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奈良市の「新・南都八景」で、“あのとき気付かなかった歴史の面白さ”と再会する

2024.03.10 Vol.Web Original

なぜ奈良の魅力に気が付かなかったのか

奈良県でもっとも高い建物はなに?

皆さんならどう回答するだろう。他都道府県であれば、高層ビルやタワーが正解になるかもしれない。ところが、奈良県は違う。奈良県でもっとも高い建物は、なんと国宝・興福寺の五重塔なのだ。

応永33年(1426年)に建てられた50.937mの建物が、令和のいまも一番高い建物として君臨している……あらためて奈良を訪れると、こうした「えッ! そうだったの!?」という驚きがいたるところに散らばっている。学生時代を関東圏で過ごした人にとって、奈良は修学旅行のお約束スポット。一度は行ったことがあるという人は少なくないはずだ。


興福寺の五重塔。県内でもっとも高い建物として親しまれる

 

 あの頃はそんなことに関心がわかなかったかもしれない。でも、ずいぶん大人になった後に訪れるとどうだろう。今現在も、一番高い建物が五重塔という事実を知ると、奈良への好奇心がニョキニョキと生えこないだろうか。

 十数年ぶりに開かれた同窓会へ行くと、「〇〇、ずいぶん変わったなぁ!」なんて同級生の印象の変化に親しみと感嘆を抱くことが珍しくない。奈良を訪れると、似たような感覚になる。「おい、奈良。キミってそんなにすごかったのか!?――、そんなトキメキが奈良にはあるのだ。

 昨年12月、奈良市観光協会は、ユネスコ世界遺産「古都奈良の文化財」が登録25周年を迎えたことを記念し、8つの構成資産(東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡)の最も“写真映えする”撮影スポットを、「新・南都八景」として制定した。

「南都八景」とは、室町時代に制定された奈良の名所だという。同時代の『陰涼軒日録(いんりょうけんにちろく)』なる史料の中で、東大寺の鐘、春日野の鹿、南円堂の藤などが八景として紹介され、江戸時代には多くの人が訪れたという記録も残っているそうだ。

 今回制定した「新・南都八景」は、あのとき気が付かずにスルーした歴史たちと再会する、絶好の機会とも言える。八景すべてが世界遺産に認定されているのだから、そのバックグラウンドは発見だらけ。訪れたことがあるからこそ、もう一度たずねてみると違う景色に出会える。久々に訪れる奈良は、なつかしさと新鮮さに満ちている。


唐招提寺の金堂

シルクロードの最東端・奈良

 唐招提寺は、唐の大師である鑑真大和上によって、戒律を学び、正しく仏教を理解するための寺院として759年に建立された。国宝・金堂の中には、薬師如来立像、盧舎那仏坐像、千手観音立像といった国宝が並び、3~5mの高さを誇る三体の泰然自若とした姿に息をのむ。

 三体の中で、盧舎那仏(るしゃなぶつ)だけ聞き覚えがないという人は多いかもしれない。平安時代、空海によって密教は広まるが、彼は大日如来を宇宙の根本仏とした。実は、この大日如来こそ盧舎那仏から展開した仏とされる。何を隠そう、あの東大寺の大仏も盧舎那仏だ。奈良があったからこそ、平安京(京都)が花開く。仏の変遷一つとっても、歴史が地続きでつながっていることが分かるだろう。

 歴史ある名刹・唐招提寺。南大門をくぐると、真正面に飛び込んでくるのが、国宝・金堂だ。8本の荘厳な円柱が並び、その圧倒的景観はギリシャのパルテノン神殿をほうふつさせるものがある。

