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故アントニオ猪木さんの「元気ですかー?」も含まれた「しゃべるレジェンドプロレスラー」のスタンプが発売

2022.10.06 Vol.Web Original

 10月1日に逝去した元プロレスラーのアントニオ猪木さん(享年79歳)のボイスも含まれたLINEのボイス付きスタンプ「しゃべるレジェンドプロレスラー 第1弾」が10月6日、発売が開始された。

 これは日本のプロレス文化の伝承、その歴史を創ってきた先人やレジェンドの功績を後世に伝え、敬い、引退したプロレスラーの人生をサポートしていくことを目的として2020年に設立された「日本プロレス殿堂会」の賛同メンバーによるもの。

 猪木さんのほかにも故ジャイアント馬場さんの初となるLINEのボイス付きスタンプも収録。藤波辰爾、長州力、天龍源一郎といった顔ぶれも並び、往年のプロレスファンにはたまらない名シーンの名台詞もスタンプ化されている。

 今回のLINEスタンプの発売は日本プロレス殿堂会主催の大会「LEGACYⅡ」(10月10日、東京・後楽園ホール)に向けて約半年前から企画されていたもの。猪木さんのボイスについては「日本プロレス殿堂会発展のために活用してくれ」という思いのもと猪木さんが日本プロレス殿堂会設立当初に提供したものだという。

大仁田厚が旧ベルトを強奪し“真”アジア・タッグ王座新設をぶち上げる

2021.02.06 Vol.Web Original

「ジャイアント馬場バル」で渕正信とトークイベント

“邪道”大仁田厚が現在のアジア・タッグ王座とは一線を画した“真”アジア・タッグ王座の新設をぶち上げた。

 大仁田は2月5日、故馬場元子夫人の親族が経営する「ジャイアント馬場バル」(東京都港区新橋)で開催された「渕正信と大仁田厚の王道デンジャラスナイト in ジャイアント馬場バル」に出席。同期生の渕と昔話に花が咲き、互いの海外武者修行時代の話題では大いに盛り上がりを見せた。

 2人はAWA南部タッグ王座を戴冠するなどタッグチームとして活躍したが、大仁田個人は1982年3月に米ノースカロライナ州シャーロッテでチャボ・ゲレロ(故人)を破って、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取。メキシコに転戦して、サングレ・チカナと同王座を巡って抗争を繰り広げ、超売れっ子になった話を披露した。

1・5東京ドーム大会で引退のライガー「ジャイアント馬場さんと戦ってみたかった」

2019.12.26 Vol.Web Original

引退11日前に現役生活を振り返る

 来年1月4、5日に開催される新日本プロレスの「WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム 」(東京・東京ドーム)で引退するプロレスラーの獣神サンダー・ライガーが12月25日、都内でトークイベントを開催した。

 ライガーは今年3月に来年の東京ドーム大会での引退を表明。以降、引退ロードでは新日本プロレスはもちろん、さまざまな団体のリングに上がり多くの選手と対戦してきたが、この日、過去対戦経験がなく、一度対戦してみたかった選手として故ジャイアント馬場さんの名を挙げた。

 ライガーは「僕は猪木さんに教えを乞うていますが、馬場さんには馬場さんのプロレスの考え方があった。それについては全日本プロレスに上がった選手からいろいろ聞いている。なので、馬場さんのプロレスに対する考え方、馬場さんの教え方、そういうものを一度体験してみたかった。力道山先生亡き後、日本のプロレス界を支えたという意味で猪木さんと馬場さんはすごい人たちだと思うので、馬場さんの教えを受けたかったというのはあります」などと話した。

金田正一さん(日本唯一の400勝投手)【今月の“人”】

2019.10.13 Vol.723

 日本のプロ野球で歴代最多の400勝を挙げた金田正一さんが10月6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で死去。86歳だった。

 金田さんは1950年、高校3年の夏の甲子園の県予選敗退後に愛知・享栄商高(現享栄高)を中退し国鉄(現ヤクルト)に入団。8月デビューながら、この年、8勝を挙げた。そして2年目から14年連続20勝以上をマーク。1965年に「10年選手制度」(現在のFA制度の前身)で巨人に移籍。通算400勝を達成し、1969年シーズンでユニホームを脱いだ。

 その後、1973〜78年にロッテの監督を務め1974年にリーグ優勝と日本シリーズ制覇を達成。1990年から2シーズン再びロッテの指揮を取った。

 今でこそパ・リーグも多くの観客を集めるようになったが、金田さんがロッテの監督を務めていた当時はセ・リーグに人気の面では大きく水をあけられていた。

 そんな中、金田さんは試合前、必ずベンチ前に現れて「やったるでぇ〜」と叫んでお客さんを巻き込み球場を盛り上げ、時には乱闘も辞さない立ち回りで人気を博した。

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