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徳井健太の菩薩目線 第95回 ばあさんから「ブふぁぁッ!」とリアクションされ、俺は新宿区は魔界だと理解した

2021.04.20 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第95回目は、魔界のような喫茶店について、独自の梵鐘を鳴らす――。

変な喫茶店だった。

新宿区。純喫茶といえば、純喫茶なのかもしれない。表には、「昔懐かしのナポリタン」なんて掲げられていた。でも、インベーダーゲームはない。

中に入ると、ビー・バップ・ハイスクールに登場する不良たちがたむろしていてもおかしくないような空間。テーブルも低ければ、イスも低い。サイフォン がコポコポと心地よい音を奏で、豆を挽いてから作り出す本格派の喫茶店の匂いも漂う。純喫茶なのか。

老夫婦が営む。一つだけ言えるのは、令和の時代にまだこんな喫茶店があったのかということだった。

ただ、なんでだろう。清潔感を含め、「大丈夫かな」と感じてしまった。なぜ、そんなことを思ったのか……。直感としか言いようがないのだけれど、こんなにも遺産チックな喫茶店にめぐり合えたうれしさよりも、嫌な予感が勝った。

そんな杞憂を吹き飛ばすかのように、年老いたマスターが煎れたコーヒーは、とても美味しかった。気のせいかな――。用を足そうとトイレを探すと、どうやらカウンターの奥にそれらしき扉がある。その手前では、マスターの奥さんと思しきおばあさんがカウンターに腰掛け、飯を食っている。

おばあさんの後ろを通ろうとしたその時、飯の手を止めた彼女から「あん!? 何?」と牽制された。トイレに行く旨を伝えると、

「ブふぁぁッ!」

と、汚いものを見るようなリアクションと擬音が轟いた。意味がまったくわからなかったが、用を足しながら俺なりに考えてみた。どうやら飯を食っている最中に、「トイレ」という言葉を耳にしたがゆえの「ブふぁぁッ!」――なんだろう。

だとしても、話かけてきたのはおばあさんだ。それに、お店を見渡したところ、トイレはカウンターの奥にしかないことが、初来店の俺ですら想像できたわけで、おばあさんだってトイレに向かったことくらい予想がつくはず。そもそも、トイレ以外に店内をうろつく理由が他にあるなら教えてほしい。なぜ、「ブふぁぁッ!」と侮蔑まじりのリアクションをされなきゃいけないんだ。

席に戻るため、再びおばあさんの、いや、ばばあの後ろを通ると、ふつふつと込み上げるものを自覚した。せっかく美味かったコーヒーも苦さが舌に残るばかり。悲しいかな、入店時の直感は正しかった。

一息つこう。そう思って座ろうとすると、俺の席の後ろに壁紙が貼られていることに気が付いた。目で追うと、

「すべてが普通ではありません」

と直筆で書かれていた。本当に、直感は正しかった。壁紙には続きがあって、「病気を患っているがゆえに何十年間作ってきたメニューもなくさざるを得なくなりました」といったことが書かれ、最後に「だから、すべてが普通ではないんです」と念を押すように強調されていた。

すごい店を見つけてしまった。「すごい」が、もはや何を意味しているのかわからないけど、とにかくゾクゾクするものを感じた。

すべてが普通ではない店は繁盛していた。本日のコーヒーが一杯300円だからか、タバコが吸えるからか。すべてが普通ではないはずなのに、ひっきりなしに客が来る。サイフォンは、延々とコポコポと鳴っている。

マスターの仕事は丁寧だった。よく見ると、身体をかばうようにコーヒーを煎れている。カウンターのばばあは新聞に目を配らせ、冷え切った飯が所在なさそうにしている。「食わねぇの!?」とマスターが聞くと、「いらない」と即答していた。すべてが普通ではないんだ。

新宿区には、魔界のような店が残存している。鈍く光って、口を開けている。店をたたんで土地を売った方が、余生を楽しく生きられそうなもんだけど、理屈じゃないんだろう。でも、そんな普通の尺度で測ったら、こっちが痛い目を見るだけ。常軌を逸しているから面白いんだ。

「すべてが普通ではありません」の効果たるや。お札が邪気を払うように、この一言があるだけですべてがひっくり返る。何も言えなくなる。言ったもん勝ち。俺は、最高の店にめぐり合ったのかもしれない。

徳井健太の菩薩目線 第94回 とんでもなくみっともないおじさんの話。 今日も、無意味に頭を下げさせられている人がいる。

2021.04.10 Vol.Web Original

 

