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批判的思考の欠落が日本を迷走させてきた【鈴木寛の「2020年への篤行録」第73回】

2019.10.14 Vol.773

 日本経済の問題を鋭く指摘し続けているデービッド・アトキンソンさんが、東洋経済オンラインのインタビュー記事(10月3日)で興味深い話をされていたのを拝見しました。アトキンソンさんは、人口減少と少子高齢化が進む日本の経済、社会にとって、 生産性の向上が重要であると訴えてきたことでおなじみですが、生産性の低い原因を日本人の働き方、つまり労働者個人の責任に負わせてしまい、中小企業が多すぎるなどの産業構造に原因があるのに「表面的な経済議論しか行われず、泥縄的な解決策しか出てこない」と苦言を呈されます。

 そして、日本のリーダーや専門家が提案する解決策が「失敗」する理由として、「徹底的な要因分析」をしないことを挙げられていました。インタビューでは、事例として女性活躍を挙げ、諸外国よりうまくいかない理由として、保育所を作るという大雑把な話ではダメで、規模の小さく経済合理性の低い企業で働く労働者の比率が高いとする海外の要因分析を紹介しています。

 産業構造に対する彼の見方への賛否は脇に置いて、教育的視点から見逃せないと思ったのは、「徹底的な要因分析」をしないことです。問題の分析には、クリティカルシンキング、つまり前提を疑ったり、問題の所在を一つずつ丁寧に腑分けしたりする批判的・分析的思考が欠かせませんが、アトキンソンさんの指摘を“私なりに要因分析”すると、日本の教育では、そうした思考法を徹底的に鍛える環境が非常に少ないのは事実です。

 それでも、理系の人材は分析思考の素養があり、社会人になってもエンジニアや研究者などとして職業的に鍛えられていきますが、問題は文系人材。私立大学の受験生は数学を選択しなくてもよく、マークシート方式の受験では記述もなく、用意された選択肢から「無批判」に選んでいるだけです。

 そのまま社会に出て行くので、与えられた仕事はこなせても、答えのない問題が起きた時に冷静な分析ができない。だから苦労や迷走をしてしまうのです。当然のことですから、仕組みを作って問題を解決するという発想も出てきにくいのです。2020年度からの入試改革の目的もこれを打開することにあります。

 日本の社会は文系人材を幹部に登用することが多く、クリティカルシンキングが足りないままリーダーや経営者になりうることが深刻です。アメリカの有名大学の前総長に以前聞いたところ、名門企業は就職試験でクリティカルシンキングを重視するそうです。日本もそうしたところから変えるべきでしょう。

(東大・慶応大教授)

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