 それもそのはず。奈良は、シルクロードの最東端だと言われる。

 古代ギリシャの神殿建築で用いられた「エンタシス」と呼ばれる円柱の下部・中間部から、上部にかけて細くしていく形状の柱は、シルクロードを通って東アジアに伝わり(日本では「胴張り」と呼ばれ、法隆寺でもこうした技法が見られる)、やがて唐招提寺の金堂の柱に用いられたそうだ。部材は、781年に伐採されたヒノキ。参拝者は、国宝の一端を担う柱に触れることができ、1300年の歴史を間近で感じることが可能となる。


金堂の柱。上部のくすんでいる部分が、奈良時代のヒノキだ

 唐招提寺執事長の石田太一さんは、奈良の寺院の特徴をこう話す。

「大空に向かって飛び立つように作られているのが、奈良の寺院の醍醐味です。青空が見える姿は、薬師寺や東大寺大仏殿も同様です。ダイナミックさが奈良時代にはあったんですね。奈良の寺院をめぐるときは、大空を楽しみながら参拝していただけたらと思います」

仏教という新しい教えが定着し、貴族を中心に文化を形成していく雅な平安時代とは違い、奈良時代は真新しい文化が流入した黎明期だからこそ生まれるダイナミズムがある。その躍動感を感じることも「新・南都八景」をめぐる楽しみだ。

EXILE 橘ケンチが奈良で稲刈り「日本酒の活動や地域共生に向き合っていきたい」 

2023.10.16 Vol.Web Original


 橘ケンチ(EXILE/EXILE THE SECOND)が10月15日、奈良県御所市で行われた油長酒造と杉浦農園の収穫祭にサプライズで登場し、参加者とともに稲刈り作業を行った。

 コロナ禍による中断を挟みながら4年前から開催されている収穫祭には、同農園の支援者や油長酒造ファンらが参加。橘もそのなかに混じって作業した。作業後には同農園産の米を使ったおにぎりなどを手に直会にも加わって交流した。

 橘は2021年に油長酒造とコラボレーション。同酒造で使用する酒米「秋津穂」は杉浦農園で栽培されている。

ゆりやんレトリィバァ、イチオシは割り箸! リニューアルした「奈良まほろば館」をPR

2021.08.10 Vol.Web Original

 お笑い芸人のゆりやんレトリィバァが10日、新橋にリニューアルオープンした奈良県のブランドショップ「奈良まほろば館」の記者発表会に登壇、同県の県産品や観光情報を発信する同施設の魅力をアピールした。

 奈良出身のゆりやんは同施設の最高PR責任者として登場。壮大なBGMで登壇すると「壮大なご紹介をいただきまして恐れ入ります。奈良県知事の……ゆりやんレトリィバァと申します。この度、奈良の行政改革……」と挨拶を始めるも誰にも止められず、いつもの自前の「違うでしょ!」

 

国内の古墳の数はコンビニの約3倍! コロナ禍でも古墳グッズは売上増! 奈良県橿原市が古墳ブームをさらにコーフンさせる

2020.12.04 Vol.Web Original

「日本全国に、コンビニの約3倍存在し、村や町によってはコンビニはないけど、存在しているもの、なーんだ?」

なぞなぞのように聞こえるかもしれないけど、なぞなぞやとんちの類ではないんです。答えは、古墳。いたって本当の話なのだ。

文化庁の調査によれば、日本全国にある古墳の数は約16万基。対して、全国にあるコンビニの数は、2019年3月時点で5万8340店(日本フランチャイズチェーン協会発表)。コンビニはないのに古墳はある――。そんな村や町が存在するほど、古墳はいたるところに、実はあったりする。

そもそも古墳とは、人工的に土を高く盛った古代人のお墓のこと。3世紀中頃~7世紀末の古墳時代、多くの人は古墳を造り、寿命が尽きれば、そこに葬られていた。古墳と聞くと、教科書で習ったような巨大な「前方後円墳」をイメージしがちだけど、地方の権力者や村長レベルのプチ権力者もいたわけで、全員が全員、立派な古墳を造ったわけではない。下の写真も、意外に思うかもしれないが古墳なのだ。

