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情報の公平性や平等をうたい願うならば、ヤンキースファンは今年、とても悲しく苦しく切なかったであろう話!〈徳井健太の菩薩目線 第224回〉

2024.11.21 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第224回目は、LAドジャースについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 今年の大谷翔平選手の活躍、すさまじかったですよね。僕もワールドシリーズを視聴し、大谷選手の有終の美を見届けさせていただきました。

 大前提として、「大谷選手はすごい」ということをご理解いただいた上で、以下を読み進めていただけると幸いです。

* * *

 さすがにドジャース贔屓すぎやしません? みんなが、なんとなく頭の片隅に思っている違和感であってほしいのですが、そう感じていない人もきっといるだろうから野暮を承知で叫びたい。ドジャース、贔屓しすぎ!

 例えば、これが日本対アメリカのWBCの決勝だったら分かるんです。日本贔屓の実況になるだろうし、翌日のテレビやスポーツ紙も“いかに日本の戦いが素晴らしかったか”について、延々と賞賛を送ることも。そりゃそうだよなって。

 でも、海を越えたアメリカのワールドシリーズで、ぶっちゃけ僕らにはほとんど関係ないだろうドジャース対ヤンキースという東西の名門対決が行われるなら、それなりの公平性はあってしかるべきだと思うんです。

 たしかに、ドジャースには我らがスーパースター大谷翔平選手、そして山本由伸選手がいる。そのため、ドジャースに寄った方が視聴率もPV数も期待ができると思う。とは言え、どうしてこんなにドジャース贔屓の報道になるのか理解できない。ヤンキースも名門中の名門だし、かつては松井秀喜さんが在籍していた日本人にとっては馴染みの深いチーム。あんなに「ゴジラ、ゴジラ」とヤンキースを応援していたのに? 両チームとも日本人ファンが多いだろうチームなのに、大谷翔平選手がいるだけでどうしてこんなに傾いてしまうのか。

 つい先日、日本では福岡ソフトバンクホークスと横浜DeNAベイスターズが日本一をかけて戦った。福岡の放送局が、翌日に「ソフトバンクが負けて残念。悔しい!」と伝えるのは分かります。でも、福岡とも横浜とも関係のない大阪の放送局が「ソフトバンクが負けました、悔しい!」と伝えようものなら、「なんでやねん」の大合唱になると思うんですよ。

 地区シリーズでのパドレス戦もそう。パドレスにはダルビッシュ有選手がいるのに、やっぱりドジャーズ贔屓。そのままどんどん偏って、頂上決戦のワールドシリーズではかなり西海岸に傾いているものだから、正視するのが難しかったくらい。ヤンキースには、ジャッジ選手を筆頭にスーパースターがたくさんいるのに。ここ日本にもヤンキースファンはたくさんいるのに。だけど、ほとんどの日本のメディアがドジャースの肩を持つのはどういうことなの。株主?

 日本のヤンキースファンを思うと、こんなに片隅の狭いワールドシリーズもなかったんじゃないかと思う。喜ぶと白い目で見られかねないスポーツマンシップとは遠い世界。第5戦にいたってはヤンキースはエラーがらみで大自爆し、ファンは見るに堪えなかったはず。

 それにもかかわらず、翌日にはこれでもかというほどの、致死量の塩を傷口に塗り込む。「ドジャーズが勝ちました!」。そう司会者が叫ぶ度に、僕はTHE YELLOW MONKEYの名曲『JAM』の一節、「乗客に日本人はいませんでした。いませんでした。いませんでした」を思い出してしまった。

 メディアで、ドジャースが負けて悔しいと言い続けていれば、大してメジャーリーグに興味がない人は、おのずとドジャースファンとして洗脳されてしまう。昔の巨人もきっとそうだったんだろうけど、令和の今、それって大丈夫なのって思ってしまう。こんなに露骨に?って。

 大谷翔平選手が打って喜ぶのは分かる。だけど、ドジャースの勝敗は別であってほしいし、せめて大一番くらいは対戦しているチームのファンをキャスティングした上で一喜一憂した方がいいんじゃないのと思うんだけれど。

 中立をうたう放送局が、巨人ファンばかりを並べて巨人を礼賛すれば、阪神ファンを始め、その他のセ・リーグファンは黙っていない。本来、成立するわけがない不可思議な光景が、大リーグという対岸の舞台装置と、大谷翔平というスペシャルなカードを持つことで成立してしまうって、僕はものすごく恐ろしいことのように思えてしまった。そういう状況が揃ったら、あっという間に思考をハイジャックされてしまうじゃないか。

 ドジャース! ドジャース!――。あまりにも言われると、当然、判官贔屓じゃないけど、あまのじゃくな人たちは他のチームを応援したくなるよね。「大谷選手は好き。だけど、ドジャースは嫌い」。そんな人が増えるのだとしたら、それって大谷選手が一番望んでいないような状況……だと思うんだけど、これって気のせいなんでしょうか。

「もうダメや、あかん!」とチャンス大城さんが本番中に叫んだとき、僕は心から笑ったしうれしかったし、安堵した〈徳井健太の菩薩目線 第223回〉

2024.11.10 Vol.Web Original

 浜名湖ボートの仕事で、パチスロ界隈ではレジェンド的なライターであるういちさんと一緒になった。僕たちが狂ったようにパチスロをしていた時代、ういちさんの文章を読んでいない人はいないというくらいの存在で、パチスロ界のダウンタウンといってもいいほどの巨星だ。現在、ういちさんはボートレースのフィールドでも仕事をしているので、僕は偶然にもういちさんと仕事をすることになったのだ。

 この現場に、たまたま吉本の若手コンビも参加した。話を聞くと、2人とも東京の難関私立大学出身者だという。

 僕はかれこれボートレースを何十年もやっているけど、意外にも要領を掴むことが難しいクセのある公営ギャンブルだと思っている。それこそ始めたての頃は、どうやって勝負していいのか四苦八苦したものだ。ボートレースに興じた経験はないと話していたその若手コンビも、「どうやってやるんですか?」と恐る恐るベットしていた。ところが、時間が経つにつれ、僕とういちさんの話を一つ聞くと、十を知る。呑み込みがとても早く、「なるほど。つまり、こういうことですね」なんて具合で、買い目をすぐに理解してしまうのだ。

