしょうか。理系人材の専門職は違いますが、文系人材の総合職採用について言えば、どこの大学を出たのか「学校歴」を気にはしても、本人が大学で何を学んできたのか「学歴」を軽視してきたのが全体的な傾向です。

 大学進学率でも見ても日本は5割強にまで増えましたが、それは国内だけの評価。世界的には、オーストラリアの9割をはじめ、他の先進国と比べても低すぎます。特に25歳以上の進学率は約2%と惨たんたるもので、社会に出た後の「学び直し」の環境が少なすぎることが、時代に即応した産業づくりに遅れをとった要因ではないでしょうか。

 かくいう私も学部卒のまま役所と政治家を経験しましたが、海外交渉で渡り合う相手方の政治家や高級官僚は、院卒が当たり前。博士号取得者も珍しくありませんでした。私個人は教授などの肩書きがあったので助かりましたが、官民とも「超高学歴」の人たちを相手に国際競争に身を投じ続けるのも限界でしょう。

 高校無償化や奨学金制度を充実し、政府もリカレント教育を推進するなど、この10年で学びの環境は整ってきました。あとは肝心の世の中の方が頭の切り替えをする段階です。(東大・慶応大教授)

令和で「昭和」を終わらせるためのカギは?【鈴木寛の「2020年への篤行録」第68回】

2019.05.13 Vol.718

 令和への改元は八ヶ岳で迎えました。東大教養学部の学藝饗宴ゼミの学生たちとの合宿。落ち着いた環境と、澄み切った空気が心身をリフレッシュし、学生たちと、藝術と学術を駆使して、新たな未来を提示する、ワークショップを行いました。

 一方、東京都内の連休中は、さながら“今年2度目のお正月”といったムードでしたが、お祭り気分にいつまでも浸れる余裕はありません。平成の30年間、昭和型の社会システムをアップデートしきれないまま迎えた新時代です。

 平成の初めと終盤の世界の時価総額ランキングが話題になりました。平成元年当時、世界の上位50社のうち日本企業は32社も入っていましたが、時が経ち、上位はGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アマゾン)をはじめとする米国勢が占め、中国勢が対抗馬に浮上。日本勢はトヨタ自動車が41位にランクインするのがやっとの「凋落」ぶりでした。

 デジタルエコノミーへの移行に日本企業が乗り遅れ、一方で、経済至上主義を超える新たな価値観の提示もはかばかしくない現実は、凡百の専門家に言い尽くされた通りです。今は、その理由を突き詰め、変えていくことの方が重要です。

 近年の政治報道で「岩盤規制」という言葉が注目されています。既得権者が既存のルールを固守し、新規参入による健全な競争やイノベーションの創出を阻害する有様を言い表しています。タクシー業界の影響力が強く、ウーバー等のライドシェアが先進国で唯一実現しないことがよく引き合いに出されます。

 ただ、「岩盤規制」は、国や経済界の視点で語られますが、消費者、生活者、就業者一人一人の「変わりたくない」マインドも意外に“岩盤化”しているのではないでしょうか。

 世界的にキャッシュレスが普及する中で、いまだ現金主義が幅を利かせています。若い人はスマホのキャッシュレスアプリを使っているという反論はあるでしょうが、その彼らも留学や海外勤務に後ろ向きでグローバル対応に不安を残します。

 このマインドの背景には、社会人になってからの学び直しの不足があると思います。新たな真理、概念、知識、手法を学べば、それらを使って世の中を変えてみたくなるはず。働き方改革で生まれる自由時間を学びの時間にしましょう。昭和期の成功体験に基づいた“岩盤マインド”を令和の早い時期に、どこまで払拭できるか。「新 学問のススメ」の成否に日本の命運がかかっています。

(東大・慶応大教授)

イチローの「革命」を日本社会は生かせたか?【鈴木寛の「2020年への篤行録」第67回】

2019.04.08 Vol.717

 4月1日に新しい元号が「令和」と発表され、平成の御世も残すところ半月余りとなりました。時代の区切りを示すニュースが続々と相次いでいますが、大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手の引退もまた日本人に平成の終わりを実感させる出来事になりました。

