SearchSearch

“邪道”大仁田厚がHERO4・27新木場に参戦し“ミスター聾プロレス”友龍と8年ぶりの友情タッグ結成へ

2024.02.25 Vol.Web Original

 聴覚障害レスラーも所属するバリアフリープロレスHEROが2月24日、東京・新木場1stRINGで「HERO39」を開催し、次回大会(4月27日、新木場)に“邪道”大仁田厚が参戦することが発表された。大仁田は“ミスター聾プロレス”と称される友龍と友情タッグを結成することが濃厚だ。

 同団体は新日本プロレス黎明期に練習生として在籍しながらも、耳にハンデがあるため、デビューがかなわなかったヤミキさん(故人)が設立し、聾レスラーが戦う場として、2010年2月20日に新木場で旗揚げ。新日本でデビューできなかったヤミキさんは、HEROで念願のプロレスラーになる夢を果たし、友龍も旗揚げに参加した。

 当初、同団体は“聴覚障害者と健常者の架け橋”になるようなプロレスイベントを標榜した。だが、2016年春にヤミキさんが急逝したことを契機に「バリアフリープロレスHERO」に名を改め、健常者のプロレスラーも所属。これに伴い、聴覚障害者に限らず、視覚障害者や車イスでの生活を余儀なくされている人を始め、一般のプロレスファン、プロレスを見たことがない人など、幅広く誰もが楽しめるイベント運営に転換。

 聴覚障害者のため、受付やリング4方向に手話通訳を配置し、リング上でのあいさつやマイクアピールなどを手話で説明。会場内には大型スクリーンを設置し、字幕をつけ、映像での演出に力を入れ、視覚障害者向けとして、無料でラジオを貸与し、実況・解説を流している。車イスの人へは、バリアフリーに対応した会場でのイベント開催を行うなど工夫を凝らしている。数あるプロレス団体のなかで、障害者が気軽に楽しめるような配慮をしているプロレス団体は唯一無二だろう。

 そのHEROに大仁田は2016年11月5日、新木場での「ヤミキ追悼興行」に初参戦した。当時の同団体はヒールユニット・ワイルド軍が猛威を振るい、HERO本体から運営権を強奪し「WILD HERO」として開催されていた。その窮地に大仁田に憧れていた友龍が助っ人を要請し、かねてパラスポーツを応援している大仁田が快諾。大仁田は友龍らと組んで、ワイルド軍を制し、運営権を奪還。長年にわたって抗争を繰り広げてきた正規軍とワイルド軍の間に入り、和解させた経緯がある。

 今回、大仁田が参戦する4・27新木場大会はヤミキさん、大仁田の愛弟子ワイルド・セブンさん、ワイルド・シューターさんの追悼大会になり、大仁田にとっては感慨深い8年ぶりの出場となりそうだ。

 友龍が大仁田とのタッグ再結成を熱望しており、2人が組むのは確実で、試合形式は有刺鉄線デスマッチになる予定だ。

ダークソウルがリッキー&笹村にリングアウト負けも規定によりWBCタッグ王座V3。「タイトル戦終わって、ベルト持ってるのが勝者だ!」【HERO】

2022.07.31 Vol.Web Original

 バリアフリープロレスHEROが7月30日、東京・新木場1stRINGで「HERO32」を開催。メインイベントではWBC(ワールド・バリアフリー・チャンピオンシップ)タッグ王者組のダークソウル(加藤茂郎、千葉智紹)が2AWのミクスドコンビの挑戦者(リッキー・フジ、笹村あやめ)にリングアウト負けを喫するも、タイトルマッチ規定により王座は移動せず。ダークソウルは3度目の防衛となり、同王座史上最多防衛記録を樹立した。

 WBCは年齢、国籍、性別、障害のあるなしなど、あらゆるバリアを取り払ったタイトルで、これまでに聾レスラーの友龍がベルトを巻いたこともある。今回、同選手権史上初めて女子の笹村が王座に挑むことになり、女子で初のベルト戴冠を目指した。

障害者でも楽しめる「バリアフリープロレスHERO」が旗揚げ11周年。記念大会で聾レスラーのエース・友龍が奮闘

2021.02.22 Vol.Web Original

2010年に聾レスラーが戦う場として旗揚げ

「バリアフリープロレスHERO」(主催=NPO法人バリアフリーエンターテイメントサポート、協力=GPSプロモーション株式会社)が2月20日、東京・新木場1stRINGで「HERO.27~旗揚げ11周年記念大会」を開催した。

「HERO」は、新日本プロレス創成期に練習生として在籍し、故ミスター・ポーゴさんやグラン浜田と同期生だった聾者の故ヤミキさんが中心となって設立し、聾レスラーが戦う場として、2010年2月20日に新木場で旗揚げした。故ヤミキさんは耳にハンディがあるため、新日本でのデビューはかなわなかったが、「HERO」でプロレスラーになる夢を果たした。

 当初、同団体は“聴覚障害者と健常者の架け橋”になるようなプロレスイベントを目指した。だが、2016年春にヤミキさんが死去したことをきっかけに、同年8月に「バリアフリープロレスHERO」に改称した。これを機に聴覚障害者に限らず、視覚障害者や車イスでの生活を余儀なくされている人を始め、一般のプロレスファン、プロレスを見たことがない人など、幅広く誰もが楽しめるイベント運営に転換した。

Copyrighted Image