政府は3月23日、「安定的な皇位継承策を議論する有識者会議」の初会合を首相官邸で開きました。会議の座長に清家篤・前慶應義塾長を互選で決定。次回以降、法律や歴史などの専門家からヒアリングを行うことを確認しました。皇位継承資格を女性皇族に広げるか、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」を認めるか、などが主な論点となるとされていますが、戦後に皇室を離れた旧宮家の男系男子孫が復帰する案の是非についても検討するとのことです。
そもそも上皇陛下のご譲位を実現した皇室典範特例法の付帯決議は、安定的な皇位継承などの検討をご譲位後「速やかに」行うよう政府に求めておりました。政府は、コロナ禍で延期された「立皇嗣の礼」が無事挙行されたことを受け、それまで有識者への非公式ヒヤリングを水面下で重ねてきましたが、ようやく正式な有識者会議の発足に踏み切ったのです。議論の結果は、上記付帯決議に基づき国会に報告されることになります。
そこで、今回から5回にわたり、安定的な皇位継承をどのように実現するかにつき、改めて私見を整理しておきたいと思います。とくに、令和2年11月8日、秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承順位第一位であることを内外に宣言する「立皇嗣の礼」が行われ、お子様である悠仁親王殿下へと皇位が継承されることが確定した今日、皇位継承問題は大きな節目を迎えました。
たしかに、悠仁親王殿下は14歳ですから、順調にご成長なされば、皇室はあと70年くらいは安泰といえます。しかし、その後の男子皇族が一人もおられない。2000年余「万世一系」の下に継承されてきた皇統の存続が危機に直面しているといっても過言ではありません。このような国家の根本に関わる問題について、今に生きる私たちが何とか道筋をつけなければならず、これ以上の先送りは許されないと考えます。
最大のポイントは、日本国憲法第2条に明記される「皇位は世襲である」こと、そして皇室典範第1条に定められた「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」こと。これが皇位継承の大原則です。私たちに課された責任は、この大原則を守るためにどのような道筋をつけることができるかということに他なりません。
明治の旧皇室典範を作る際、当時は英国式の「女帝論」が流行っていて、元老院でもそういった案が出ていたそうです。宮内省もそれに沿って研究していました。ところが、明治のスーパー官僚・井上毅が日本の歴史文書を渉猟した上で、「皇室継統ノ事ハ祖宗ノ大憲ノ在ルナリ。決シテ欧羅巴二模擬スヘキ二非ス」と断じて女帝容認を斥けました。「女帝」とは女系天皇のことであり、結局、井上を中心に「男系の男子」原則の皇室典範がまとめられ、戦後の現典範もそれを引き継いでいます。(つづく)
(衆議院議員 長島昭久)