“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第188回目は、赤ちゃんと行動することについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
赤ちゃんを育てている。一歳の赤ちゃん。
僕は、ベビーカーに乗せることはほとんどせず、自分の体力が続く限り、抱っこをするようにしている。
雀荘とパチンコをのぞいて、どこかへ一緒に行くときは抱っこ。買い物をするときも抱っこ。新幹線に乗るときも抱っこだ。ライブへ行くときも抱っこをしながら音楽を聴く。なんだったらビールも飲む。赤ちゃん(子ども)がいるから、何かを制限しようという感覚は無い。もちろん、それが赤ちゃんにとって良くないことであれば、自制するようにはしているけれど。
先日、うちの奥さんと待ち合わせをする際、合流するまで小1時間ほどかかるというから、赤ちゃんを抱きながらどこかで時間つぶしをしようと考えた。ゲームセンターは良くないよなとか、いろいろと考えた結果、居酒屋で飲みながら待つことを決めた。
1~2杯も飲めば、奥さんも到着するだろう。目についたお店の扉を開けると、待ち合わせる身としては理想的としか言いようがない、まったくお客さんがいない状況だった。
「この後、奥さんが来るので少し飲ませてもらってもいいですか」。そう断ると、奥の席へ案内された。
着席してメニューを眺めていると、突然不安に駆られた。
「あれ? 俺って今、めちゃくちゃヤバい奴に思われてないか?」
下北沢の夜10時。おじさん一人が赤ちゃんを抱っこしながらガラガラのお店でビールを飲む――。はたから見れば、何かしら家庭の事情に瑕疵を持つ人に思われるかもしれないし、どうしようもなく酒が好きな中毒者に見えるかもしれない。
お店に入るとき、「この後、奥さんが合流するんで」とは伝えたものの、それが本当かどうかは分からない。店員さんが僕のことをいぶかしげに思ったとしても反論するだけの証拠は、今のところまったく持ち合わせていない。不安に思えば思うほど、僕の顔はこわばっていき、不審者レベルは上がっていく。
いま思えば、「この後、奥さんが合流するんで」も少し言い訳がましかったように思う。無意識の自衛本能。子どもの頃、エロ本を買う際に、聞いてもいないのに「兄に頼まれたんです」と言い訳してからお金を払った自衛本能。
競馬場に赤ちゃんを連れて行ったとしても、こんなに不安に駆られることはない。だけど、赤ちゃんを抱っこしながら一人で居酒屋で酒を飲むことの背徳感は、想像していた以上にビリビリきた。遠くから、「家で飲めよ」という店員さんの視線を感じるのは気のせいかな。
世の中って不可思議だ。お店で一人で飲んでいる男性が、実は赤ちゃんを奥さん一人に任せて、飲みに来ている可能性だってある。だけど、その男性は「一人で飲みに来た男性客」として切り取られる。僕のように、「抱っこしながら一人で飲みに来た男性客」の方が、世の中的には「?」が付く。世界はいびつで面白い。社会のボタンは、些細なことから掛け違えられていくのかもしれない。
奥さんの到着が遅れるらしい。ビールを飲み終え、気まずくなった僕は、そそくさと店を後にしようと思った。腰を上げた瞬間、「今出るともっとヤバい奴になるんじゃないか」。僕はぐっと深く、その腰をもとの位置に戻した。正真正銘、一杯だけ飲むためだけに、赤子を連れてまで居酒屋に来たホンモノじゃないか。
意地でも奥さんを待つしかない。気が付くと3杯ほど飲んでいた。2杯目からは、酒の力で襲い掛かる不安をごまかしていた。たった1つパズルのピースが足りないだけで、人間はとてつもなく不安になるようにできているんだと分かった。それから少し遅れて到着した奥さんの姿を見て、僕は見つからなかったピースをようやく見つけたときのようなうれしさを感じた。
ホッとした安堵の表情を浮かべたのは、きっと僕だけじゃない。その居酒屋で働いていたスタッフ全員、胸をなでおろしたはず。「あの人は本当に奥さんを待っていたんだ」。最後のピースが見つかると、世界は元の姿に戻るのだ。