こじんまりしたものや質素なものなどなど……、バラバラでしかも多彩。それゆえ、お気に入りの古墳や妙に気になる古墳もあって、古墳を巡る「墳活」、古墳を愛する女子「古墳女子」といった用語が誕生するまでに。じわじわと「古墳ブーム」は広がり続け、いまなお「古墳はキテる」と熱い視線が注がれているほど人気を博している、というからビックリする。

「おいおい、古墳ブームなんて聞いたことないぞ!」。そう言いたくなる人もいるはず。しかし、「古墳にコーフン協会」を設立し、現在、会長を務める古墳シンガー・まりこふんさんは、胸を張って説明する。

「今から4~5年ほど前に、「古墳にコーフン協会」は東急ハンズさんとコラボし、古墳グッズの販売イベントをはじめました。今年は、初年の3倍以上の売上増になるほどで、コロナ禍でもかなりの売上がありました。それだけ需要が伸びていて、買う側も作る側も増えているんですね」

「古墳にコーフン協会」会長のまりこふんさん。古墳愛を歌う古墳シンガーでもある。

2019年には、巨大な鍵穴を想起させ、誰もが歴史の教科書で一度は見たことがあるだろう「仁徳天皇陵古墳」を含む、「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府堺市)が世界文化遺産に登録されたことは、記憶に新しいところ。我々が想像している以上に、古墳はその姿に負けないくらい人気の面でも盛り上がっていて、古墳に魅せられる人は増えているというのだ。よくよく見たら、古墳ってシフォンケーキみたいでかわいいし、埴輪はちょっと間抜けでかわいい。それに、 「コンビニはないのに古墳はある」なんて聞くと、妙に親近感を覚えて、「小さい古墳ってどんな感じなの?」と見てみたくなる。ハマる角度が人それぞれ、それもまた古墳の魅力なのだ。

歌にしてしまうまでの古墳愛を持つまりこふんさんにオススメを聞くと、「ありすぎて選べないのですが、奈良県橿原市の古墳群は見てほしい」とコ―フン気味に話す。

実はまりこふんさん、旅行会社が定期的に企画する古墳を巡るバスツアーの識者として、ツアーに同乗し、案内やミニライブを行うなど、古墳の魅力を伝えるために奔走している第一人者でもある。「2年前くらいからは年6回全日程ほぼ満席、すべて催行しています。いやはや、ありがたいことです」と謙遜するが、定期的にバスツアーが開催されるほど、古墳人気は本当に右肩上がりなのだ。古墳だからと、話を盛っているわけではないんです。

橿原市――。日本で有数の「字面はよく見るけどそのたびに読めない市」かもしれない。“かしはら”。この地域周辺にある古墳が「面白い」らしく、なんと12月と来年1月には『古墳シンガーまりこふんさんと行く「橿原・飛鳥古墳にコーフン旅行」』というツアーが組まれるほど、橿原市も古墳を介して街の魅力を伝えようと奮闘している。

なかでも、まず見てほしいと力説するのが、橿原市が古墳の魅力を伝えるべく連携するお隣・明日香村にある「石舞台古墳」(上写真)だ。大小約30個の石英閃緑岩が使用され、石の総重量は2300トン(!!)。もともと覆われていた盛土は失われ、天井石が露出。結果、巨石が積まれている姿がむき出しになり、その様子は異様にして圧巻だ。中は空洞になっていて、日本最大級の横穴式石室を持つ。埋葬された人物は、6世紀後半にこの地で政権を握っていたと言われる蘇我馬子の可能性が高いという。

明日香村は、1956年の合併の際に現在の地名になるが、それまでは飛鳥村という地名だった。古代における飛鳥の中心的地域であったとされ、推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子、蘇我入鹿、中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原鎌足)、天武天皇、持統天皇らが生きたいた時代の中心――、歴史のテストに出てきた古代のオールスターが存在していた、とんでもないエリアなのだ。

