“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第222回目は、チャンスの考え方について、独自の梵鐘を鳴らす――。
品川庄司の庄司さんが、こんなことを話していた。
「自分に打席が回ってくるとき。前のバッターがアウトだった場合、自分のハードルは上がるけれど、その分、目立つことができるかもしれない――。でも、これは普通の考え方で、『前のバッターがホームランを打つ。そして、次の打席の自分も連続してホームランを打つ。そうすれば、もっと目立てる』。これが本当のスターだよ」
先日、ボートレース浜名湖で、元読売ジャイアンツの元木大介さんと2人きりで生配信をする仕事をした。予想をしながら、合間にトークもする。その中で、「ボート以外の話もたくさんしてほしい」とスタッフさんから言われていた僕は、庄司さんの言葉を元木さんにぶつけてみることにした。
すると元木さんは、「そりゃそうだよ。だって、コスパ良くない?」と答えた。元木さんの考えを要約すると、次のようなことになる。
例えば、同点で迎えた9回裏ツーアウトで走者がいないとき。ヒットを打っても、スポーツニュースで取り上げられることはない。一方、同じ状況で満塁だった場合、ヒットを打てば必ずスポーツニュースで使われる。ヒット一本の意味は変わらないのに、テレビに映るか映らないかといった視点で考えると、同じ一本でもコスパはまったく違うものになる。
「さすがスターだな」と僕はうなった。たしかに、1985年の阪神タイガースバックスクリーン三連発は、バース、掛布、岡田が三者連続でホームランを打ったから、伝説的な映像として繰り返し流れる。仮に、違う回にそれぞれがホームランを打っていたら、すべてのホームランが取り上げられていたかどうかは分からない。同じホームランなのに、立て続けにバックスクリーンに打ち込んだから今も語り継がれる。
ということは――。映像的な視点に立ったとき、甲子園の最後のバッターは、必ずしも悲観するものではないのかもしれないと思った。もちろん、最後の打者は悔しいに決まっている。でも、負けたチーム全員が悔しい。その中で、唯一、テレビを見ている人に分かりやすく悔しさを伝えられるのも、最後のバッターだけなんだ。同じアウトでも、結果として特別なアウトになっている。
元木さんは、プロ野球は実力がある者だけが集まって、なおかつ運まで持っているような天才ばかりが集まっている世界だと話していた。強い人間しか生き残ることができないとも付言していた。
甲子園の決勝の舞台で、松坂大輔がノーヒットノーランを成し遂げたとき、「松坂しか映ってないよね」と元木さんは言う。一方、田中将大と斎藤佑樹が投げ合った決勝は、最後、三振を奪った斎藤佑樹も、切って取られた田中将大も映っていたと続ける。これは、双方ともにそれだけの実力があるから映像として切り取られた……つまり、2人がプロ野球の世界に来たことは必然的なことだよね、そう元木さんは教えてくれた。
お笑いもすごく似ているところがある。同じようにウケた笑いでも、映像で使われる笑いと、使われない笑いでは、雲泥の差がある。映像で使われるような笑いを繰り出せる人は、生き残れるだけの強さを持っている芸人だ。
それだけじゃない。「コスパが良い」という元木さんの発想は、そっくりそのまま僕たち芸人にも当てはまる。自分がカメラに抜かれたときに会心の一撃を放てる人は、少ない燃費で高いリターンを得るわけだから、周りの人間を圧倒する。面白い人間ばかりが集まっているお笑いの世界でも、スターは一等星くらい分かりやすく輝いている。
芸人の世界で、「チャンスに強い」というのはどういうことなんだろう。
改めて考えてみると、僕個人は芸人にとってチャンスはピンチだし、ピンチはチャンスだと思っている。逆説的かもしれないけれど、ピンチの有無がチャンスの有無になることに鑑みれば、チャンスに弱い人というのは、ピンチをピンチのままにしてしまう人なんだろうなと思う。「ここで打てなかったらどうしよう」ではなくて、「ここで打ったらヒーローだよな」というマインドを持っている方がやっぱり強い。そういう人がチャンスをものにするし、前の打席の人も打ってくれるんだろうな。