戦後長らく日米安全保障体制は、右からも左からも「不平等条約」の批判にさらされてきた。安保条約に基づいて締結された日米地位協定が在日米軍将兵に過剰なまでの特権的な地位を付与していることに対する怨嗟(えんさ)の声は、今なお根強い。そこに今度は、ドナルド・トランプ米大統領からの「不公平」批判である。曰く「米国は日本を守る義務があるのに、日本は米国を守る義務がない」。もちろん、在日米軍を支える我が国の負担は莫大で、そこから得られる米国の戦略的な利益は決して小さくなく、日米同盟関係はトランプ大統領が指摘するほど単純なものではない。しかし私は、大統領の疑問はシンプルだが、正鵠(せいこく)を射た指摘だと思っている。
たしかに、日米安全保障条約第5条によれば、我が国は「日本の施政の下にある領域」への武力攻撃に対してしか日米共同防衛の義務を負わない。じつは、米国が結んでいる同盟において、このような「不公平」な構造になっているのは日米安保条約のみである。たとえば、NATO(北大西洋)条約では、「欧州および北米」における武力攻撃に加盟国が共同対処すると明記されているし、アジアの同盟である米韓、米比、米豪においても「太平洋地域」における武力攻撃に対し締約国が共同で対処すると規定されている。いずれも「相互防衛条約」なのである。
一方、日米は相互防衛条約になっていない。したがって、その不公平性を穴埋めするために安保条約には「第6条」が設けられ、大要「極東の平和と安全のため我が国が米軍に対し日本が基地や施設の提供義務を負う」ことが定められたのである。この条項こそ、国内で怨嗟の的となっている地位協定の不平等な現実の根源に他ならないが、米国から見れば不公平性を埋め合わせる形で辛くも日米の「双務性」を担保する仕掛けになっているのである。この日米安保体制をめぐる不平等と不公平(その故に、日米同盟は不安定な軋みを伴うことになる)こそ、憲法に起因する「戦後レジーム」の象徴といえる。
こんな綱渡りの状態をいつまで続けるつもりなのだろうか。せめて米韓同盟のように「太平洋地域」においては日米が相互に防衛し合う対等な関係を構築できないものか。そこで、戦後レジームの下に幾重にも施された安全保障をめぐる過剰な縛りを克服し、厳しい安保環境に直面する我が国の平和と安全を確固たるものにするために、第二次安倍政権発足以来、秘密保護法制の制定、国家安全保障局(日本版NSC)の創設、平和安全法制の成立など着実に安保改革が積み重ねられた。そして、その改革の核心こそ集団的自衛権の行使容認なのである。今度は、その土台の上に、日米同盟を「相互防衛体制」に進化させ、名実ともにイコール・パートナーとして、インド太平洋の平和と安定と繁栄の公共財として機能させたいものだ。