“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第95回目は、魔界のような喫茶店について、独自の梵鐘を鳴らす――。
変な喫茶店だった。
新宿区。純喫茶といえば、純喫茶なのかもしれない。表には、「昔懐かしのナポリタン」なんて掲げられていた。でも、インベーダーゲームはない。
中に入ると、ビー・バップ・ハイスクールに登場する不良たちがたむろしていてもおかしくないような空間。テーブルも低ければ、イスも低い。サイフォン がコポコポと心地よい音を奏で、豆を挽いてから作り出す本格派の喫茶店の匂いも漂う。純喫茶なのか。
老夫婦が営む。一つだけ言えるのは、令和の時代にまだこんな喫茶店があったのかということだった。
ただ、なんでだろう。清潔感を含め、「大丈夫かな」と感じてしまった。なぜ、そんなことを思ったのか……。直感としか言いようがないのだけれど、こんなにも遺産チックな喫茶店にめぐり合えたうれしさよりも、嫌な予感が勝った。
そんな杞憂を吹き飛ばすかのように、年老いたマスターが煎れたコーヒーは、とても美味しかった。気のせいかな――。用を足そうとトイレを探すと、どうやらカウンターの奥にそれらしき扉がある。その手前では、マスターの奥さんと思しきおばあさんがカウンターに腰掛け、飯を食っている。
おばあさんの後ろを通ろうとしたその時、飯の手を止めた彼女から「あん!? 何?」と牽制された。トイレに行く旨を伝えると、
「ブふぁぁッ!」
と、汚いものを見るようなリアクションと擬音が轟いた。意味がまったくわからなかったが、用を足しながら俺なりに考えてみた。どうやら飯を食っている最中に、「トイレ」という言葉を耳にしたがゆえの「ブふぁぁッ!」――なんだろう。
だとしても、話かけてきたのはおばあさんだ。それに、お店を見渡したところ、トイレはカウンターの奥にしかないことが、初来店の俺ですら想像できたわけで、おばあさんだってトイレに向かったことくらい予想がつくはず。そもそも、トイレ以外に店内をうろつく理由が他にあるなら教えてほしい。なぜ、「ブふぁぁッ!」と侮蔑まじりのリアクションをされなきゃいけないんだ。
席に戻るため、再びおばあさんの、いや、ばばあの後ろを通ると、ふつふつと込み上げるものを自覚した。せっかく美味かったコーヒーも苦さが舌に残るばかり。悲しいかな、入店時の直感は正しかった。
一息つこう。そう思って座ろうとすると、俺の席の後ろに壁紙が貼られていることに気が付いた。目で追うと、
「すべてが普通ではありません」
と直筆で書かれていた。本当に、直感は正しかった。壁紙には続きがあって、「病気を患っているがゆえに何十年間作ってきたメニューもなくさざるを得なくなりました」といったことが書かれ、最後に「だから、すべてが普通ではないんです」と念を押すように強調されていた。
すごい店を見つけてしまった。「すごい」が、もはや何を意味しているのかわからないけど、とにかくゾクゾクするものを感じた。
すべてが普通ではない店は繁盛していた。本日のコーヒーが一杯300円だからか、タバコが吸えるからか。すべてが普通ではないはずなのに、ひっきりなしに客が来る。サイフォンは、延々とコポコポと鳴っている。
マスターの仕事は丁寧だった。よく見ると、身体をかばうようにコーヒーを煎れている。カウンターのばばあは新聞に目を配らせ、冷え切った飯が所在なさそうにしている。「食わねぇの!?」とマスターが聞くと、「いらない」と即答していた。すべてが普通ではないんだ。
新宿区には、魔界のような店が残存している。鈍く光って、口を開けている。店をたたんで土地を売った方が、余生を楽しく生きられそうなもんだけど、理屈じゃないんだろう。でも、そんな普通の尺度で測ったら、こっちが痛い目を見るだけ。常軌を逸しているから面白いんだ。
「すべてが普通ではありません」の効果たるや。お札が邪気を払うように、この一言があるだけですべてがひっくり返る。何も言えなくなる。言ったもん勝ち。俺は、最高の店にめぐり合ったのかもしれない。