 あまりに賢い若手を見て、僕とういちさんは少し打ちひしがれた。ういちさんは僕より少し年齢が上だけど、僕らが若かった頃、こんなに賢くて若い奴をギャンブルの世界や芸人の世界で見たことなんてなかったからだ。右も左もダメ人間ばかりで、一を聞いても、その一すら理解していないような奴しかいなかった。

 その中でも、僕らは比較的賢いと思われるようなタイプで、ここまで何とか生きてこれた。でも、今は本当に頭の良い人があらゆるジャンルに登場して、「ダメ人間は行き場を失くしてしまうかもしれないですね」と僕は口をすぼめた。なんだか背中に寂しさを感じた日だった。

 その数日後、ABEMAの競輪の仕事でチャンス大城さんと一緒になった。大城さんは、企画の中で比較的勝利を重ね、この日も余裕を持って勝負に臨んでいた。ところが、最終レースを前に急にテンパり始めて、「もうダメや。あかん……あかん!」。事態が飲み込めない僕らをよそに、

「なんでこんな最後に失敗してもうたんやー!」

 そう叫んだ。まだ最後のレースは始まっていないのに?

「大城さん、落ち着いてください。最後のレースはこれからです。最後の失敗はまだしてないです。手元にポイントもたくさんあるじゃないですか。めっちゃ勝てる可能性が高いですよ」

 説明する僕を制止して、「あかんねん」としか大城さんは発しない。一体何があかんねん。最終的に、大城さんは意味がわからない賭け方をして自爆した。

 僕は、大城さんの姿こそ未来に残していくべき芸人の無形遺産だなと確信した。賢いよりも面白いが見たい。賢いは紐解ける。だけど、この面白さは紐解けない。

 少し前、NSCの合宿に僕たち平成ノブシコブシはMCとして参加した。合宿には芸歴5年目くらいの若手もいて、その一組にイチゴがいた。彼らは、今年配信されたYouTubeの「吉本興業チャンネル」のネタバトル企画「100×100」という大会で優勝したコンビだ。その企画でMCを担当した僕は、以来、イチゴの存在が気になって、顔を合わせたときは近況を聞くような関係になっていた。

 ボケのイクトは、浮かない顔で「大学お笑いばっかですよ。俺らなんて全然人気がない」と話していたけど、お前らなら大丈夫だよ。僕は、お前らのような持たざる者こそが、大きな風穴を開けてくれると信じている。たしかに賢さはないかもしれない。だけど、答えのないことを恐れずにやれるお前らのような笑いこそ、腹の底から笑ってしまうことを知っているから。

天才、元巨人軍元木さんに聞く、本物のスターとは!講座【徳井健太の菩薩目線 第222回】

2024.10.31 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第222回目は、チャンスの考え方について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 品川庄司の庄司さんが、こんなことを話していた。

「自分に打席が回ってくるとき。前のバッターがアウトだった場合、自分のハードルは上がるけれど、その分、目立つことができるかもしれない――。でも、これは普通の考え方で、『前のバッターがホームランを打つ。そして、次の打席の自分も連続してホームランを打つ。そうすれば、もっと目立てる』。これが本当のスターだよ」

 先日、ボートレース浜名湖で、元読売ジャイアンツの元木大介さんと2人きりで生配信をする仕事をした。予想をしながら、合間にトークもする。その中で、「ボート以外の話もたくさんしてほしい」とスタッフさんから言われていた僕は、庄司さんの言葉を元木さんにぶつけてみることにした。

 すると元木さんは、「そりゃそうだよ。だって、コスパ良くない?」と答えた。元木さんの考えを要約すると、次のようなことになる。

 例えば、同点で迎えた9回裏ツーアウトで走者がいないとき。ヒットを打っても、スポーツニュースで取り上げられることはない。一方、同じ状況で満塁だった場合、ヒットを打てば必ずスポーツニュースで使われる。ヒット一本の意味は変わらないのに、テレビに映るか映らないかといった視点で考えると、同じ一本でもコスパはまったく違うものになる。

「さすがスターだな」と僕はうなった。たしかに、1985年の阪神タイガースバックスクリーン三連発は、バース、掛布、岡田が三者連続でホームランを打ったから、伝説的な映像として繰り返し流れる。仮に、違う回にそれぞれがホームランを打っていたら、すべてのホームランが取り上げられていたかどうかは分からない。同じホームランなのに、立て続けにバックスクリーンに打ち込んだから今も語り継がれる。

 ということは――。映像的な視点に立ったとき、甲子園の最後のバッターは、必ずしも悲観するものではないのかもしれないと思った。もちろん、最後の打者は悔しいに決まっている。でも、負けたチーム全員が悔しい。その中で、唯一、テレビを見ている人に分かりやすく悔しさを伝えられるのも、最後のバッターだけなんだ。同じアウトでも、結果として特別なアウトになっている。

 元木さんは、プロ野球は実力がある者だけが集まって、なおかつ運まで持っているような天才ばかりが集まっている世界だと話していた。強い人間しか生き残ることができないとも付言していた。

 甲子園の決勝の舞台で、松坂大輔がノーヒットノーランを成し遂げたとき、「松坂しか映ってないよね」と元木さんは言う。一方、田中将大と斎藤佑樹が投げ合った決勝は、最後、三振を奪った斎藤佑樹も、切って取られた田中将大も映っていたと続ける。これは、双方ともにそれだけの実力があるから映像として切り取られた……つまり、2人がプロ野球の世界に来たことは必然的なことだよね、そう元木さんは教えてくれた。

 お笑いもすごく似ているところがある。同じようにウケた笑いでも、映像で使われる笑いと、使われない笑いでは、雲泥の差がある。映像で使われるような笑いを繰り出せる人は、生き残れるだけの強さを持っている芸人だ。

 それだけじゃない。「コスパが良い」という元木さんの発想は、そっくりそのまま僕たち芸人にも当てはまる。自分がカメラに抜かれたときに会心の一撃を放てる人は、少ない燃費で高いリターンを得るわけだから、周りの人間を圧倒する。面白い人間ばかりが集まっているお笑いの世界でも、スターは一等星くらい分かりやすく輝いている。

