せっかく短い人生なんだから、やりたいことがあるならやったほうがいいと思うんです。
僕は今、髪の毛を半分金色にして、半分黒色にしている。奇抜な髪型なので、「徳井さんはどうしてその髪型にしているんですか?」とたびたび聞かれる。だけど、実はまったく理由はなくて、なんとなく半分半分にしているに過ぎない。むしろその質問を聞かれるたびに、「ホントは自分はどんな髪型にしたいんだろう?」と考える。
ミスフィッツ(The Misfits)という、アメリカのハードコア・パンク、オルタナティブ・ロックのバンドがいる。彼らのトレードマークの一つに、Devilock(デビロック)と呼ばれる、髪の毛の真ん中だけを異常に長く垂らした風貌がある。
真ん中だけ異常に長いという髪型は、ダサいを通り越し、カッコいいをも追い越して、もう不気味の境地にたどり着いている。でも、なんだかそれが妙にいい。高校時代、自分の青春を直撃したバンドということもあって、僕がホントにやってみたい髪型はミスフィッツなんだということに、半年前に気が付いた。
実はそれ以降、ずっと真ん中の髪の毛だけを伸ばしている。
行きつけの美容室へ行くと、真ん中だけは切らないように必ずお願いする。初めてお願いしたとき、「ミスフィッツみたいにしたいので」と伝えてみたものの、僕よりぜんぜん若いだろう美容師さんはまるでピンときていない。そこで、「真ん中の部分だけを長髪にして、ゆくゆくはへそまで届くくらいにしたい」と伝え直すと、美容師さんの顔はいっそう怪訝なものになっていた。
いま、美容師さんは、生まれてこのかた、体験したことのない髪型に付き合わされている。だからなのか、いつもビクビクしながら、僕の髪の毛を切る。両サイドはどれくらい切っていいのか分からなさそうにしているし、切らないとはいえ真ん中をすくこともしない。ミスフィッツという共通言語を持っていない状態で、髪型をセッティングするのだから、目隠しをされた状態で車の運転をしろと言っているようなものかもしれない。おまけに、「へそまで伸ばす」なんて狂気染みたことを宣言されたからだろうか、僕の頭を盆栽となにかと勘違いしているのかと思うくらい慎重に切る。横の髪の毛を少しだけすく程度だから、美容室へ行ったのにぱっと見は何一つ変わらない。あまりにも変わっていないから、先日は奥さんから、「全然変わってないじゃん。髪の毛を切りに行っているのはウソで、本当は遊びに行ってるんじゃないの?」と容疑をかけられる始末だった。
髪の毛が徐々に伸びてくると愛着がわいてきて、「早く伸びないかなぁ」なんて気持ちになってくる。これは44年生きてきて、初めて芽生えた感情だったし、発見だった。何かを育てると愛着がわくけど、自分の髪に対してもそう思うなんて意外。
「枝毛になってきている」みたいな髪の毛の心配も、これまでだったら「何を言っているんだろう」って思っていたけど、今は痛いほど分かる。僕も、この真ん中の髪の毛たちとへその長さに届くまで付き合うことになるから、毛先が痛もうものなら発狂してしまうかもしれない。コンディショナーは何を選ぼうかなとか、リンスは欠かせないとか、伸ばせば伸ばすほど、こだわりも深くなっていく。不思議な感覚。
ロングヘアの女性を見ると、ものすごく手入れをしているんだろうなと思うようになった。それだけ時間と手間をかけてロングにしていた人が、仮にバッサリと髪を切ったとしても、「思い切ったね~」なんて声はかけられないよなって。育ててみると分かるけど、そのバッサリは想像をはるかに超えるほどの気持ちの変化。他人がとやかく言えるようなことではないのだと反省した。
長い髪の毛は、麺類を食べるときは邪魔になるだろうし、夏場は熱をためやすくストレスになりかねない。それでも、大切に状態をキープして、その長さであり続けることにこだわりを持っている。1か月で1センチしか伸びないものを腰の長さまで伸ばす。よくよく考えればすごいこと。実際にやってみないと共感できないことってたくさんある。髪を伸ばし始めてよかったなと思う。
僕は、お笑い芸人だから好きな髪型にすることができる。規則が厳しくないような職場にいるなら、好きな髪型に、好きなカラーにするだけで満足感が向上するんだから、ぜひ試してみてほしいです。ゴールであるへそまでは、はるか先。だけど、その間ずっと楽しみが続くと思うと、早く伸びてほしいようなほしくないような。50代のいい歳をしたおじさんが、髪の毛の真ん中だけをバッサリと垂れ下げて写真に写る。想像するだけで楽しみは増えるんです。