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K-1戦士がスタイリッシュな勝負服で登場

2017.03.16 Vol.686

 ちょいワルオヤジブームの生みの親、男性ファッション誌「LEON」とK-1がコラボレーションしたイベント「K-1 Night」(Lounge LEON)が15日、都内の会場で開催された。同イベントは“第3水曜日の夜に楽しい夜を過ごしたい”という「LEON」が開催している大人の男女参加型イベント「Lounge LEON」に、K-1ファイターが登場するというもの。武尊、卜部弘嵩、卜部功也、城戸康裕、木村“フィリップ”ミノルらが登場し、会場を盛り上げた。
 それぞれ自身の勝負服で登場した選手は、照れながらもポージングを決め、「ちょっと大人なパーティーピーポー」(武尊)、「ワントーンで大人っぽく」(功也)、「よく見ると虎と龍が施されている。全身Gucciでまとめました」(木村)、「同色でブリティッシュに」(弘嵩)、「一番のおしゃれは洋服を着てること」(城戸)と、それぞれのスタイルについてコンセプトを披露。その後トークショーが行われたのだが、やはりトークでは城戸の独壇場。夜の(?)勝負パンツについて聞かれると、「黒」(功也、木村)、「赤」(武尊、弘嵩)と皆が真面目に答える中、城戸は「試合の時の勝負パンツは動きやすいもの。夜の勝負パンツは脱ぎやすいもの」と回答。これには選手たちも苦笑いだった。

 トークショー後は、いつものコスチューム姿で再登場し、代表して武尊が本気のミット打ちを披露。迫力のあるミット打ちと蹴りでの連打に来場者からは、歓声とともに拍手が起こった。

 そして話題は今後の目標について。「全試合KO勝ち」(武尊)、「先日の試合に負けて、人生的にドン底。でもこれから復活して、KO連発してチャンピオンまでいきたい」(木村)、「初代ライト級王座決定トーナメントで負けてしまったが、またタイトル戦線に戻れるようにしたい」(功也)、「2月にタイトルを失ったが、もう一度世界ナンバーワンになるために頑張っていきたい」(弘嵩)、「-70kg(スーパー・ウェルター級)の奴らは強くて強くて『何でコイツら呼んで来たんだ!』という選手が多いが、ちょっと楽しみにしていてください」(城戸)とそれぞれが決意表明。

 最後は選手のサイン入りポスター争奪戦のじゃんけん大会が行われ、ファンとの交流を楽しんだ。
 今年も彼らファイターたちの熱い試合を期待して、「K-1 Nigt」は終了した。

格闘家イケメンファイル Vol.5 龍魂伝承 卜部 弘嵩(うらべ ひろたか)

2014.08.04 Vol.623

 1つ違いの弟・卜部功也もキックボクサーという最強兄弟の兄・弘嵩。弟に背中を見せながら、ともに格闘家の道を歩んできた。

「小学1年生の時に空手を始めたのが、格闘技との出会いです。弟も1年後に始めましたが、僕はやりたくてやっていたけど、弟は親に言われて付き添いみたいな感じでしたね(笑)。性格的には気が強くてあまりべらべら喋らないタイプ。弟はおしゃべりなので、性格的には結構正反対ですね」

 自然な流れでプロの格闘家へ。

「空手はずっと続けていて、高校生になった時には新空手というアマチュアの日本で一番大きなグローブ空手の大会に出場しました。そしてその大会で、17歳の時に優勝したことがきっかけでデビューの話をもらい、18歳、高校3年生の時にプロになりました。デビュー戦はKO勝ち。3回ダウンをとったら勝ちなんですけど、最初はパンチで2回ダウンをとって、最後はハイキックでダウンをとりKO勝ち。もちろん勝った時はうれしかったし、その時に格闘家としてやっていこうとはっきり決めた気がします。蹴り、特にハイキックは得意なので、それで倒すことも多いです。KOのうち3分の1ぐらいはハイキックで倒しているんじゃないかな」