 芸人の世界で、「チャンスに強い」というのはどういうことなんだろう。

 改めて考えてみると、僕個人は芸人にとってチャンスはピンチだし、ピンチはチャンスだと思っている。逆説的かもしれないけれど、ピンチの有無がチャンスの有無になることに鑑みれば、チャンスに弱い人というのは、ピンチをピンチのままにしてしまう人なんだろうなと思う。「ここで打てなかったらどうしよう」ではなくて、「ここで打ったらヒーローだよな」というマインドを持っている方がやっぱり強い。そういう人がチャンスをものにするし、前の打席の人も打ってくれるんだろうな。

ホーキング博士とタイムトラベルのせいで巨大夫婦喧嘩。後悔を公開。【徳井健太の菩薩目線 第221回】

2024.10.20 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第221回目は、タイムトラベルについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 東京で開催される花火大会を観に行きたいと思いつつ、小さい子どもを育てている僕らにとって、人ごみの中を進むというのはなかなか腰が重い。でも、やっぱり刺激的な花火を子どもに観させてあげたいって気持ちがわいてくる。

 どうしたものかと一考した僕たちは、我が家のベランダから「神宮花火大会」を、頑張れば観られるのではないかと考えた。“頑張れば”という言葉が出てきている時点で、かなり雲行きは怪しいんだろうけど、「やらない後悔より、やる後悔」なんて言葉もある。ベランダにちょっとした食べ物を持ち込んで、そこから花火を鑑賞しよう――。そう提案した僕は、ベランダに勢い勇んで飲み物や料理を準備した。

 その日はとても暑く、夕方だというのにベランダは、うだるような熱が充満していた。だけど、あとちょっとしたら花火が始まる。僕は勢いよく、缶ビールのふたを開け、夜空が彩られるそのときを待った。

 遠くの方でドンドンと打ち上がる音がする。「始まった!」。ドンドン、ドンドン。だけど、一向に光は見えない。硝煙が空を覆い、ベランダを不穏な空気が包む。僕たち一家のテンションも、硝煙と比例するようにモヤがかかっていくような気分だった。

 空は見えるのに、花火は見えない。ビールは、自然の摂理に従うようにぬるくなり、いよいよ子どももぐずり出した。室外機から放たれる50℃の熱風に、奥さんも不機嫌になっていく。誰もいない部屋に送られる快適な風の対価である、焦げるような室外機の熱風を浴びながら、「冷房を止めて観るくらいの覚悟が必要だったのかな」と僕は首をひねった。部屋に、戻ろっかな。

 だけど僕は、自分から言い出したアイデアだったこともあって、安易に部屋の中に入ろうとは言えなかった。人間というのは恐ろしい。クソのようなプライドほどしがみついてしまう。完全に僕のミスだというのに言い出すことができず、イライラだけが募っていく。暑すぎる。「戻ろう」。限界を迎え、僕たちは最初から花火なんてなかったかのように、そそくさと完璧な涼しさに包まれる部屋へ戻ることにした。

 しばらくは何をして、何を話したか記憶にない。気が付くと、僕と奥さんはタイムトラベルについて話をしていた。暑さで脳が、まだやられていた証拠だ。

 世界的な学者であるホーキング博士が、生前、タイムトラベルにまつまる次のような実験をしている。

“タイムトラベラーがいるかということを確かめるためにパーティーを企画し、その後、「こういうパーティーを私は開催していた」と招待状を公開する”

 するとどうなるか? もし未来人が、この招待状の存在を知ったなら、一人くらいはタイムマシンに乗って、ホーキング博士が主催するパーティーに駆けつけるのではないか――。

 とんちとも皮肉とも言えるホーキング博士のパーティーには、結局(当たり前?)、誰も来なかった。ということは、タイムトラベルは存在しないのではないか。「そうホーキング博士は投げかけたんだよ」。僕が奥さんに話すと、

「やり口が気に食わない」

 と、彼女は世界的な博士を一蹴した。花火鑑賞がうまくいかず、お互いに苛立っていたこともあって、僕はムッとした。

「そう思う人もいるだろうけど、全員が全員、『ムカつくから行かない』ってわけはないじゃん。地球が滅びるその日まで、俺たちが死んでも未来人はいるわけだから、1人くらいもの好きがいて、冷やかしに来てもいいだろ」

 僕らは、何一つ自分たちの生活に関係ないタイムトラベルについて、久々に口論になった。

「私だったら、そんな偉そうなパーティーに絶対に行かない。何様? そんな博士のパーティーに行ってたまるかって私だったら思う」

 彼女は、私が行かないんだから未来人も行かないと一向に譲らなかった。未来ではなく、今を生きている人なんだなと思った。だけど、無性にムカついた僕は、何の根拠もないのに「来る!」の一点突破に賭けた。双方ともに水を掛け合う時間が続いた。本当にタイムトラベルが存在するんだったら、僕らの家系の未来人がやってきて、「神宮花火大会は絶対にベランダで見たらダメだよ」って、昨日の僕に言っているはずのに。博士のパーティーには、誰もやってこないって、途中から気が付いていた。その代わりと言っては何だけど、早くベランダに、秋よ、やってこい。

赤ちゃんファースト、世界一のコスパ「カラオケパセラ」に天国があった!【徳井健太の菩薩目線 第220回】

2024.10.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第220回目は、「カラオケパセラ」について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 赤ちゃんを育てていると、「行く場所を選ぶ」という人は多いのではないでしょうか?

 現在、僕たちは1歳の赤ちゃんを育てています。僕は、赤ちゃんと行動するときに、あまり難しく考えていないのですが、奥さんは気にするようで、ご飯を食べに行くにしても、「赤ちゃんがぐずったりしても大丈夫か」とか「赤ちゃん用のイスがあるか」といったことを考えています。

 僕は、赤ちゃんが泣いたからといって、周りに迷惑をかけているつもりもないし、彼が成長していく上で必要なことだと思っているので、周りの目を気にしない。まぁ、気にしないということを気にしているとも言えるので、ベクトルが違うだけで、奥さん同様、「気にしている」のかもしれない。

 皆さんは、「カラオケパセラ」をご存じでしょうか? 「知ってるに決まってんだろ」と目くじらを立てたアナタ。実はパセラは、東京、横浜、大阪にしかないということもご存じで? 