 気がつけばアメリカに移籍し、19年目を迎えていました。大リーグ活躍のハイライトとなるシーズン最多の262安打をマークしてからも15年が経ちます。いま大学生の教え子たちが物心つく頃には「大リーガー・イチロー」のイメージが定着していたわけですね。ただ、私個人は、兵庫生まれで阪神大震災の折に実家も被災したことから、オリックス時代のイチローさんに故郷が勇気付けられた時の記憶が強く残っています。

 スポーツはときの世相を反映し、アスリートの生き様に学ぶ方も多いでしょう。イチロー選手は若い頃から揺るがぬ信念を持っていました。有名な話ですが、プロ入り当初の指導者から独特の「振り子打法」を矯正するように指示されても従いませんでした。まだ平成に入ったばかりの頃、スポーツの現場は指導者の教えが絶対の時代です。一般社会ですら、学校で先生から習った通りに正解を導き出す「マニュアル型教育」が当たり前だったわけですから、昭和的なキャリア形成とは異なる「新しい日本人像」の萌芽を私は当時感じました。

ネットが社会を変えてきた平成日本【鈴木寛の「2020年への篤行録」第66回】

2019.03.11 Vol.716

 平成から新たな御代へ、2か月を切りました。さまざまなメディアで、平成の30年を振り返る特集や論考、出版がまさに「百花繚乱」と言ったこの頃です。

 この春に大学を卒業する4年生は1996年生まれ。日本社会にインターネットを普及させたヤフーの日本法人が設立されたのは、この年の1月。初代社長は米ヤフーとの合弁で出資したソフトバンクの孫さんが自ら務め、最初のオフィスは日本橋の蛎殻町にある17階建てビルの3階。4月に検索エンジンのサービスを開始し、最初の1か月間のアクセス数は30万ほどのページビュー(PV)だったそうです。

 それから20年余り、月間PV数は700億(!)。検索エンジンの王者として君臨し続けるメガベンチャーになろうとは、当時の世の中が気づかないほどひっそりとした創業期でした。いまの学生たちは、そんな歴史を知らずにスマホを当たり前に使っていますが、生まれた時には、もうヤフーがあった世代が社会人として活躍をしている事実に、時代が「一回り」した感慨を覚えます。(なお、現在のヤフージャパンの社長は、私が90年代に大学で教え始めた初期の教え子、川邊健太郎くんです。そんなご縁があったこともまた時の流れを感じさせます。)

 日本でヤフーが成功した大きな要因の一つとしては、ポータルサイトでのニュース配信というモデルを打ち立てたことでした。良くも悪くも、これにより、記事などのコンテンツを作る新聞などの伝統メディアから、ネット側に大きなパワーシフトが起こります。良くも悪くも、若い世代からニュースを読む習慣が革命的に変わってしまいました。

 消費者側のニーズが変われば企業広告も一変します。電通の分析では、成長が止まらないインターネット広告費は、2009年に新聞広告費を抜き去り、とうとう昨年は、地上波テレビの広告費にほぼ追いつくところまで伸びました。

 もちろん、限られたプレイヤーが寡占的にパイを分け合っていた新聞、テレビと異なり、ネットは非常に競争が激しく厳しい世界。2月には、カドカワの川上量生社長が退任し、傘下のドワンゴ社長に夏野剛さんが就任。体制変更の理由に、動画サービスの代表的存在だったニコニコ動画の不振などが挙げられています。

 しかし、ドワンゴは、私も助言してきた「N高」のような先進的な取り組みに挑み、新しい才能出現が注目され始めています。ネットから社会を変えていく試みは、ポスト平成も続いていきます。
(東大・慶応大教授)

「2020年以降に向けて」各界識者が指摘した課題とは?【BEYOND 2020 NEXT FORUM】

2019.03.08 Vol.716

【東京2020 参画プログラム】『BEYOND 2020 NEXT FORUM−日本を元気に! JAPAN MOVE UP!−』
2.26キックオフイベントリポート
オールジャパンで「日本の未来」を考えるプロジェクト始動!

