“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第199回目は、ネタの作り方について、独自の梵鐘を鳴らす――。
お笑い芸人のネタの作り方はさまざまだよね、なんてことをあらためて思った今日この頃。
我が家の近くには、お弁当屋さんがある。とても美味しいのだけれど、揚げ物などは注文してから調理をするので、アジフライ弁当なんかを頼んだ日には、15分ぐらい店先で待たなければいけない。ある意味、至福の時間。
たまたまその日は、店内のテレビで『ぽかぽか』(フジテレビ系)が流れていて、アジフライがふっくらと揚がるまでの時間、僕はなんとなく番組を眺めていた。
ゲストとして登場したのはスキマスイッチのお二人だった。楽曲の作り方などについてトークをしていて、なんでもスキマスイッチさんは二人で曲を作ると話していた。お笑いでも、二人でネタを作ることがある。片方が大まかな設定を考え、それを二人であーでもないこーでもないと言いながら作り上げていく。二人で作ること自体は珍しくないだろうから、特に驚きはないかもしれない。
ところが、スキマスイッチさんは昔も今もずっと、今から手掛ける曲のテンポはどれくらいにしよう……などなど、相談しながら進め、歌詞も分担作業で作るという。正真正銘、二人でゼロから作っていくとテレビの中で明かしていた。お互いのアイデアがぶつかって、ともに譲れなくなったときはどちらも取り下げ、また新しいアイディアを考えるそうだ。
パチパチとアジフライが揚がる音を聞きながら、僕は呆気にとられていた。
音楽とお笑いを一緒くたに考えることはできないけど、お笑いではありえないような作り方をしているなって。めちゃくちゃ面白いことを思いついたけど、相方がそれを面白いと思わないのであれば、それを取り下げてまで新しいことを考える――これって、ものすごく信頼関係が成り立っていなければできないこと。
自分は、その思い付きを面白いと思っている。だけど、自分が信用している相方が面白くないと思うのであれば、きっと再考する余地があるのだろうと割り切れる。スキマスイッチさん、あなた方はなんてうらやましいコンビなんでしょうか。
僕たち平成ノブシコブシは、吉村が考えたアイデアを二人で一緒に練っていくという作り方をしていた。今となっては、僕らのネタを見たことがあるという人は絶滅危惧種だと思うけど、僕らもネタをしていたときがあったのだ。
ネタを作るとき、僕と吉村の感性はまったく違うから、最 終的に揉めて、第三者に決めてもらうことがほとんどだった。第三者に決めてもらっているのに、僕も吉村も心の中では納得していないままそのネタをやっていたから、スキマだらけ。僕らのネタは、なんちゃって合議制のもとで作られていたけど、裏を返せば、そうでもしないと着地することができなかったってこと。
想像している以上に、ネタは作り続けられない。衝突すれば、その分コンビに不協和音が増える。ネタ作りはリスクが大きい。そんな苦痛を伴うことを、ずっと続けることができるのは、ネタを作る才能があることに加え、相方を信頼しているからに他ならない。
芸人のネタの作り方って、本当に多種多様だと思う。
たとえば、同期のピースは、又吉くんも綾部もどちらもネタを作る能力に長けている。言わば、シンガーソングライター同士がコンビを結成したようなものだけど、ピースのネタの多くは、又吉くんがネタの骨格を考え、綾部が演技指導を施すといった役割分担があった。
ジェラードンは、まず面白い設定だけを考え、その後はフリー演技で作り上げていくと話していた。彼らのYouTubeなんて、まさにその真骨頂が表れている。
M-1を獲ったときのブラックマヨネーズさんのネタは、ラジオよろしく、実際に二人が掛け合いをする体で、一緒にネタを作り上げていったという。
天竺鼠は、川原にアイデアが降りてこない限り、ネタが完成することはないと言っていた。単独ライブの直前になっても降ってこなければ作れない、中世の作曲家みたいな作り方。瀬下のセリフが極端に少ないのは、直前まで何も決まらないことも珍しくないからだそうだ。
「お待たせしました。アジフライ弁当になります」
お目当ての一品を受け取ると、僕は帰路についた。いろいろな作り方がある。作られている最中は、なんだかんだで待ち遠しくて、至福の時間なのかもしれない。