さらには、飛鳥時代は「天皇」という呼称がはじまることや日本初の元号「大化」を定めたことを筆頭に、貨幣経済のはじまり、時計と暦の開始、大陸との交流、官僚制度の構築などなど、今に続くたくさんのエポックメイキングな枠組みも、この地から生まれたと言われている。明日香村は、歴史上の人物が登場し始める歴史の始点であると同時に、古代の終点でもある。それを教えてくれるのも、やっぱり古墳だったりする。

石舞台古墳の内部。どうやって石を積み上げたのか? もちろん現地に行けば謎が解ける。

冒頭、古墳はコンビニの3倍ほど存在すると説明したが、それほどあった古墳がなぜ造られなくなったのか? 疑問を覚えた人もいるはず。

それは、飛鳥時代に仏教という国際的な思想が伝来し、隆盛することで、各地の古墳にまつわる信仰や儀式が希薄化し、古墳そのものの存在意義もなくなってしまったから。開明的になった人々は、古墳造成に費やす労力を都市開発やインフラに費やしただろうし、実際に仏教が浸透するにつれて古墳が小さく、シンプルになっていくことも確認されている。そして、奈良時代になると上流社会の間では火葬墓が一般的になり、古墳はその姿を消していくことになる。

つまり明日香村は、古墳時代の終わりであると同時に、その後の中世へとつながる近代的古代の幕開けの場所、ということになる。時代の境い目である江戸城や大阪城にも負けない、歴史のダイナミズムが詰まった場所。なのに、城のように絢爛豪華に主張するでもなく、ひっそりと、もっこりと存在するマイペースな古墳たち。墓なのに、ものすごく雅かつ躍動感にあふれる、そのギャップが知的好奇心とは何かを教えてくれる。

とは言っても、難しい知識や事前準備がなくても楽しめるので大丈夫。下写真は、同じく明日香村内にある高松塚古墳だが、まるで抹茶フレーバーのプリンのよう。見た目がかわいいこの古墳も……実はすごい。

昭和47年、石室内に極彩色の壁画(国宝)が発見され、特に西壁の女子群像は、歴史の教科書のカラーページに登場するまでに。7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期の古墳と言われ、天井には星宿図が描かれていた。かわいい姿からは想像できないほどすさまじい古墳、たとえるなら90年代の名CM、北浦共笑の「私脱いでもスゴイんです」を彷彿とさせる古墳である。隣接する高松塚壁画館では、壁画発見当時の現状模写をはじめ、一部復元模写、棺を納めていた石槨の原寸模型のほか、副葬されていた大刀装飾金具なども見ることが可能だ。

明日香村だけでもレジェンドクラスの古墳が揃うが、橿原市の古墳力もコ―フン間違いなしだ。「橿原市の約70%は遺跡なんです」と教えてくれるのは、同市教育委員会文化財課の松井一晃さん。なんと、市の約7割の範囲が何かしらの遺跡や遺構とは、橿原、恐るべし。今まで読めなくてごめんなさい!

「新沢千塚古墳群は、誰でも楽しめる公園なのですが、この一帯には約600基の古墳があります。日本を代表する群集墳でもあるんですよ」(松井さん)

新沢千塚古墳群公園。古墳で遊び放題

その容貌はまるで“日本のカッパドキア”と呼びたくなるほどで、モコ、モコ、モコと古墳群が目に飛び込んでくる姿は圧倒的。「これが全部、古墳なの?」と目を疑うこと間違いなしだ。

「こういった光景を我々はワンダ墳(=素晴らしい古墳のこと)と呼んでいます。古墳浴(=森林浴的な)するには最適の場所です」(まりこふんさん)

