1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストで「平成の三四郎」と称された古賀稔彦さんが3月24日、川崎市の自宅でがんのため死去した。53歳だった。
古賀さんは1988年のソウルでオリンピック初出場を果たしたものの、3回戦で敗退。1992年のバルセロナ五輪では直前の練習中に左ヒザを負傷。出場できる状態ではなかったものの、痛み止めを打ちながら不屈の闘志で勝ち上がり、金メダルを獲得。見る者に大きな感動を与えた。1996年のアトランタ五輪では銀メダルに終わり、2000年に現役を引退した。
1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストで「平成の三四郎」と称された古賀稔彦さんが3月24日、川崎市の自宅でがんのため死去した。53歳だった。
古賀さんは1988年のソウルでオリンピック初出場を果たしたものの、3回戦で敗退。1992年のバルセロナ五輪では直前の練習中に左ヒザを負傷。出場できる状態ではなかったものの、痛み止めを打ちながら不屈の闘志で勝ち上がり、金メダルを獲得。見る者に大きな感動を与えた。1996年のアトランタ五輪では銀メダルに終わり、2000年に現役を引退した。
東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長が、この日、訃報が届けられたバルセロナオリンピック、柔道の金メダリストの古賀稔彦さん(享年53歳)との思い出を語った。
橋本会長はこの日、翌日に控えた聖火リレーに関する会見に臨み、その中で「先ほどその訃報を聞きまして、ちょっと体が震えました。ソウル、バルセロナ、アトランタ、この3大会は古賀さんと一緒に出場させていただいた。特にバルセロナではケガをした状態で金メダルを獲った。あの瞬間はいまだに忘れられませんし、足をひきずりながら選手村のダイニングでお会いした時も、ものすごい強い気持ちで決勝に向かっていかれ、すごい強い人だなと思ったのが印象的だった」とバルセロナ五輪での古賀さんの様子を語った。
そして「もうひとつは谷本歩実さんが金メダルを取って、古賀さんの胸に飛び込んだシーンはアスリートの誰もが憧れるシーンだったのではないかと思っている。現役から素晴らしい選手だったが、その後の後進の指導に対しても大変情熱を注いでくださっていた姿を見て、こういった方々が次の世代のスポーツ界を引っ張っていただけるのかなと思っていたので残念でなりません。心からご冥福をお祈り差し上げたいと思います」と故人をしのんだ。
橋本会長は1988年ソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタと3大会連続で自転車競技で五輪に出場していた。