「2020年以降の日本の活性化」をテーマに、世代や業界を越えて有識者らが集う『Beyond 2020 NEXT Forum−日本を元気に! JAPAN MOVE UP!−』プロジェクトがスタート。そのキックオフイベントが2月26日、都内にて行われ、各界のオピニオンリーダーや次世代を担う若手起業家らが集結。

世代、業界を越えてオピニオンが集結! 2020年とその先の日本をオールジャパンで考える【BEYOND 2020 NEXT FORUM】

2019.02.27 Vol.Web Original



「2020年以降の日本の活性化」をテーマに、世代や業界を越えて有識者らが集う『BEYOND 2020 NEXT FORUM-日本を元気に! JAPAN MOVE UP!-』キックオフイベントが26日、都内にて行われた。

 2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックのレガシーを生かし、2020年以降の日本を元気にしていくために何が必要なのかを軸に、若手起業家や業界のオピニオンリーダーらが枠組みを超えて、ダイバーシティやイノベーション、スタートアップ、エンターテインメントなどさまざまなテーマを語り合うプロジェクト。

LINE世代の苦手な電話がけを巡る議論【鈴木寛の「2020年への篤行録」第65回】

2019.02.11 Vol.715

 2月2日の日本経済新聞の夕刊一面トップはこんな見出しのニュースでした。

『「電話は苦手」な若手支援 検定や研修、職場で拡充 SNS世代、企業がイチから指導』

 内容は見出しからお察しのとおり。信用金庫の若手職員がここ数年、電話対応で、アポの時間を確認しきれなかったり、相手の社名を聞きそびれたりといったことが相次いだことから、記事では、新入社員が電話応対の技能検定を受験するように義務付けるようになったと紹介しています。

 検定の受験者は5年で4倍に増えているそうですが、若者たちがメールやSNSに慣れる余り、知らない人と電話をするのが苦手にしていることを背景に挙げています。この記事を読んで、とうとう企業の研修を強化するところまで来たかと言うのが実感です。

 検定の受験者が増えたこの5年は、私がまさに政治の世界から大学教員に復帰してからの時期と重なりますが、キャンパスに戻った直後から「異変」を感じました。ある用件で「電話をしろ」と学生に言うと「えっ?」と驚いた反応が返ってきたことに逆にこちらが驚きました。

「LINE世代」の学生たちは、無料通話で話ができるようになったのにも関わらず、電話をしないのです。教授や学外の人にアポを取る際に電話をかけることやお願いメールを書くことが随分とおっくうのようです。

 目上の人と電話で話せないから、敬語も上達しない。要件を的確に話す訓練もされていない。だから冒頭の信金職員のように相手の社名を聞きもらすのでしょう。企業が半ば強制的に検定試験を受けさせないと、電話で話す基礎的なスキルの身につかない時代になってしまったと思うと、ITの利便性の落とし穴を痛感します。対策として、私のゼミでは、初めて会った人、それも世代の違う方に自分やプロジェクトを紹介するふれこみで話す練習をさせています。

 この問題、私と異なる意見もあります。IT通でおなじみの中村伊知哉さんはツイッターで「若者は電話が苦手というのは、電話が不要なメディアになっていくということ。短期的には電話リテラシーを教えるとしても、長期的には電話レスの職場を作ることが必要になる」と指摘していました。

 確かに職場のIT化で不要不急の電話を嫌がる人も増えているでしょう。ただ電話くらいの会話力を鍛えないと、社会に出たとき、面と向かっての商談など交渉ごとを乗り切れるのか心配になってきます。
(東大・慶応大教授)