 新宿や渋谷、池袋、上野といった都心の繁華街に馴染みのある人であれば、「カラオケパセラ」は一般的でも、そうではない人からすればピンとこないかもしれない。東京に暮らす僕たちにとって、「カラオケパセラ」は当たり前の存在だけど、非東京では当たり前ではない、なんとも不思議な存在でもあるのです。

 知っている人にしか伝わらなくて恐縮ですが、「カラオケパセラ」と言えば、ハニートーストですよね? 僕もそのイメージが強く、若い頃にちょこちょこ通っていた――その程度のイメージしかありません。

 ところが調べてみると、“新宿の「カラオケパセラ」が子連れにとって使い勝手がいい”らしい。そこで先日、僕も奥さんもカラオケが好きなので、新宿の靖国通り店に三人で行ってみることにしました。

 結論から申し上げると、小さな子ども育てている人にとって新宿靖国通り店は、天国に一番近い場所でした。

 パセラを運営している親会社は、ホテルやレストラン、ウェディング&パーティースペースなど多角的な展開をしている。だからなのか、カラオケボックスとは思えないほどアメニティが充実していて、おむつまで無料……ひっくり返りそうになりました。プランに応じて利用できるものは変わってくるのですが、とにかく子どもが飽きないような工夫がいたるところに張り巡らされているのです。

 部屋に入れば、終始、キッズチャンネルが流れているし、子どもが遊べるような玩具も豊富。もちろん、ドリンクも無料です。「授乳中」というドアサインまで用意してあり、これをドアに掲げておけば、ホテルの「Please Don’t Disturb」よろしく、スタッフさんが入ってくることもない(ノックをすることもない)。ハニートースト一色だったパセラの思い出は、入店からものの10分程度で、子育て組の楽園として上書きされたほどでした。

――気が付くと、僕らは8時間もいました。

 料金は3時間パックと5時間パックがあるのですが、夫婦2人でまさか8時間も歌うなんて。どこのウッドストックだよって。

 子どもはキャッキャウフフと楽しそうにしているし、僕ら夫婦はカラオケで盛り上がる。こんなに気兼ねなく子育て世代が楽しめる場所が世の中に存在したのかと思うと、なんだかんだで僕自身、やっぱり「気にしないことを気にしていた」んだなと再確認しました。「お時間です」の電話がかかってこなければ、僕らは肉体が朽ち果てるまで、ストレスフリーのネバーランドに居続けたと思います。世界は、自分次第で広げられるんですね。

 周りの目を気にすることもなければ、子どもに必要なものまで揃っている。入店したとき、各部屋の前に利用者のベビーカーがずらりと並んでいたのが印象的だったのですが、すでに保護者から絶大な支持を集めているんだなということが分かりました。大納得です。

 ちなみに、お酒も飲んでご飯も食べて8時間歌って、お会計は15000円ほどでした。お酒を飲まなかったらもっと安いはず。8時間はどうかしていると思いますが、3~4時間であればとてもリーズナブルに家族の思い出を作ることができると思います。

 僕たちは、「カラオケパセラ」をナメていた。すべての「カラオケパセラ」が、ファミリー向けに特化しているわけではなさそうなので、利用する際は事前に確認してから行くことがオススメですが、どうしてもっと知られていないのか、本当にナゾ。店舗によってはライブやイベントができるスペースがあったり、ダーツバーを有していたりと、違うジャンルに特化しているようで、日本の企業努力は恐るべしです。異様な進化を遂げるジャパニーズクオリティ。子育てに奮闘するママさん、パパさん。誰にも気兼ねすることなく時間を過ごせるネバーランドが、新宿にあったんです!

自分らしく尖り散らかせ「テレビ大陸音頭」、でっけぇ壁にぶち当たるまで!【徳井健太の菩薩目線 第219回】

2024.09.30 Vol.web original

サイコの異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第219回目は、テレビ大陸音頭について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 テレビ大陸音頭というバンドがいる。札幌を拠点に活動する現役高校生スリーピースバンドで、調べてみると2023年に結成されたらしい。

 テレビ大陸音頭は、X(旧Twitter)ユーザーのポストがきっかけでバズり、「俺に真実を教えてくれ!!」は、Spotifyのバイラルチャートで3週連続1位をかっさらったという。JO1、櫻坂46といった錚々たる面子を抑えて1位の座を譲らなかったのだから驚きだ。

 彼らの音楽は、7080年代のポストパンク的で、とてもじゃないけど10代が奏でているものとは思えない。だけど、演奏する姿は、ドラムの子が水中ゴーグルをかけながら叩いたり、よく分からないユニフォームを着たりして、若々しさと奇のてらいっぷりが10代のそれで清々しい。

 そんな彼らが、日テレの情報番組『DayDay.』の一コーナーに生出演していた。自分の10代が今にも崩れそうだったことと比較すると、彼らの堂々としたパフォーマンスは、シンプルに「すごいな」って思わされた。

演奏後、「テレビ大陸音頭の皆さんから、出演者の皆さんに質問があるそうです」とトークが始まると、彼らは、

「どうやったらモテますか?」

 と切り出した。『DayDay.』出演者の一人が、「そんなの全然気にしなくていいと思いますよ。すでに十分かっこいいんですから」といった趣旨の返答をすると、テレビ大陸音頭は面映ゆそうに笑っていた。

「本当かなぁ」と、僕は思った。本当にこの子たちはモテたいのか。もし、あの場に僕がいたら、「いやいや、そんなこと1ミリも思ってないでしょ」と切り返していたと思う。

 だって、真空ジェシカがめちゃくちゃふざけた格好をしながら、「どうやったら僕たち売れますか?」って聞いているような空気に近いものがあって、とりわけ10代という特別な瞬間が重なったその光景は、純度100%の青春のようだったから。ふざけてナンボ。青春に正解なんてないんだから。

