“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第171回目は、ニッポンの社長について、独自の梵鐘を鳴らす――。
お笑いの世界には、「天才」がいる。俺が何億光年生きたとしても、まるで思いつかないようなことを、瞬時に作り上げてしまうバケモノのような存在。
たとえばニッポンの社長。どこからどう見ても天才のソレ。ことあるごとに俺は、「ニッポンの社長は面白い」なんて持ち上げ、彼らが作り出す世界観に感心していた。
少し前、俺とトレンディエンジェルのたかしがMCを務めるライブに、彼らが参加したことがあった。大阪に拠点を置く彼らだったが、以前から辻とケツとは話をする機会がそこそこあり、大阪の若手とほとんど接点を持たない俺にとって、彼らは妙な親近感を抱いてしまう気になる存在でもあった。
その日、二人とはあまり話す機会がなく、物足りなさを感じながらエンディングを迎えた。舞台から降り、帰ろうと踵を返すと、辻が俺を呼び止めた。
「すみませんでした」
そのライブは、『キングオブコント2022』が終了して間もない頃に行われたものだった。この年、彼らは暗転を多用するコントで挑んだものの、結果は最下位に沈む。天才に似つかわしくない順位だったと思う。
「徳井さんがあんなにほめて応援してくれていたのに、ふがいない結果で申し訳ないです」
そう辻は続けた。
彼の言葉を聞いて、自分の浅はかさに恥ずかしくなった。ずば抜けた才能がある人間に対して、プレッシャーになるようなことを知らず知らずのうちにしていたんだと思うと、こちらが彼に謝りたい気持ちでいっぱいになった。たった1ミリグラムでも重石になってしまっていたのだとしたら、なんてことをしてしまったんだろうと、後悔の念が押し寄せてきた。
今年4月に行われた『敗北からの芸人論 トークイベント vol.4 』、そのゲストにニッポンの社長が来てくれた。お互いに、あの日のことを覚えていた。「すみませんでした」。今度は俺が、二人に謝った。
あらためて彼らと話をしてみると、「余計なことは言うまい」と誓ったはずなのに、やっぱり天才コンビだな――なんて思ってしまうから、人間というのは都合の良い生き物だなと思う。
一見すると、ケツがギフテッドなキャラクターに見えてしまうけど、いやいやどうして辻の方が狂気に包まれていた。いや、ケツもおかしいんだけれども。
ケツは20代前半まで作曲をしていたそうだ。ところが、25歳を境にピタリと曲が浮かばなくなり、「枯れた」と苦笑していた。しきりに、「サザンオールスターズはすごいんです! 桑田佳祐さんはすごいんです」と訴えていたけれど、そんなことは日本国民のほぼ全員が思っていることであって、あらためて主張することでもないだろうと、俺は思った。
辻は辻で、ロングコートダディの堂前やマユリカの阪本らと『ジュースごくごく倶楽部』というバンドを組んでいる。ニッポンの社長は音楽的な側面も持つ……ということは、意外に知られていないかもしれない。
辻は、突然メロディが降りてくるらしく、思いつくとそのメロディーを録音し、その音源をもとに堂前たちに伝えて作曲するそうだ。ドラムの打ち方まで鮮明に刻まれているといい、完成された曲が頭の中に浮かぶ、と説明してくれた。
だからなのか、「ネタも台本がない」という。練習をしてしまうと飽きてしまうため、ぶっつけ本番でネタをしながら完成度を高めていくと教えてくれた。ケツは、辻が頭に描いている完成系に、本番の中で近づけ、舞台を降りると「あそこはちゃうなぁ」と辻からディレクションが入ると笑っていた。本番の最中に、調律と限界突破を同時にこなす。映画『セッション』みたいなことを、辻とケツはしているということになる。なんだ、やっぱり天才じゃないか、この二人。
この春から、ニッポンの社長は東京に進出した。彼らに加え、ロングコートダディ、紅しょうが、マユリカ、シカゴ実業、マルセイユ……大阪漫才劇場の第一線で活躍してきた錚々たるメンバーが、大挙、進出してきた。
辻は、トークイベント vol.4 でその理由を教えてくれた。
「僕らは漫劇の中で一番上にいますけど、下の勢いがすごすぎる。あと3~ 4年はいけると思っていたんですけど、このままだと賞味期限が1 ~2年に早まってしまう。下から突き上げられて、大阪で仕事がなくなって東京に出てきたと思われたくなかった。東京に進出するなら今年しかないと思ったんです」
大阪には、一体どれだけ天才がひしめいているんだろう。と同時に、そういうことをさらっと隣の兄ちゃんみたいなテンションで話してくれるニッポンの社長に、やっぱり俺は夢を見てしまう。
※「徳井健太の菩薩目線」は毎月10・20・30日の更新です