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徳井健太の菩薩目線 第93回 30代、40代はまだ子ども。この国を悲観しても、悲観しすぎないように。

2021.04.02 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第93回目は、何をもって大人と言えるのか、独自の梵鐘を鳴らす――。

 40代は、まだ子どもなんだなって。俺は、どんな風に歳を重ねていくのか考えてしまった。

 事の発端は、『スッキリ』で、政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長に、加藤(浩次)さんがインタビューをしていたことによる。加藤さんが、日本のコロナ対策に関するさまざまな質問を投げかけていく中で、尾身会長は、「3年後には戻ると思う」といった趣旨の回答をしていた。

 100%我慢する必要はない。だけど、今までやっていたことやできていたことを30%を我慢してほしい――。たしかに、ライブに足を運んでいた回数を10回から7回に減らす、会食の機会を5回から3回に減らすと考えてみると、それほど窮屈に感じることはない。減らしてことによって生じたジブン時間に、一人で完結できること、例えば本を読んだり、Netflixを観たりすれば、それはそれで有意義だろう。長い人生を考えれば、たかだか3年。そんな時間も悪くはない。

 尾身会長は、“30%の我慢”を語る際、子どもにはしゃぐなと言っても、はしゃいでしまうじゃないですか、30代も40代の若者は――、とも付言していた。

 ハッとした。70歳を超えている尾身会長からすれば、30代も40代も子どもに見えていたんだなって。俺たちのような40歳のおじさんが、ルールを守れない20代の若者を見たとき、「ガキだな」と思うように、70歳を超えた仙人みたいな人にとっては、30代も40代も子どもに見える。だとしたら、何歳になったら大人になれるんだろうか。

 そもそも何をもってして大人なのか。数字の上では、20歳になれば成人という形で大人の仲間になることができる。とは言え、形式上の大人であって、中身の伴わない大人なんてたくさんいる。自分の中で、大人の条件を考えてみたとき、誰かのために頑張れるといった犠牲心のようなものが備わっている人は、大人なのかなと思う。それだって“大人的”なだけであって、正解じゃないんだろう。

「五十にして天命を知る」と言われているけど、先人の言葉は正しいんだなとも思う。かつては人生50年と言われたように、40を超えたら今で言うところの晩年扱いだった。にもかかわらず、30代はガキだと説いている。亀の甲より年の劫だ。

 歳を重ねていくと、「死」がリアルに迫ってくる。20代は、無駄に自暴自棄だったり、向こう見ずだったり、死に対する願望がどこかに潜んでいる。一方、晩年を迎えると、「まだ死にたくない」と未練を覚える人は少なくない。もしかしたら、年を取ったときの方が、鮮明に記憶の中にやりたいこと・やれなかったことが、若者よりも浮かび上がるのかもしれない。

 自分のことを大人という人間は、大人じゃないとも思う。60の人に、「あなたは大人ですか?」と聞いて、「いやいやどうなんでしょうね」と煙に巻く方が、大人感はある。「私は大人です、当たり前じゃないですか!」なんて答える人は、子どもっぽさがドバドバとにじみ出ている。

 尾身会長の言葉は、哲学的な示唆に飛んでいたように思えた。たしかに、SNSやヤフーコメントで悪口を書いてるような人間は、30代40代が多いだろうし、「子ども」とは言い得て妙だ。しかも、「自分はそれなりに世の中を知っている大人である」という体で、いっぱしのコメントを残していく。大人は、そんなものに時間を費やさない。

 10代が万引きして捕まっている姿を見たとき、「あ~そういうことする時期だよね」と思うように、30代40代が桜を見たさに目黒川に殺到してしまうのも同じなんだと思う。「なんでこの状況下で出かけるの? 信じられない!」なんて思うより、「そういうことをしたくなる年頃だよね」と考えた方がいいんじゃないのかな。

 選挙権だって、10歳から与えてもいいんじゃないだろうか。仙人レベルから見れば10代も20代も30代も40代も子ども。だとしたら、若いときから政治に関心を持たしたほうがいいような。

 40歳になったとき、70になるまでは、まだ30年もある。30年もあるって考えたらいろいろできそうだし、何をするのか、どんなことを考えるのか、とても大事なことなんだなと思う。だから悲観しても、悲観しすぎることはない。自分が70になったとき、30代40代がどう見えているのか、とても楽しみだ。

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