 彼らの質問は、大衆にモテたいのか、特定の異性にモテたいのかで変わってくるから、後者だったら本当にそうなのかもしれない。

 でも、テレビという大衆が見るだろう舞台装置で、あえて「モテるにはどうしたらいいんですか」みたいな、ザ・テレビ的なことを言ってのける、そのパンクスピリッツ。いいね、若いね、サイコーじゃん。僕たちがそんなことを言ったら放送事故。放送事故にならないのは、彼らが持っている特権だ。

 尖っているくせに、尖ってないフリをする。尖ってないフリをしているのに、アッカンベーはしている。そんな気持ちを、僕らはだいぶ昔に置いてきてしまった気がするから、うれしくなった。

 きっと彼らはさらに有名になって、多くの人に知られる存在になると思う。どうしたって丸みを帯びていくだろう。そのとき、どう彼らが戦って、せめぎ合いをしていくのかものすごく楽しみです。丸みは帯びてほしいけど、丸くなってほしくない。勝手なことを言っているけど、第三者なんでご容赦を。

 今では、すっかり「尖る」という言葉も死語になりつつある。僕らが若い頃と、今を生きている若い世代では、まるで環境が違うんだから仕方ない。

 SNSや配信がある今の時代は、どんなに小さな箱の中でも、努力やアイデア次第で自分らしさをたくさんの人に届けることができる。対して、僕らが20代だったときは、そうしたものはなかったから、箱そのものを拡張していかなければいけなかった。どんなに自分らしさを磨いても、100人のキャパシティから脱出できなければ、そこで飢え死にするだけ。だから、自分らしさというものをカスタマイズしながら、300人の箱、500人の箱……段々とみんなに合わせていきながら自分らしさを見つけていた。そこそこ食えるようになって自分の足跡を振り返ったとき、ガリガリに尖っていたときの自分らしさが、今の自分には残っているのかなぁなんて思ったもんです。

 今の時代は、自分らしさを表現したまま売れやすくなっているとも思う。でも、簡単に数に追われてしまう時代でもあるから、それはそれで息苦しい。いつの時代も一長一短だ。いつだって、自分を裏切り続けることはとても難しいことなんだと思う。

親近感グラデーションと島根大社、北九州における脳内ドーパミンとの関係性!【徳井健太の菩薩目線 第218回】

2024.09.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第218回目は、親近感について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 

 言葉ではうまく伝えることができなくても、「そうそう」と共感してくれる話ってたくさんあると思います。こういう現象に、特定の言葉を授けたいと思うのは、僕だけでしょうか――。

 僕のルーツは、千葉県と北海道にある。そのため甲子園を見ていると、なんとなくその2つの代表校を応援してしまう。でも、変な話だと思いませんか。僕は東京に住んでかれこれ25年になるのに、どうして東京代表の出場校を応援しないのだろう。皆さんも、似たような経験がありませんか?

 今年の甲子園で言えば、島根県代表の大社高校と西東京代表の早稲田実業が対戦したときもそう。どういうわけか早稲田実業ではなく、大社高校を応援している自分がいた。判官贔屓というよりも、東京にいる自分が東京代表を応援する気持ちになれないという不可解な心理に近い。

 普通に考えれば、47都道府県でもっとも人口が多いのは東京都なんだから、甲子園でもっとも声援を集めてもいいはず。なのに、どういうわけか東京暮らしの人からあまり関心を寄せられない。

 昨年、大きな話題を提供した慶應義塾高校にしても、東京の高校だから白熱したわけではなかった。慶應OBが異様とも言える雰囲気で慶應義塾高校を応援している図式に賛否が渦巻いただけ。一体、東京はどこに行ってしまったのか。

 とはいえ、僕自身も仮に新宿に拠点を置く高校が出場したら、手に汗握って応援すると思う。菩薩目線『僕は新宿が好きです。だから、クリアソン新宿を応援します! にわかです、でも家族ぐるみで応援します!』で触れた通り、今ではすっかりクリアソン新宿の結果が気になって仕方がない。FC東京にはピンと来ないけど、地元であるクリアソン新宿にはドはまりする。東京って、結局何なんだろうか。

 ところが、この地元への愛着すらも、時と場所によって、はるか彼方へと消し飛んでしまうから恐ろしい。僕の奥さんは北九州出身だけど、九州で九州出身の人と遭遇しても、何も珍しくないから特に話は進展しない。だけど東京で、初対面の人が九州出身だと分かると、妙にテンションが上がると話していた。分かる!

 僕の場合で言えば、北海道ということになる。もし、東京でたまたま会った人との会話の中で、「私、北海道出身なんですよ」などと言われたら、少なからず「同志よ」などと感慨にふけってしまうと思う。その後に、「別海町……って分かります。北海道の東の方の出身で」なんて言われたら、生き別れた兄弟のように接してしまうかもしれない。

 対して、札幌でたまたま会った人との会話の中で、「私、北海道出身なんですよ」などと言われても無風状態だと思う。仮に、「別海町」だと告げられても、「奇遇ですね」程度の反応に下がってしまうのは、なぜなんだ。

 この親近感のグラデーションは、何が原因で変わるんだろう。東京で耳にした「北海道出身(別海町出身)」に対しては、ものすごく親近感を覚えたり、テンションが上がったりするのに、北海道で耳にした「北海道出身(別海町出身)」にはアンテナが働かない。人間って、本当に不思議な生き物だと思うんです。同じ情報でも、会った場所や時間で印象が変わってしまう。これが「運」というやつなんでしょうか。

 同じことを繰り返していると、脳は慣れてしまって、快楽物質「ドーパミン」が分泌されづらくなるらしい。新しい体験をすることが、脳の鮮度をキープする上で大切だという。北海道で北海道の人に会うのは当たり前。でも、東京で北海道の人に会う方が確率的には新鮮。だから僕らは刺激を受けて、ドーパミンが放出されるんだろうか。

 言われてみれば、海外に行って日本車を見かけると妙にテンションが上がる。日本にいたら毎日のようにトヨタの車を見かけるのに、馴染みのない異国の地でトヨタの車を見ると、「トヨタだ!」ってテンションが上がるし、「頑張れ!」といった謎の感情がこみ上げてくる。