 鮮烈なデビューを飾り、3年後にはチャンピオンに。

「チャンピオンになったのは21歳ですね。Krush初代王座決定トーナメント〜Triple Final Round〜という大会で、Krush−60kg級初代王者になりました。なった途端、状況が一変して戸惑いました。すごく注目された分、周りが期待するので、プレッシャーがすごい。だから当時は結構悩みました。ただ勝つだけで防衛するならできたと思いますが、Krushという団体のチャンピオンで、メインイベントをつとめることが多い立場だったので、常にKO勝ちを目指してやらなきゃいけなかった。ポイントだけとって逃げて勝つこともできますが、それじゃダメ。チャンピオンらしい戦い、いつでもKOで倒しにいくという姿勢ですね。例えば1ラウンドでダウンをとっても最後までKOを狙っていかなきゃいけない。そこに葛藤といいますか、逃げ道がない感じがあった。でもずっとそういうふうにやってきたことで、精神的にはすごく成長できたと思います。弟に相談? しません。弟はチャンピオンじゃなかったし(笑)」

格闘家イケメンファイル Vol.4 アンタッチャブル 卜部 功也

2014.07.20 Vol.622

 実兄・卜部弘嵩もキックボクサーとして活躍。兄の後を追って、自然と格闘家になったというお兄ちゃんに頭の上がらない弟の素顔は?

「兄とは年子なんですが、小学校1年の時に兄が空手を始めて、僕はその1年後に同じく小学校1年生で空手を始めました。1年生になったら空手を習わせるっていう親の方針で。兄は子どものころからあまりべらべら喋るタイプではありませんでしたが、僕は基本的におしゃべりです(笑)。典型的な長男と次男。自分自身は多分格闘家向きじゃない性格だと思う。気も強くないし、普段から熱くなったり、怒ったりしないので。お兄ちゃんには頭が上がらないというか、兄は“兄です”って感じです(笑)」

 先にプロになった兄に続き、格闘家としてデビューを果たす。

「デビューは2009年ですから、19歳の時です。小学校の時に兄と空手をやって、そのあと兄がグローブ空手をやるようになり、僕ももちろんついて行きました(笑)。そのあと、僕はK-1甲子園に行き、1年間そこでやっていた。試合はずっと勝っていたんですけど、最終的に決勝でHIROYA君に負けて準優勝だったんです。でもそのまま兄が所属する団体からオファーが来て、プロデビューが決まりました。K-1甲子園はテレビでも放送されていたので、放送の翌日は多少声をかけられることもありましたけど、それはまあ…恥ずかしかったです(笑)」

 そしていよいよチャンピオンになるのだが…。

「チャンピオンには、22歳の時にユースという若手のトーナメントでチャンピオンになって、23歳でISKAという世界チャンピオンのトーナメントがあり、そこでチャンピオンになりました。実は僕、それを取るまでにK-1甲子園とアマチュアを合わせて4回トーナメントに出ていたんですけど、ずっと準優勝だったんです。だからベルトを取るまではすごく辛かったですね。なんで俺は最後に取れないんだ…って。対戦相手も違って、必ず決勝までは行くのに、どうしても勝てない。その時は精神的に悩みました。そういう選手もいるんですよ。強いし、うまいんだけど、どうしても1番にはなれない。自分はもしからしたら、そういう選手なんじゃないか、一番にはなれない選手なんじゃないかって、悶々としていました。そして最後、4回目にトーナメントに出たときに、KO負けしたんです。ずっと判定で負けていたのに、最後はKO負け。その時に、自分は何をやっているんだろうと思って。これはもう、プライベートから何から全部変えなきゃいけないと思い、お酒や遊びはもちろん、いろんなものを捨てて、練習漬けの生活にしました。そこで、ちゃんと格闘技にのめり込めたし、自分を変えられたと思います」

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