「普通科」高校という枠組みを作り直す【鈴木寛の「2020年への篤行録」第64回】

2019.01.14 Vol.714

 あけましておめでとうございます。平成も残り4か月、東京オリンピック・パラリンピックまで1年半、時代の節目を感じる年明けです。そんな中、高等教育も大きく変わろうとしています。1月4日の読売新聞で、政府・自民党が高校普通科の抜本改革に乗り出し、画一的なカリキュラムを柔軟に見直し、専門性の高い学科とするという動きを報じました。

大阪万博招致成功。その原動力になった大学生たち【鈴木寛の「2020年への篤行録」第63回】

2018.12.15 Vol.713

 11月23日にパリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会で、2025年の万博開催地に大阪が選ばれました。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを終えた後の景気後退が心配されていますが、日本国内で目標になるビッグイベントが新たに決まった意味は非常に大きいと思います。

 今回の万博招致の正式決定は2014年ですが、それ以前、オリパラの東京開催が決まった直後の2013年秋に、私たちは、阪大医学部長(当時)の澤芳樹教授、ロート製薬の山田邦雄会長、電通関西支社の服部一史支社長らと、大阪万博招致について同意し、具体的な検討を開始しました。
 我々は「INOCHI」というテーマで万博を行うという明確なビジョンをもっていました。夢を具現化するため、一般社団法人inochi未来プロジェクトを立ち上げ、澤先生が理事長に、私と理化学研究所の高橋政代先生、京都大学医学部長(当時)の上本伸二先生らが理事に就任し、電通関西が事務局を務めました。

 ロート製薬はじめ関西の財界の皆様にもご支援をいただきながら、地道に活動を続けてきました。当初より、私たちが重視していたのは、若者を主役にし、我々の世代は、徹底的にそのサポートに回っていくということでした。

 2015年にinochi学生・未来フォーラムを大阪大学医学部と京都大学医学部の学生が中心となって立ち上げ、突然死、認知症、自殺などの医療課題に関し、毎年、200名あまりの大学生・高校生・中学生が課題解決に向けてプランを競い合うコンテストを行うとともに、「若者たちが考える万博」について議論を始め、大阪府知事に対して提案を重ねてきました。さらに、WAKAZOというプロジェクトも立ち上げ、万博が招致された際には、若者自らWAKAZO館をプロデュースするという具体的な提案まで含まれていました。

 今年の6月にパリで行われたBIE総会には、こうした学生フォーラムを代表して川竹絢子(京都大学医学部5年生)さんが、ノーベル賞の京都大学の山中伸弥先生とともに、プレゼンテーションに登壇し、日本への支持拡大に大きく貢献しました。

 万博開催について冷めた見方をする人たちからは「いつまで高度成長時代の夢をみているのか」といったご意見が寄せられます。確かに万博だけを頼みにした景気対策は昭和的な発想です。

 しかし、重要なのは2020年オリパラと同じく、2025年万博を、新たな人類史・世界史創造のきっかけにしていくことと、それを日本が主導するということです。WAKAZO館プロジェクトに、東京はじめ日本中の若い世代の皆さんが、世界をあっと驚かせるような斬新なアイデアで提案してください。

(東大・慶応大教授)

東京の若者が限界集落に「疎開」するワケ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第62回】

2018.11.15 Vol.712

 群馬県の南牧村(なんもくむら)をご存知でしょうか? 人口1920人(今年2月末時点)、村民の6割超が65歳以上と高齢化日本一の自治体です。民間のシンクタンクに「日本でも最も消滅が近い村」と名指しもされました。

 この南牧村に2年ほど、私が主宰する「社会創発塾」のメンバーが豊かな自然に魅了されて拠点を構えています。今年は同志の若者たちと、都会の人たちと村の人たちとの交流場所にしようと、豊かな森の木の上に「ツリーハウス」づくりを進めてきました。

 企画を進めるにあたっては村と交渉し、山林の一部をお借りしました。木材も地元の製材所から提供いただきました。私も現地に行った際、作業を少し手伝いましたが、9月には約2メートルの樹上に土台部分のデッキ(25平方メートル)が完成。協力いただいた村の皆さんをお招きし、感謝祭も開きました。