 親近感を抱くとき、テンションが上がるとき、僕らの脳は活発になっている。どんなに些細なことでも反応しているってことは、脳が新鮮さを覚えているってこと。その興奮にダイブして、鮮度を忘れちゃいけない。やっぱり何事も慣れるのって良くないんですよね。

若手時代からの盟友ザ・パンチさんによる「徳井健太」の性格診断【徳井健太の菩薩目線 第217回】

2024.09.10 Vol.web original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第217回目は、『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜2024』準優勝者であるザ・パンチについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 8月末に行われた『敗北からの芸人論 トークイベント vol.14』。そのゲストとして『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜2024』準優勝者のザ・パンチのお二人に来ていただいた。このお二方と僕は深いつながりを持つ。

 ザ・パンチのルーツはNSCではなく、渋谷公園通り劇場にある。学生時代にオーディションに参加し、デビューを果たしたコンビ。当時の渋谷公園通り劇場には、ガレッジセールさんを筆頭に、カラテカさん、あべこうじさん(当時はコンビ)、犬の心さんなどが板の上に立っていた。その中に、僕が勝手に師匠と仰ぐ、カリカのお二人もいた。

 ザ・パンチの浜崎さんも松尾さんも、カリカのお二人と仲が良く、特に浜崎さんは家城さんとも林さんとも仲が良かったから、僕が師事していた林さんを介す形で、毎日のように会っていた。芸歴では、お二人の方が2期先輩にあたるけど、年齢は一緒。同世代ということもあって、20代の頃は本当によくザ・パンチさんとあーでもないこーでもない話をしていた。

『THE SECOND』で準優勝を果たしたことで、現在、ザ・パンチさんは芸能界一周旅行の最中にいる。お二人と会って、がっつり話しをするのは十何年ぶりくらいだろうか。でも、当時と距離感は変わっていなくて、僕自身、とても感慨深い時間を過ごさしてもらった。

 昔から、僕と松尾さんは意見がぶつかることが多く、トークイベントでもところどころ舌戦になった。その様子を横で見ていた浜崎さんが、「懐かしいな。お前らよくぶつかってたよな」と口にしたとき、20代の景色がフラッシュバックした。

 浜崎さんは、「お前は普段クレイジーだけど、酒を飲むとホントお笑いの話ばかりしていたよな」と懐かしんでいた。全然変わっていないから、徳井がお笑いの分析みたいなことをしているのも納得だと頷いていた。

 その言葉を聞いて、僕は面映ゆくなるとともに、自分の矛盾さにハッとした。

 人は普通、酔ったときにクレイジーになる。酔ったときに人間の本性がさらけ出されるとしたら、僕のクレイジーは偽りの姿で、やせ我慢だったんだろうなって。酔った勢いじゃないと真面目な話ができなかった僕は、20代はずいぶんと本能をごまかしていたんだと思う。本当はあの頃からたくさんお笑いの話をしたかったんだなって、ザ・パンチさんと話をして気が付かされた。

 話の中で、松尾さんから「ずっと昔から思っていたけど、徳井はすぐに核心に迫ろうとするよな」と指摘された。そんなこと今まで考えたことなかった。

「10が核だとしたら、徳井は8.9.10から話をする。人間っていうのは、まず天気の話とか当たり障りのないこと、つまり1.2.3あたりから話すんだよ。そこから5.6.7になったとき、さも8.9.10くらいのつもりでリアクションをする。それが人間なんだ」

 松尾さんの説明を聞いて、ものすごく納得した。興味がある人を目の前にして、天気について話したいなんて思わないんだから。

「俺らはまだいい。関係性もあるから。でも、お前は初対面の人でも8.9.10からいくから、本当であればめちゃくちゃ人とぶつかるはずなんだよ。でも、その割には揉めごとの数が少ないから、徳井はピュアなんだろうな」

 十何年ぶりに話したとは思えないほど、心地よかった。たしかに、僕はすぐ心臓を掴みにいこうとする。1.2.3が欠けていて、どうやらもう治りそうにもない。相手を身構えさせてしまうだけだから可愛げだってない。だけど歳を取り、厄介な角が取れたことで、僕は今、こうしてなんとか対話できている。そんな大切なことを気が付かせてくれた浜崎さん、松尾さん、昔も今もありがとうございます。

 金も夢も何もない中で、ただお笑いが好きって一点突破だけでつながっていた同志。渋谷公園通り劇場によく登場していた芸人たちは、その多くがどういうわけか解散している。銀座7丁目劇場に比べると、圧倒的にその数は多いから、あの場所は呪われていたのかもしれない。そんな場所から、今、狼煙を上げているザ・パンチさん。僕はめちゃくちゃ楽しみにしています。

お笑いや音楽における革新と保守の関係性、の話!【徳井健太の菩薩目線 第216回】

2024.08.30 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第216回目は、革新と保守について、独自の梵鐘を鳴らす――。

 革新と保守について。都知事選の話、というわけじゃない。

 音楽もお笑いもそうだけど、自分の中で「すごく好き」とか「めっちゃかっこいい」とか思うものに、何か共通点はあるのかなって考えることがある。

 尖ったことをしている人を革新、丸みを帯びていることをしている人を保守――と仮定したとき。なんとなく自分の嗜好が整理できる。

 丸みを帯びている人たちが売れていく。これってすごいことに違いはないけれど、なんというか「すごくない」。というか、当たり前だと思うんです。万人受けするようなことをしているわけだから、当然、売れる可能性は高くなる。

 だったら、尖っている人たちが、そのまま尖ったまま売れた場合はどうだろう? これって、やっぱりすごいことなんだけど、めちゃくちゃすごいってわけでもないような気がする。尖った人たち自身に大きな変化はなく、時代が追いついたり、口コミで一気にブレイクしたり、運を含めた何かが味方したから売れたということになる。

 では、尖っている人たちが丸みを帯びた方向に寄せていって売れる場合は? ああ、僕はこれが音楽でもお笑いでも好きなんだなと思った。もしも売れたなら、本人たちの努力や「変わる」といった明確な意識が伴わなければ成立しない。プライドをバキバキにへし折られた変化が眠ってる。