たしかに、初心者でも「ワンダ墳!」と叫びたくなるほどの美観。明日香村は貴族の古墳が多かったが、橿原市には名もなき首長たちの古墳も多数あるため、バラエティ豊かな古墳を体験することができる。例えば、下写真の小谷古墳は被葬者は不明だが、中に入ると面白い発見がある。通常時は、鉄柵で周囲を囲まれているため、中に入ることができないが、ツアーなどで見学する際は開放されるという。外から眺める、そして中に入る。古墳は“一粒で二度おいしい”というわけだ。

もちろん、どこか異界に足を踏み入れるような憂惧する気持ちも生まれる。「無理矢理石室に入る事をすすめることを、私たちは石ハラ(セキハラ)、石室ハラスメントと呼んでいます。楽しむ気持ちを忘れないでくださいね」とまりこふんさんがレクチャーするように、相手の気持ちを尊重しつつ、墳活すること忘るべからず。

小谷古墳の入り口。なんと墳タスティックな。
小谷古墳の内部。よく見ると……

「(手前部分の)石棺の一部が欠けていることが分かると思います。これは盗掘された痕跡です。古墳を修復したり復元したりはしていません。この空間内部は、古代、そして盗掘された姿のまま今の時代に残っています」

そう松井さんが解説するように、古墳が歩んだ歴史をそのまま追体験できるのは、改めて考えるとものすごいこと。だって、“古代の人間が葬られていた墓を、そのあとの時代の人間がこじ開けて、現代の人間が見ている”のだから。この小さな空間に、約1400年の変遷が詰まっている。こんなマジカルな体験ができるのも古墳ならではだろう。

小谷古墳から南東に500メートルほど歩いたところにある橿原市の巨石「益田岩船」も外すことができないスポットだという。たどり着くと、あ然とする。鱗滝さんと炭治郎がいたのかしら……。

なぜこんな巨石が山奥にポツンと?

「近くに斉明天皇陵の可能性が高い牽牛子塚(けんごしづか)古墳があるのですが、おそらくは益田岩船は失敗作だろうと。というのも、牽牛子塚古墳の横口式石槨と形が似ているため、当初は益田岩船を墳墓にしようと作っていた……けど、問題が生じて無理となった(笑)。そして、放置したと思われます」(松井さん)

古代人のやらかした理由……その続きは、ぜひともツアーに参加するなどして、自身で確認してほしい。古代人の中にも“しくじり先生”がいた! ことを知ったあとで、この巨石を眺めてみると、何も知らずに見ていたときのような不気味さはなくなり、「やっちゃったな」と同情する気持ちがわいてくるほど。想像力を育ててくれることが、歴史の醍醐味なのだとしたら、橿原市はものすごい可能性を秘めている場所だ。

 

上から見ても大きさが分かる益田岩船。古代人の“やらかした”痕跡を目撃しよう

玄室(古墳の内部にある棺を納める部屋)に入ることができない古墳もたくさんある。しかし、橿原市は同市の魅力を知ってもらうために、積極的に内部を公開する機会を創出している。

古墳は想像している以上に面白い。奥が深い、というよりもホントに「面白い」のだ。同じ古代でも、縄文時代や弥生時代の遺跡と違って、古墳は目の前に存在している。だから、あれこれ想像しやすいし、勝手に自分好みか否かの点数なんかも付けたくなってくる。そんな古墳が橿原市にはまだまだたくさんある。さらに言うなら、国内にはコンビニの約3倍ある。そりゃ、飽きないし、ハマる人が増えていくのがわかる。

「見た目がかわいいとか、自分好みの古墳があった――、興味を持つポイントはなんでもいいんです。実際に古墳を見ると、惹かれるものがきっとある。しかも、中に入れない古墳もある。こんなに近くにいるのに、こんなに遠くに感じる愛おしい存在は古墳だけです(笑)。もっと墳友(ふんゆう)を増やして、古墳のすばらしさを広められたら最高ですね」(まりこふんさん)

玄室へと続くトンネル(羨道)は、あなたを超面白い世界へといざなう、動線かもしれない。改めてもう一度。古墳、キテます。

 

(取材と文・我妻弘崇)

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