“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第 122 回目は、『バンクシーって誰? 展』について、独自の梵鐘を鳴らす――。
「おいおい、マジかよ」
寺田倉庫 G1ビルで開催されていた『バンクシーって誰? 展』で、何度もそうつぶやいた。
同展は、2021年8月21日~2021年12月5日まで行われ、俺は最終日直前にようやく足を運ぶことができた。バンクシーの作品群を、再現展示することで、あたかもその作品が存在する現地にいる――かのように没入できるとあって、楽しみにしていた。
事前にチケットを購入し、天王洲アイル駅を降りると、なにやら行列ができている。「チケットをお持ちではない方」的な行列らしく、100人以上が列をなしている。たしかに今日は、最終日の土日。駆け込みでバンクシーを見たい人が黒山の人だかりになっていても不思議じゃない。あらかじめチケットを買っといて、我ながら大正解だった。
列を遠目に眺めながら倉庫につくと、ちょっとした広場にも行列ができている。先ほどの直線の列とは違い、アトラクションの乗車待ちのようなウネウネの列だ。「入るまでこんなに並んでいるのか」。一瞬躊躇したものの、今日を逃せばいま手に握りしめている入場券は紙切れになってしまう。
「仕方ないか」、そう割り切った俺は最後尾へと歩を進め、一時間くらい並ぶことを決意した。なかなか進まず、非生産的な時間を過ごす。入場規制を出すなり、時間指定で区切るなりすれば良かったような気がするのに。以前訪れたバンクシー展は、そんな対応だったことを思い出しながら、ひたすら待ち続けた。
牛歩とはいえ、とらえようによっては、着実に進んでいるわけで、入り口が近づいてくる。ウネウネとした大腸の中を進む消化物のような気分で、外の世界を目指す。死角となり、今まで見えなかったスペースへと入ると、エレベータが見えた。これを降りれば入場ゲート。
「やっとついた。ようやく見ることができる」
はずだった――。エレベータへの動線は湾曲していて、その脇をすり抜けるように列は迂回していた。ざっと見たところ、今まで並んでいた大腸の5倍ほどの人影が連なっている。人の大腸から、牛の大腸へ。第二ステージの始まりだ。
絶望した。
あと一体、どれくらい並べばいいんだろう。もう帰りたい。でも、1時間並んでしまっている以上、ここで引き返すのは癪にさわる。ギャンブルと同じ。すでにパチンコに1万円をつぎ込んでいる手前、もとを取り返そうと、さらに金は消えていく。これをあぶく銭という。
金融用語で、すでに投資した事業から撤退しても回収できないコストのことを「サンクコスト」というらしい。埋没費用だとわかっていながらも、無駄にはしたくないからと、またつぎ込む。そうして俺は、列という名の投入口に吸い込まれた。
列の動線に、クイズやトリビアを紹介することはできなかったんだろうか。相手は、あのバンクシーだ。バンクシーにまつわることを散りばめたりすれば、もう少しこの苦行を楽にさせることもできただろうに。重たい時間だけが過ぎていく。周りを見ると、みなスマホを取り出し、下を向いている。
ついに、子どもが泣き出した。それを睨む、後続の群衆。三時間が過ぎ去ろうとした頃、ふと思った。
「これは現代アートなんじゃないか」
誰もが疑うようなイカれた列を作り出すように――そんな皮肉めいた指示が、きっとバンクシーから送られているに違いない。これはバンクシーによる意図的な「行列」という名の作品で、俺たち来場者は彼の一部になっているんだ。
そう思い込むようにした。じゃないと、説明が付かない。あの当日券を求めて並んでいる人は、この事実を知らない。何の表示もなかった。当日券の列の後に、こんな諧謔的な光景が広がっているなんて夢にも思わないだろう。
バンクシーは、お金や資本主義を真っ向から皮肉っている。落札直後にシュレッダーで裁断された絵は、最たる例だ。結果、その絵は新たな箔が付き、約25億円で落札されたという。きっとバンクシーは、お金の価値なんてそんなもんだよなんて笑っているに違いない。
並ぶことに神経がマヒしてしまった来場者は、展示を前にしても、規則正しく並び続けていた。自由に見てもいいはずなのに、列がある方へと向かっていく。バンクシーは、たった三時間で洗脳装置を作り上げた。きっと寺田倉庫のどこかで、列という列を見て、ほくそ笑んでいるんだ。