 例えば、マヂカルラブリーの野田を見ているとすごいなって思う。あんなにセンスのある奴が、きちんと最大公約数に身を投げ出して、アジャストしたんだから。売れるために必要なことをアタッチメントしたり、こだわりやプライドを肉抜きしたり。改造したから売れている。

 丸みを帯びていた人たちが、ある時期を境に急に尖り始めるという逆のケースがある。正直、僕的には一番よく分からない現象だと思っている。大いなるマンネリではないけれど、ずっと大衆に向けて、大衆が求めていることをするってものすごい覚悟。地中深くに刺さってないと真似できない。なのに、「僕たちはこんなこともできます」なんて実験的なことや、求めていないことをし始めたら、「?」にもなるでしょうに。

 僕は、革新から保守に向かっていく、そんな存在が好きなんだと分かった。それを体現している音楽や笑いをリスペクトしているんだろうなって。

 昔、佐久間宣行さんが、「変わっていく人を応援したい」といったことを話していた。

 その言葉に鑑みれば、僕が足を向けて寝られない「腐り芸人セラピー」も、変わっていく過程をあぶりだした企画に違いない。板倉さんも、岩井もあんなに尖っていたのに、この企画を機に良い意味でポップになっていった。ゴツゴツしていたものが丸みを帯びていく時間の中に、ほんの少しでも僕も居れたことは幸せなこと。僕も変われたんだと思う。

「思う」なんてあやふやなのは、意識的にどうこうしようとかではなくて、結果的にそうなっていた――にすぎないから断言できない。

 若手芸人から、「徳井さん、どうやったらお客さんのウケが良くなりますかね?」と相談されても、本人たちがもがき続けてプライドがへし折られる瞬間を迎えないと、どうにもならない。

 だからいつも僕は、「好きなようにやりなよ」としか言葉を贈れない。あえてその後に添えるなら、「壁にぶつかったらまた相談しに来てね」。

 壁にぶつからなかったら、次の方向は分からない。壁にぶつかっていないなら、ぶつかるまでやってみてください。バッターボックスに立って、来た球を振る。何度も何度も振ってみて、前に飛んだり、当たったものの後ろに逸れたり、そもそも当たらなかったり、どんな結果になろうとも立つしかない。何度も振ってみたけどそれでも分からない――。壁にぶつかる瞬間が訪れます。ぶつかることを恐れちゃいけないんです。

エンタメの基礎も応用もその先も、すべてはアンパンマンの中にぎっしり詰まっている【徳井健太の菩薩目線 第215回】

2024.08.20 Vol.web Original

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第215回目は、アンパンマンについて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 映画『それいけ!アンパンマン ばいきんまんとえほんのルルン』を、まだ観ていない方。できるだけ早く観に行ってください。今作は、タイトルからも分かる通り、ばいきんまんが主役。子どもだけでなく、大人も楽しめる一作なので、この夏、ぜひとも見逃してほしくない作品の一つなのです。

 映画についていろいろと話したいことはたくさんあるんですけど、それを綴ってしまうとネタバレになってしまうので、あくまで僕が感じた所感のみを記させていただければと思います。

 今年の夏は本当に暑い。めまいがしそうだ。

 僕は子どもと一緒に、新宿にあるkino cinemaという決して大きくはない映画館へ観に行った。新宿3丁目にほど近い、スシローの上にある映画館。家から遠くないこともあって、僕はここをたびたび利用する。450円でお代わり自由のドリンクバーがあるのも家族連れにはうれしいサービスだし、ちょっとマイナーな作品を取り扱うあたりも、個人的に気に入っている。

 夏休みにアンパンマンの映画を上映する映画館なんて、大きなシネコンを含めて山ほどある。まさかkino cinemaで、アンパンマンの映画が上映されるなんて思ってもいなかった。映画好きが集うだろうkino cinemaで、キングオブメジャーとも言えるアンパンマンの映画を上映すること自体、正直驚いた。

 その日、劇場には僕たち家族とカップル一組しかいなかった。エンタメのド真ん中の作品が上映されるというのに、あまりの静けさ。蛙が飛び込む音だって聞こえてきそう。ある意味、kino cinemaっぽくない作品を上映している証左だし、今からアンパンマンを観るという非現実的世界に没入することを考えれば、最高のシチュエーションだったかもしれない。

 ライブには必ずセットリストがあると思います。「今日は良いセットリストだったな」とか、「今日あの曲やってないから微妙なセットリストだったな」とか、セトリ次第でライブの印象ってかなり変わると思うんです。僕は自分が行ったわけでもないライブのセトリが気になってしまい、「いまあのアーティストがツアーをしているけど、どんなセトリ何だろう」なんて具合にチェックする癖がある。例えばCreepy Nutsだったら、「Bling-Bang-Bang-Bornをどのタイミングで演っているんだろう」とか。一曲目でぶっ放せばめちゃくちゃ盛り上がるだろうし、終盤にやれば溜めた分だけ盛り上がる。セトリって、聴衆を乗せる乗せないに大きくかかわってくるわけです。

 何が言いたいか――というと、今回のアンパンマンの映画は、まず“掴み”が最高だったということ。序盤に心を鷲掴みにされるような曲(的なシークエンス)を持って来ることで、僕らはすっかりアンパンマンの映画の世界にダイブ。

 アーティストがあえてライブの一曲目に静かな曲を持ってきたりすると、お客さんはどう乗っていいか分からない。やっぱりお客さんが求めていることを、どんな形であれ体現することは、お金を払って観に来ている人に対して最良のパフォーマンスなのではないのかなって思う。もちろんこだわりだってある。でも、わかりやすさはもっと大事なんじゃないのって。外したり、あえて逆に行ったりしても、そこにわかりやすさが伴わなければ置いてけぼりになってしまう。

 そういう意味で、アンパンマンほど分かりやすい世界はない。

 アンパンマンには、お約束とも言える「助けてアンパンマン!」のくだりがある。当然、映画とはいえ今回もお約束は訪れる。

 その瞬間、僕は泣いた。

 物語に没入していたから、お約束を忘れていたんです。何度だって知っているはずなのに、初めて体験したようなその瞬間に、全身の穴という穴からドーパミンが吹き出た。完璧なセトリ。「あの曲、まだ演ってないな」と思わせることすら忘れさせるほどの展開――からのスーパーウルトラキラーチューン。こんなん泣いちゃいますって。