 社会創発塾では、社会人向けの「すずかんゼミ」として、ソーシャルアクションを仕掛ける若者たちにどんどん現場に入り実践してもらっています。ただし、単に地方創生、村おこしのためだけではありません。より重要なのは、未来のライフスタイルの選択肢を増やすための「社会実験」です。

 南牧村は診療所がなくなって久しく、都会に住む人から見れば、確かに不便な「限界集落」です。しかし、豊かな生活を経済的な価値だけで量ることは、20世紀的な発想にとらわれ過ぎたものでしょう。OECDも近年は、生産資本、人的資本、自然資本、社会関係資本(人々の協調活動の活発化により社会の効率性が向上できるという考え方)が重要だと主張しています。地方は生産資本で東京には劣りますが、自然資本、社会関係資本においてむしろ優位になることもあります。

 南牧村にいる教え子の男子学生は、村のお年寄りに「孫」のように可愛がっていただき、毎日夕飯の誘いが来たり、お米や野菜などの食材もお土産で頂いたりして、東京で暮らしていたときよりも“豊かな”食生活を送ったそうです。彼は「一人暮らしなら、年収200万円で十分に生活でき、貯金もできる」と言います。

「血のつながっていない親戚づくり」「キャッシュミニマム生活」に加え、「何かあったときの疎開地づくり」という点でも実験の意義はあります。東京以外に拠点があれば、大災害や経済危機があっても個人が再起を期することができます。
(東大・慶応大教授)

沖縄の真の景気対策は学力底上げ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第61回】

2018.10.15 Vol.711

 沖縄県知事選が9月30日に投開票され、新知事に玉城デニーさんが初当選しました。基地問題に注目が集まりがちですが、どなたが翁長さんの後任になられたとしても、基地問題以外にも山積している沖縄特有の社会課題をどう解決していくか、その手腕が問われます。

 人づくりにこだわってきた私からすれば、沖縄でとくに取り組むべきは、子どもたちの学力問題です。全国の小学6年生と中学3年生を対象にした「全国学力テスト」で、沖縄の中3の正答率は、2007年の実施以来、全国最下位です。

 沖縄の自治体、教育関係者も決して無策だったわけではありません。この間、全国でトップクラスの秋田県との間で教員の人事交流を行い、学力底上げに向けた取り組みを参考にするなど、試行錯誤してきました。数学のA問題の正答率の全国平均との格差については、2007年当時より半分程度に縮まってきたようで、現場の地道な努力が少しずつですが、結果につながっています。

 なぜ、沖縄の子どもたちの学力はこれほど不振を極めているのでしょうか。まず、歴史的には、戦後30年近く米軍統治下に置かれたことで、教育や子どもたちの福祉が本土に比べて遅れをとってしまった構造的要因があります。

 さらに身近な理由としては、子どもたちの生活環境の問題。沖縄に県外から赴任した方からの指摘がよくありますが、「夜型社会」で、地縁・血縁が濃い沖縄では、深夜まで飲食店で仲間同士が家族ぐるみの付き合いをし、子どもたちも遅くまで一緒ということもしばしばです。そうした背景を裏付けるように、学力テストと同時に行う生活調査において、沖縄の子どもたちは、朝食を食べる比率が全国で下位に低迷。逆に秋田はこれが上位で相関関係が専門家から指摘されています。

 沖縄は学力と同時に平均所得も最下位です。さきごろ観光客の数がハワイを抜いたことが話題になりましたが、観光、IT、医療、福祉など、沖縄で期待される分野の業種は、語学やプログラミング、医療知識といったスキルの高い人材でないと就職が難しくなります。豊かさを手にするためには、やっぱり勉強が必要なのです。

 貧しい家庭の子どもにも、努力すれば道を開けるように支援するのは政治の役割ですが、子どもたちの生活環境の改善は、保護者、地域の大人たちの協力が絶対に不可欠です。ただ、これまでの習慣に流されそうなところで、「このままではいけない」と地域社会をまとめあげていくのは、リーダーの役割の一つでしょう。

(東大・慶応大教授)

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