 エンタメを再考する傑作でした。これっていろいろなことにも当てはまる。芸人の単独公演。幕が開く。一発目に暖気運転的な漫才やコントをすることがあるけど、そういうことではなくて開始早々からフルスロットルで観客のハートを撃ち抜きにいく。そんな気持ちが大事なんだなって。まぁ、僕らは単独公演というものをはるか昔に置いてきてしまった人間なので、お前らが言うなよなんだけど。

 下手とかオーソドックスとか、もしかしたらマンネリなんて言われるかもしれない。でも、お客さんが求めているものを分かりやすく続けていることが、一番難しいし、もっとも尊いことなんじゃないでしょうか。毎日同じことを繰り返す、手を変え品を変え誤魔化す、そんなことに対して疑問を覚えている人は、この夏、アンパンマンを観に行ってみてください。

僕の思う『(株)世界衝撃映像社』で教え鍛えてもらった、ロケの極意!【徳井健太の菩薩目線 第214回】

2024.08.10 Vol.Web Original

 

“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第214回目は、テレビ番組の配慮ついて、独自の梵鐘を鳴らす――。

 昼間、ボーっと情報番組を眺めていると、多数の飲食店が集うフードフェスティバルのような場所から中継が行われていた。なんでも、日本一のハンバーガーを決める「JAPAN BURGER CHAMPIONSHIP 2024」なる大会が、さいたまスーパーアリーナで開催されているらしく、出場しているだろうハンバーガー店のオーナーさんがインタビューに応じていた。

 僕は少し体を起こして見入った。というのも、話をしている「塩見skippers’(スキッパーズ)」という店名が気になったからだ。フリッパーズギターと関係あるのかな、スキッパーシャツに由来しているのかな。skippers’という響きがどこか親しみを覚え、とても良いネーミング……どうしてこの店名になったんだろう? そんなことを思いながら、アナウンサーの言葉を待っていた。

 だけど、待てど暮らせど店名の由来には触れない。でも、僕の疑問は氷解した。インタビューを受けているオーナーさんは、とても分かりやすいすきっ歯の持ち主で、前歯をモチーフにしているTシャツまで着用している。確実にこの店名が、取材に応じているオーナーさんの前歯に関係していることは明らかだった。その後、気になって調べてみると、やはり店名はすきっ歯に由来すると話している動画を見つけた。

 誰よりも近い場所にいたアナウンサーが、店名について触れることは最後までなかった。僕ら芸人だったら、おそらく触れていたであろうことを考えると、立場によってこうも話の内容は違うのかと、少し考え込んだ。

 言われてみればこのご時世、触れないことがもっとも無難ではあると思う。でも、ものすごくキャッチーでセンスのある店名だと感じた一視聴者の僕からすれば、気になって仕方ない。おまけに、どう考えても答えは明らかで、その上、めちゃくちゃおいしそうなハンバーガーを作っている。「面白いお店だな」なんて興味のよだれがダラダラと流れ出てしまっているわけだから、まったく触れないことにモヤモヤした。ましてや、自らTシャツで強調しているくらいだから、このお店を取材する以上は触れてあげてもいいのでは――。情報番組だから優先すべき話が他にあったとしても。

 例えば、聞き方次第でまったく導線って変わってくると思うんです。

「店名がすごくユニークでかっこ良いと感じたのですが、どうしてなんですか?」と振ってみて、取材に対応している人自らが打ち明ければ、“直接的”な聞き方にはならない。

 街でロケをするとき、やっぱり僕らは撮れ高を気にしてしまう。そのため、ちょっとピーキーだったり、尖がったりしていそうな見た目の人に話を聞きに行く。このとき、「お父さん、ヤバそうですね?」とか「お父さん、仕事してなさそうな見た目してますね」なんて聞いたら一発レッド。即退場。でも、「お父さん、日中から楽しそうですね。何されてるんですか?」と聞いて、その人自身が「昼から酒よ。酒最高」と話す分には問題ない。「え? こんな時間から? お仕事は!?」と聞き返して、「先月辞めた!」なんて言葉が返ってきたら、結果的にみんながハッピーエンドを迎えられる。

 アナウンサーにこういったことを求める必要はないと思う一方で、不特定多数の視聴者が見ているテレビ番組である以上、インタビュアーは視聴者のハテナや興味関心に対して最低限もがいた方がいいんじゃないとも思う。そのもがきを回避して、面倒なもの(になりそうなもの含む)をスルーしてしまうと、配慮というか、排除じゃんって寂しくなってしまう。

 自分自身、いつからこんなことを考えるようになったんだろうと振り返ってみると、『(株)世界衝撃映像社』に原点があるような気がする。番組では、僕らは海外ロケをする若手芸人という一つの駒に過ぎなかった。ディレクターが求めているのは、僕らの感想ではなくて、現地の人がどう思っているか――、「それを聞き出してくれ」と僕らは耳にタコができるくらい言われていた。僕らを通して、そこで暮らす人々の面白い姿や言葉を届ける。僕らは媒介者に過ぎない。

 どう考えても、「この料理でお腹がいっぱいになるわけない」と思うけど、自分の口から、「これでお腹いっぱいになるんですか?」なんて直接的な質問は言えない。 「本当はもっと違うものを食べたかったりしません?」、そう聞くことで、原住民の本音を引き出すように努めた。たくさん鍛えられた原点だったなって思う。

 主役は世界の人々だから、使われるのはその姿。自分のコメントが編集で切られることは当たり前だったから、「現地の人のコメントが生きているのは、自分の振りのおかげなんだ」と思うようにして、自分を納得させていた。よくタレントさんや芸人さんは、コミュニケーション能力に長けていると言われるけれど、一日にしてならずなんです。後天的に培われたものの方が分厚いのではないかと思う。

 聞き方次第で好転するし、暗転する。そんな思いもあって、もがくことから避けて、「触れない」っていうのはものすごくもったいないことだと思うんですよね。

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